真理到達者
父の死を知ったミナは王宮へ跳び、怒りに任せて薬院を討った。
その後、夫を指導者として新たな国家を作り上げた。島を研究する「探索班」を新たに設置し、失われた真理を取り戻そうと尽力した。
ミナの一人息子のツバサは大切に育てられ、最高の教育を受けた。豪勢な暮らしの中でミナが真理から遠ざかっていったのに対し、ツバサは十歳にして真理に手が届いた。
「僕は、自分が別々の場所に同時に存在できると気づいたんだ」
次々に分裂していく息子にムロヤは慄いた。父がミナに能力で殺されたように、いつか自分も同じ末路をたどるのではないか。大橋マナの不穏なメッセージのこともあり、彼は真理の持つ力に恐怖していた。
ムロヤは探索班を解散させ、浮いたリソースを軍備に注ぎ込んだ。そして、彼の方針に猛反対するミナとツバサを王宮に軟禁した。
すでに瞬間移動能力を失っていたミナは囚われの身に甘んじるほかなかったが、何より研究を禁じられたことに不満を募らせていたツバサはある日、母に別れを告げた。
「僕は街を出ていくよ。どうしても研究を続けたいんだ」
「どうやって? 出入口は監視されているのに」
「そんなの意味がない。僕にはお母さんと同じ力があるんだから」
ミナは寂しげに目を伏せて首を振った。
「私はもう真理を忘れてしまった。でも、あなたには父と同じものが見えるのね。……行きなさい。この家はあなたには狭すぎる」
カモフラージュとして分身を一人王宮に残し、ツバサは島の北部へ跳んだ。
彼は海沿いの小さな集落にたどり着いた。まもなく村人に捕まり、「導師」と呼ばれる女の前に引き出された。
新生〈ICE〉の長として、ひっそりと研究を続けていたマナだった。
カミオの死後、マナは〈ICE〉の有志を連れて島の北部に逃げていた。そこには島の脱出に失敗し、追われる身になった人々の集落があった。薬院政権に恨みを持つ彼らと意気投合し、〈ICE〉の一行は村に定住することになったのである。
ツバサの正体を知ってマナは眉を寄せた。ミナの息子など見たくもない。早く送り返せと部下に命令したとき、ツバサは突然二人に分裂した。
「ここに住ませてください。きっとお役に立てます」
二度と街に戻らないことを条件に、ツバサは村で暮らし始めた。
ツバサが協力するようになって研究は飛躍的に進んだ。単純に人手が無制限に増えたというのもあるが、彼がカミオに匹敵するほど真理に近づいていたことも大きかった。薬院家を毛嫌いしていた村人たちも次第に彼を受け入れ、マナもまた、薬院家に対する復讐心を鈍らせていった。
年月が経ち、ツバサはついに宇宙の真理を理解した。
しかし不幸にも、彼にはその真実を受け止める強さがなかった。絶望したツバサは小舟で夜の海に漕ぎ出した。妻と幼い娘を村に残して。
初めに異変に気づいたのは王宮にいたムロヤだった。
彼が息子だと思っていたツバサの分身が、目の前で突然溺死したのである。あまりに異常な死に方から、ムロヤはマナの攻撃が始まったのだと解釈した。報復として街の全兵力が島の北部へ送り込まれた。
村では物見櫓の警鐘が鳴らされ、〈ICE〉の面々が迎撃を始めた。重要な戦力であるツバサの不在に気づいた幹部の男が、血相を変えて導師の家に駆け込んだ。
マナは悲しげに目を伏せた。
「彼はもう戻らない。海に還ってしまったから」
マナは長年の研究の末、遠隔透視能力を獲得していた。彼女の視界には、沖を漂う誰も乗っていない小舟と、途方もない人数の兵士が森を進軍している光景が映っていた。果敢にも数人の能力者が敵陣へ跳び込んでいったが、圧倒的な物量差の前に虚しく散っていく。その中にはツバサの妻の姿もあった。
村人たちを守れるのは自分しかいない。マナは決意を固めた。
「私が命を使う」
「しかし……それでは導師が!」
「時間がない。あなたたちは早く海岸に避難して」
