探索者
海を見ていると、何かを思い出しそうになる。
大橋カミオは浜辺で膝を抱えて座り、そんなことを思った。
カミオはもともとその日暮らしの若者だったが、とにかく要領が悪いのでアルバイトを転々としていた。彼の性質は島に来てからも改善されず、職場をたらい回しにされたあげく、浜辺で一日中ぼんやりと海を眺めながら、通りかかる船を探すという閑職を与えられた。
とはいえ、カミオはこの仕事に満足していた。
彼は考えごとをするのが好きだった。水平線を見つめて物思いにふけるとき、彼の意識は海を越え、雲を突き抜け、遥かな宇宙に広がった。
「ねえ、あなたは出ていかないの?」
そんな声が彼の夢想を破った。炊事班の花畑ユイナが彼に話しかけたのだった。
「出ていくって?」
「建設班がこっそり作ってた船が完成して、もうすぐ出港するから乗員を集めてるの。あなたは王宮派じゃなさそうだし、一緒に来ていいよ」
病弱なユイナは周囲の気遣いであまり仕事を任せてもらえず退屈していた。同じく退屈していそうなこの男は話に乗るはずだとユイナは計算していたが、予想外の返事が返ってきた。
「本当に脱出できるのかな」
「沈没を怖がってるなら安心して。元大工の人が設計したすごく丈夫な船だから」
「そうじゃなくて、海の向こうには行けないと思うんだ」
何ヶ月も船が通りかからない事実について考え抜いた結果、カミオは突飛な考えにたどり着いていた。
水平線の外から来るものがないのは、水平線で世界が途切れているからだ、と。
奇怪な論理を説かれたユイナは、目の前の男が怖くなってその場を去った。
数日後、ユイナは再びカミオに会いに来た。
「馬鹿馬鹿しいとは思ってたけど、あなたの言葉が気になって、やっぱり乗るのを止めたの。おかげで命拾いした。ありがとう」
夜中に出港した件の大型船が、潮の流れで浜辺に打ち揚げられたのだ。船員たちは例によって投獄されたが、乗船を直前で踏みとどまったユイナは無事だった。
妙な縁から二人は親しくなり、やがて結婚した。
それからというもの、カミオが浜辺で考え込むことは減り、積極的に歩き回るようになった。妻の協力のもと、島の地図を作り、動植物を記録し、星の動きを分析した。隣人たちはこの奇特な夫婦を遠巻きに眺めていた。
ユイナは双子の姉妹マナとミナを産むと他界した。姉妹は父親の教えを寝物語にすくすくと育った。
「宇宙機が墜落して、僕たちがこの島に取り残されたのが八年前。なのに今に至るまで船も飛行機も来ないし、島を出る試みもすべて失敗に終わった。なぜだと思う?」
「くうかんのだんそう」
姉妹が舌足らずに答えると、カミオは満足そうな笑みを浮かべた。
「そう、空間の断層によって島は外部と遮断されている。ここから脱出して故郷に帰るには、まず空間を理解しないといけない。それは宇宙や生命の謎を解くことに繋がる」
「こきょうにはなにがあるの?」
「アイスクリームがある。とても美味しいんだ」
美しく聡明な女性へと成長した姉妹は、アイスクリームなる至高の食品を味わうため、島の真実を追求すべきだと考えた。そのためには多くの人々の協力が必要だが、あまり公に動けば薬院の逆鱗に触れる恐れがある。
そこで姉のマナは、ごく少数の信頼できる人々を集め、大橋家の研究活動をサポートする秘密組織〈ICE〉を結成した。構成員たちは隣人の目を盗みながら、研究に用いるデータを密かに収集した。完璧な情報統制により、薬院政権には感知すらされなかったが、肝心の研究は遅々として進まなかった。
そんなんじゃ一生終わらないよ、と大胆な手に出たのは妹のミナだった。
薬院の長男ムロヤのもとへ嫁いだのである。
最高権力者の息子に取り入り、一家の研究を正式に認めさせるつもりだった。そんな打算的な結婚だったが、ムロヤはすでにミナの虜となっていた。
ある日の夜、ミナは研究のことを夫に話した。ムロヤは絶対に認めさせてみせると意気込み、さっそく父親のもとへ向かったが、結果としてムロヤは幽閉され、ミナは翌朝に処刑されることになった。
ちょうどそのころ、カミオは自宅の書斎で紙束の山に埋もれ、膨大で無秩序なデータを突き合わせる日課に勤しんでいた。
すると突然、目の前の数字の羅列が動き出し、意味を持った図形となってカミオの脳に飛び込んできた。あまりの驚きに椅子から転げ落ち、後頭部をしたたかに打った。
「ミナが殺される……」
カミオの予知能力が発現した瞬間である。
未来のために何をすべきかを完全に理解したカミオは、すぐさまマナを呼び、幻視した未来を語った。最初のうちはマナも半信半疑だったが、警備班に潜入していた〈ICE〉のスパイの報告を受けて表情を変えた。慌てふためくマナに、カミオは静かに言った。
「僕はこの宇宙の真理を知った。今からそれをおまえに伝える」
「こんな状況で?」
「全部を教える時間はない。ミナを救うのに必要なことを手短に話そう」
カミオは紙に炭のペンで複雑な図形を描きながら、猛烈な勢いで真理のほんの一端を説明した。その講義を理解できたのは、幼少から彼の英才教育を受けてきた姉妹だけだったことだろう。三本目のペンが消えたころには、マナは父のアイデアを完全に理解していた。自分が妹を救う力を手にしていることも知っていた。
さっそくマナは書斎から跳んだ。
狭苦しい独房に突如として現れた姉を、ミナは呆然とした顔で迎えた。
「お姉ちゃん、どこから……」
「自分がどこにでも存在できると気づいたの。ミナにも教えてあげる」
宇宙の真理の一端を教わり、瞬間移動能力を発現させたミナは、姉の制止を振り切って夫の独房へ跳んだ。驚く夫に、ミナは真理について懸命に説明した。生きている人間を連れては跳躍できないためだったが、熱弁虚しく、ムロヤには真理を理解できなかった。
まもなく異変を察知した看守に見つかり、ミナはとっさにその場から跳んだ。
「独房に侵入していた大橋の娘が、魔法のように消えた」
その知らせを受けた薬院は激怒し、息子を問い詰めた。宇宙の真理を知って妻が能力を得たのだとムロヤが白状すると、薬院は大橋家を始末するよう警備班に命じた。
家に戻ったマナが目にしたのは、後頭部の打撲傷がもとで瀕死の父の姿だった。
残された力で娘に遺言を託し、カミオはこと切れた。
警備班の精鋭が書斎へなだれ込んでくると、マナはとっさに山の頂上へ跳び、父の遺体をそこに埋葬した。
宇宙の真理に繋がる研究成果は、家とともに焼き払われた。
山頂で遠くの炎を睨みながらマナは涙を流した。
――ミナ、あなたと王宮を絶対に許さない。
そんな書き置きを墓の上に残して、マナは夜闇に掻き消えた。
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