第二部 ナルチスシティ

 果てしなく続く平凡な日々の中でも、人は何かしら楽しみを見つけなければ生きていけないものである。

 ラウリーはいつも一人、何面もある監視モニターのうちの一つを凝視し続けていた。監視モニターには一度に四×四の十六面が表示されている。モニター全体は一〇〇インチもあろうかという超大型スクリーンである。ラウリーが見つめていたのは、一番左端の下から二番目の画面だった。

 この画面にはゴルトムント島の南側の海岸が映し出されている。数百メートルはあろうかという砂浜はどうやらこの島の住民に最も愛されている場所らしく、たくさんの人がやってくるのがわかる。もっとも、この映像は、島の五キロほど南の海洋上に浮かぶ監視カメラの映像をデジタルズームしたものなので、海岸に来る一人一人の顔を見分けることまでは出来そうになかった。

 海の上に浮かぶカメラとはいえ、少しくらいの波があってもデジタル処理によりブレが補正されるので画面が揺れることはない。しかし、ときどきは大きな波をくらい、瞬間海中を映し出したり、水浸しになったレンズが青空を映し出すこともある。しかし、しばらくすると海上カメラは、ジャイロセンサによってすぐ元の位置に戻り、いつもの砂浜を写すことになる。

 この海岸にときどき、ピンク色のシャツを着た長い髪の女性が現れるのである。もちろん、このカメラの解像度では女性の顔立ちまではわからない。しかし、だからこそラウリーは妄想を膨らませ、このカメラの先にいる女性の姿を勝手に想像していたのであった。原始的で質素な暮らしを営むゴルトムント島の女性は、ラウリーの想像力を大きくかきたてた。特にこの長い髪の女性が醸し出す雰囲気は、画面のドットの粗さの窓を通しても、ラウリーにはとても魅力的に思えた。


 ラウリーは物心ついた頃から、ゴルトムント島に近いこのF島にあるゴルトムント島監視局に住み込んでいた。両親もゴルトムント島監視局員だった。両親は十年ほど前にこの任を解かれ、ナルチスシティに戻った。そしてこの島にラウリーだけが残され、それ以来、十年間一人でこの退屈な任務を続けている。

 もちろん、十年間ずっとこの島にいるわけではない。月に数日は任務の報告と親に会いに行くためにナルチスシティを訪れる。任務の報告といっても、実際には全てのデータはネットワークを通じてリアルタイムにナルチスシティに送られるわけだし、ラウリーが実際のところナルチスシティまで出向いて直接報告する必要は無いに等しい。それでも、わざわざその機会が与えられているのは、監視局員にたまにナルチスシティに帰郷させてあげようという当局のお情けなのであろう。

 さて、ゴルトムント島の監視といっても、報告する必要があるものはこの島に起こった自然災害や火事の類が中心である。しかしこれとても一年に数回もあるものではない。そこで実際には衛星写真を使って、定期的に家の数を数え現在の戸数を報告したり、新しい農業用施設が作られたことを報告したりするなど、島の生活ぶりを外側から観察した内容が最近ではほとんどとなっていた。

 しかし、ゴルトムント島監視の隠された本当の目的は、島から脱出した人間を捕獲することだ。ゴルトムント島での風俗や慣習は、ナルチスシティにおいて文化人類学的な研究材料としての需要がある。そこで何らかの理由でこの島を離れようとした人間を捕獲して、ナルチスシティに連れて行こうというのがこのゴルトムント島監視局の本当の目的であった。

 だが実際八十年ほど前にこの監視局が出来てからゴルトムント島を脱出して捕獲された人間はわずかに五名である。初めての捕獲者は恋人に振られて崖から飛び降りた女性だった。二人は漁に出て海流に流されてしまった者たち。そして残りの二人はいずれもゴルトムント島内で盗みなどを働き、島にいられなくなった人間である。この盗みを働いた男の一人は漁師で、自らの船に乗り込みゴルトムント島から脱出した。

 実はこの漁師はラウリーの祖父である。

 彼は監視局で捕獲された後、ナルチスシティに送られた。そこで、ゴルトムント島に関することをいろいろ伝えた。この内容は当時ナルチスシティでも広く知られ、評判になったほどである。しかし、その後、漁師の島への郷愁の思いは耐え難く、少しでもゴルトムント島のそばに居たいという希望から、彼はゴルトムント島の監視局員となった。ここでの監視の仕事が彼にとって良いものであったかは今や窺い知ることが出来ない。ナルチスシティで妻を見つけた彼は、この島で子供を授かることになった。そしてその子供もまたゴルトムント島監視局員となった。そして、さらにまたその子供であるラウリーが今こうして監視局員として働いている。

 ラウリーはここで十年働いているが、その間一度も脱島した者に遭遇したことが無い。ラウリーには、もはやそんなことは起こることなどないと思えた。島は楽園そのものだ。楽園の禁を犯した自分の爺さんのような者が現れぬ限り、脱島者を捕獲することはできないだろう。

 毎日この島を監視し続けているうちに、ラウリーのこの島への思い入れはどんどん大きくなっていった。人々は朝早く起き、赤道直下の炎天下の下、汗と土にまみれながら農作業を行う。子供は海岸を走り、海で泳ぎ、そして山の自然を感じる。女は陽気でいつも明るく開放的である。島の青年と若い女たちは愛し合い、結婚し、子孫を残すためにまぐわう。老人は知恵を後のものに伝え、若者の生きるべき道を説く。全ての人は感謝されつつ死んでいき、そして記憶の中に生き続ける。