マナは自らの生命を熱エネルギーに変換できることに気づいていたが、〈ICE〉の掟に背いてその知識を独占していた。いつの日か、姉妹喧嘩に自らの手で決着をつけるためだった。マナは遺言を男に託した後、迷いなく跳躍した。
軍勢の中心に突然現れたマナは、全身を凄まじい閃光に変えて爆発した。
一瞬で炭化する木々。吹き飛ばされる土砂。
空はどす黒い雲に覆われ、激しい雨が三日三晩降り注いだ。
暗雲が去った後、森へ跳んだ〈ICE〉の部隊が目にしたのは、山の麓に穿たれた巨大なクレーターだった。すり鉢状の底には川から流れ込んだ水が溜まっていた。後にマナ湖と呼ばれることになる、島最大の淡水湖の誕生であった。
部隊は街へ跳んで王宮を制圧し、薬院ムロヤを討ち取った。
街は〈ICE〉の支配下に置かれた。
暫定政府の長となったのは幹部の男、五条トシロウだった。彼は絶対君主制がまかり通っていたこの島にようやく民主主義を導入した。選挙によって選ばれた人々の合議により、公明正大な政治を行う仕組みを整えたのである。
政治のみならず、様々な分野に近代化の波が押し寄せた。
何より文明の発展に寄与したのは、ツバサの娘のルナだった。
村の防衛戦でルナの母親は戦死していたので、祖母のミナが彼女を引き取った。ミナは政治犯として軟禁されていたが、孫娘の世話をさせてほしいという必死の懇願が認められたのだ。
ミナは過去の愚かな行為を深く悔やんでいた。多くのものを失ったルナは彼女の罪の象徴だった。ミナは罪滅ぼしとして精一杯の愛情を注ぎ、固く閉ざされたその心を開こうとした。学校にも行かず部屋に引きこもる孫娘に、ミナは熱心に教科書を読み聞かせた。
最初は相手にしなかったルナも、繰り返し話を聞かされるたび、宇宙の真理に興味を示すようになり、少しずつ理解を深めていった。やがて彼女は、世界を変貌させることになるその能力を発現させた。
「お祖母ちゃん、見て」
ルナが両手で捧げ持った皿の上に、ぽん、と白い塊が現れた。ぽんぽんぽん、と塊は次々に積み重なって小山になる。ひやりとした冷気と甘やかな香りが漂った。
「お祖母ちゃんが言ってたアイスクリーム、作ってみたよ」
ミナはおそるおそる皿を受け取ると、柔らかなそれを指ですくって口に運んだ。
彼女の目から涙が溢れた。
これは奇跡だ。父も、姉も、息子も成し遂げられなかったことにこの子は成功した。宇宙は私を許してくれた。そんなことを思い、戸惑う孫娘をよそにミナは泣き続けた。
ルナの獲得した能力は、無から有を創り出すというものだった。
新たな「真理到達者」の報告を受けた五条首相は、この能力が世界を変える可能性にいち早く気づいていた。
「我々はかつて父や母がいた世界を、この島に創り出せるかもしれない」
〈ICE〉を前身とする国家真理研究所は、ルナの理論を解する人材の育成に励み、十年で二十人もの「創造者」を社会に送り出した。創造者たちは人類が途方もない時間をかけて生み出してきたものを、次から次に現出させた。
発電機。電灯。冷蔵庫。自動車。石油。医薬品。穀物。コンピュータ。
島中に道路が張り巡らされ、鉄筋コンクリート製のビルが林立した。無限の燃料で発電所のタービンは回り続け、街は夜でも明るくなった。医療の進歩により寿命が延び、人口は爆発的に増加した。海は埋め立てられ、島の面積は徐々に広がっていった。
「文明開化」以後に生まれた人々は、島を脱出することに執着しなかった。物質的に満たされたこの世界こそが理想郷だと信じていた。
文明の礎を築いた大橋カミオは偉大なる始祖として、社会が成立するに至った経緯は伝説として、島の人々のあいだで長く語り継がれていくことになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます