降る蛍
斉木 緋冴。
冬の蛍
「冬の蛍を見つけると、願いが叶うんだって」
僕たちは小学校の帰りに、近所の川の河川敷に座っていた。僕は小学二年、幼馴染みの佳奈は、小学一年だった。
「ほたる? ほたるってなに?」
「虫だよ。お尻が緑色にぴかぴか光るんだ」
「光る虫なの? そんなの見たことないよ」
「でも、パパが言ってたんだ。冬の蛍を見つけたら、願いごとを叶えてもらえるんだって」
「ふうん。じゃあ、探しに行こうよ」
佳奈はそう言って、僕の手を握った。佳奈の手は少し冷たかった。
パパの話では、真冬の一番寒い日だけ、蛍がどこからともなく舞い降りてきて、地上に降り立つのだそうだ。その蛍を捕まえられれば、自分が祈って止まない願いごとを叶えてくれるんだと、言っていた。僕はその話を聞いた時、「蛍は夏の虫なんだから、冬にいるわけないよ」と口をとがらせた。パパは、「だから良いんじゃないか。いるかいないか分からないけど、見つけたら願い事を叶えてくれるんだぞ?」と、おかしそうに笑った。そんな物語みたいな話、僕には本当には思えなかったけど、佳奈は信じたみたいだった。佳奈のママは、もうずっと長い間、病気で寝たきりになっている。だからきっと、ママの病気が治ることを願っているんだと、僕は思った。
蛍は、綺麗な水が流れる小川にいると聞いた。佳奈と二人で川の近くを歩きながら、ずっと探した。土手の上からじゃ見えないから、と思って水際に寄ってみた。けど、近所のおばさんに見つかって、「落ちたらどうするの!」と大目玉を食らった。だから、川の近くは諦めて、川に掛かってる橋の上や、堤防の上から下を覗き込んで、探しに探した。でも、蛍は見つからなかった。
息が真っ白になるくらいに、寒くなっていた。蛍探しを始めてから、一ヶ月が経っていた。僕も佳奈も、小学校が終わるとすぐに待ち合わせして、毎日毎日蛍を探した。日一日と寒さが増してきて、とうとう雪が降り出しても、蛍は見つからない。僕はもうかなり飽きてきてしまっていたけど、佳奈は大真面目で探していた。
その年一番に冷え込んだ、ある日。僕たちは、近所のおじいちゃんが持っているという、雑木林に行ってみた。林は木がとても近くに生えていて、歩きにくかった。そしていつのまにか、日が傾いたのも気がつかないくらい、うっそうとしていた。
ふっと、木立ちが切れた。広場のようなところに出くわした。天には月が昇り、雪が降り積もっているその広場には、一本の大きな木が立っていた。広く伸びた枝が、雪で埋まっている地面に、薄い黒い影を落としていた。辺り一面、降り積もった雪できらきらしていた。耳が痛くなるほど、何の音も聞こえなかった。ただしんしんと雪が降り積もり、大きな木の下にだけ、湿った茶色い土が見えていた。僕たちは、木の根元に走って行って、たった一輪だけ思い出したように咲いている、白い小さなスノードロップの花を見つけた。僕たちは木の下に入って、そのスノードロップを挟んで座った。もう歩き疲れていて、とにかく座りたかったのだ。
「蛍……いないね……」
佳奈が口を開いた。僕は黙ってこくん、と頷いた。その時、ふわり、と小さくひらめくものが、目に入った。半分雲に覆われた月明かりに輝く、真っ白な雪と一緒に、緑色の小さな光が、いっせいに空から舞い降りてきたのだ。数え切れないくらいの、蛍の群れだった。緑色がふわりふわりと光る。
「佳奈! 蛍だよ! 願いごと! 願いごと言わなくちゃ!」
僕は興奮して、佳奈の肩を叩いた。佳奈は急いで降って来る蛍たちの下に立ち上がって、一匹の蛍を手に受けて、こう言った。
「ゆたかが、ずっとずっとしあわせでいられますように」
佳奈の言葉に応えるように、蛍は二度光って、死んだ。僕はびっくりして立ち上がった。豊は僕の名だ。
「佳奈! ママじゃないの? ママのことじゃないの?」
「ゆたか、ママはもう治らないの。あと何ヶ月かで、天国に行っちゃうの。だから、ママがいなくなったあと、ゆたかと一緒にいたい」
佳奈は泣いていなかった。僕の方が泣けてきて仕方なかった。僕は手に一匹の蛍を乗せて、
「佳奈がずっとずっとしあわせでいてくれますように」
と涙を零しながら祈った。心から、佳奈が愛しかった。佳奈が一人になったら、僕が守っていこう。
蛍は佳奈の時と同じように、二度光って死んだ。僕たちは、死んでしまった蛍をスノードロップの下に埋めて、手を繋いで座って、降って来る蛍たちをいつまでもいつまでも、眺めていた。
蛍を追いかけたあの冬の日から、十五年。僕たちはこの冬、結婚する。あの日と同じ、月明かりと雪の下で。
降る蛍 斉木 緋冴。 @hisae712
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