 もちろん、どんな社会であっても、良いことばかりではないはずだ。しかし、モニター越しに見える島は、そんな当たり前のことも忘れさせるような美しさを湛え、ラウリーの妄想の中で天国のように美化されていた。


 ラウリーはその日もいつもどおり朝六時に起床し、監視システムを作動させた。本来ならば監視システムは二十四時間稼動させているべきだが、わずか一機しかない風力発電機で、ゴルトムント島の監視システムをフル稼働させるのは監視員にとって厳しい。電力量の総量を計算すると、一日のうち半分は冷房を付けるのを我慢しないといけなくなってしまうからである。この程度の発電量で監視体勢を取っていることは、ナルチスシティのゴルトムント島監視局に対する期待も、所詮その程度なのかもしれない。

 いつもなら、何事も起こらずスクリーンに十六面の監視モニターが表示されるはずだった。しかし、その日はちょっと違った。監視システムが立ち上がった後、突然警報を鳴らしてきたのである。

『ゴルトムント島から北東の沖合二十キロメートル付近に異常発見』

 十六面のモニターが表示された。そのうち、北側と東側を監視している八つのカメラの映像がレーダーの発見した異常に向かって方角を変えているのがわかる。しばらくして、それぞれのカメラは目的方向に達して動きを止めたが、残念ながらモニターには何も見えなかった。そのうちの一つのモニターは、方角的に真東になったらしく、ちょうど水平線から顔を出した太陽を映し出し、画面が朝焼けで真っ赤に染まっている。

 繰り返し、監視システムの警報が鳴っていた。

「おいおい、久しぶりにきやがったな」ラウリーは呟いた。

 ラウリーは起き掛けにこのような警報を聞かされて、寝ぼけ眼から一気に目が覚めてしまった。しかし、このような事態は決して稀なことではない。二、三ヶ月に一度ほど、システムが鯨などに反応することがある。そんなときは、一分ほど経つと警報が鳴り止み、いつもの状態に戻る。そこで、ラウリーはいつものように、警報が鳴り止むのをしばらく待っていた。

 しかし、今日は違った。

 警報は二分経っても、五分経っても鳴り止まなかった。

「いったい、どうなってるんだよ」次第にラウリーは狼狽し始めた。こんな事態は、ここに十年間勤めていて初めてのことである。ラウリーは自分自身に落ち着け、落ち着けと言い聞かせ、次に自分がやらねばならないことを一生懸命思い起こそうとした。しかし、あせればあせるほど、ラウリーの頭には何も思い浮かばない。ようやく思いついたことは、情報端末の電源を入れ、監視行動基準の文面を検索することくらいだった。

 キーボードを打つ手を震わしながらも、ラウリーが探し当てた文面には、次のように書かれていた。


《「異常発見」の警報が鳴った場合の措置

  一 監視モニターで異常個所を目視する。

  二 モニターで見つからなかった場合、ソナーセンサーを発動させ、

     異常理由を特定する。

  三 モニター及びソナーセンサーでも見つからなかった場合、

     無人ヘリコプターを使うこと。

     詳しくは無人ヘリコプターの利用方法を参照のこと。

  四 異常理由がゴルトムント島の脱島者で無かった場合、警報を解除し、

     その理由をすぐに報告すること。

  五 異常理由がゴルトムント島の脱島者だった場合は、

    「脱島者発見時の措置」の項を参照すること。》


 よく読んでみれば、昔に何度も読んだことがある文書である。これを見てようやくラウリーは落ち着くことができた。

 まずはモニターである。目を凝らして一生懸命見つめてみる。八つのうちで最も異常個所に近いモニターを見たが、何かあるような気もするのだが、どうしても特定することができない。これで、枯れ木などが浮いていたら、ラウリーはほっとするところだったが、残念ながら次のステップに向かわねばならない。

 ソナーセンサーは、ラウリーが覚えている限り、全く使ったことがない。ただし、端末上にボイスナビゲータを立ち上げれば、使えないこともないだろう。ラウリーはボイスナビゲータを起動し、端末に向かって話し始めた。

「ソナーセンサーを発動する」

『ソナーセンサーを発動します。よろしいですか』端末から返事がきた。

「やってくれ」

『場所を特定してください』

「いま、警報が異常を知らせている場所」これで伝わるか、ラウリーは少し不安になった。

『了解しました』

 あっさり伝わり拍子抜けした。

 とはいえ、ソナーセンサーを搭載した簡易無人潜水艇を発進させるのだから、そう簡単にことは進まないはずである。恐らく、その水域まで近づくのに二、三十分はかかりそうだ。ここでようやくラウリーは落ち着きを取り戻した。もしものことを考え、監視行動基準の『脱島者発見時の措置』をじっくり読むことにした。

 しかし、結果は意外と早くやってきた。

 約五分後、ソナーセンサーからの映像が入った。海面に細長い物体が浮いているのが見える。その形はどう考えても漁師が使う船であった。そして、細長い影の両側に定期的に小さな影が左右に現れるのが確認できた。

 誰かが船を漕いでいる!

 ソナーセンサーからの映像は、どう考えてもそうとしか思えなかった。ラウリーはついにこのときがやって来たという興奮から、心臓の鼓動が速まり、体中に緊張感が走っていくのがわかった。

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