第7話


そのまま踵を返しこの場から立ち去ろうとする雪乃。その後ろ姿を呆然と見送る梓…ではなかった。


「ち、ちょっと待って」


ほぼ無意識に、反射的に呼び止めていた。梓の引き留める声を無視しそのまま去るのも一応予想していたが、意外、と言っては失礼か。既に数メートル歩いていた雪乃は呼び声で立ち止まり、そのままゆっくりと体の向きを変えた。そして姿勢を正し、改めてこちらを見据える。


「何か?」


突然呼び止めたため、迷惑そうな顔をされると思っていたのだが幸いなことにそういう表情ではなかった。何故呼び止めたのか分からない、と心底疑問に感じているように思えた。キョトン、という効果音が合いそうである。逆にあの言葉を聞かされて、そのまま帰る奴がいると思っていたのだろうか。普通なら気になって呼び止めることは予想できたはず。あるいは、聞かされた相手がどんな反応を示すかなんて考えることもしない、とか。


何も言わず黙ったままこちらに視線を向ける雪乃だが、その瞳からは「用があるなら早くしてほしい」と訴えているように感じられた。呼び止めておいて何も喋らないのも失礼なので、ややあってから口を開く。


「さっきの、他の人に頼むってどういう意味?聞き間違いじゃなければ俺に告白したよね」


「聞き間違いではありませんよ、私は結城さんに告白しました」


自分に告白したかどうかの確認という何とも気恥ずかしい行為を頬が赤くなるのを感じつつやり遂げたが、そんな梓の気持ちを汲み取ったのか間を置かずに雪乃は返答してくれたのは助かった。しかし、疑問は尽きることなく頭の中を駆け巡る。


「そして断られたので、別の方にお付き合いをしていただけないかどうか頼みに行く予定です」


ただでさえ?マークがたくさん浮かびつつあった脳内には、キャパオーバーするほどの疑問が凄まじい勢いで駆け巡っていた。それほどまでに雪乃の言葉の意味が何一つ理解できなかった。


どう言葉を返していいか分からず言い淀む。気を抜くと「何言ってんだこいつ」と初対面の女子に対しては些かきつい言葉を返してしまいそうだったからだ。普段使わない頭をフル回転させ、どうにか彼女の気分を害せず、それでいて梓の感じている疑問を解消する言葉を絞り出す。


「ごめん、俺の理解力が足りないせいで白瀬さんの言っていることが良く分からない。つまり俺が好きで告白したとかではなく、誰でもいいから手当たり次第に声をかけていると…?」


恐る恐る言葉を選びながら訊ねる。そして言った後で後悔した。「誰でもいいから手当たり次第に声をかけているのか」とは、男なら誰でもいいから付き合いたいのか、と聞いているのと同じではないか。女子に言っていい言葉ではない。人によっては怒り狂うだろう。しかし、彼女の言葉から現状導き出すのが可能な結論がそれしかない。


それと同時に「俺の事が好きで告白したわけではないのか」という漫画でしか見たことのない台詞をまさか自分が言う羽目になるとは、と小さくため息を吐く。そして2度目だが、恥ずかしさで頬が熱を持ち始める。


気まずさから目を伏せていたが雪乃の反応を見るために顔を上げる。雪乃は梓の失礼な問いに恥ずかしがるでも、怒りを露わにするでもない。変わらず涼し気なツンとした表情をしている。違う点と言えば大きな瞳を伏せ、何やら考えているようで首を傾げているところか。何を考えているのか読むことが出来ず、梓は雪乃が口を開くまでの僅かな時間ですら居心地の悪さを味わうことになった。


そして梓は雪乃が自分の問いを否定することを期待していた。何故なら雪乃は自分と「同類」だと勝手に思っていたからだ。雪乃と梓のモテ方にはかなりの差があるが、「恋愛に興味が持てない」「恋愛に興味がない」という点においては微かに親近感を感じていた。


だからこそどんな理由があるかは分からないが、雪乃が男なら誰でもいいから声をかけている、という一歩間違えなくてもだらしないやつ、と見下されかねないことをしているという事実は受け入れがたかった。勝手な言い分だが裏切られた気分だった。


懇願するように雪乃の目を見据える。そんな梓の気持ちなぞ知る由もない雪乃は何でもないことのように答える。


「そうですね、おおむねその通りです」


期待は木っ端みじんに砕かれた。口元がひくひくと引きつりそうになるのも感じつつ「へえ」とだけ相槌を打つ。マジか、と口だけ小さく動かす。あんなに男に興味ありませんといった振る舞いをしていたというのに、人は見かけだけで判断しては駄目ということか。人にはどんな裏の顔があろうが自由だが、頭では理解していても本能が理解することを拒否している。


勝手に同類扱いし、想像と違い勝手に失望すると言う自分勝手甚だしい行為を自分が無意識に行っていたことに梓は嫌悪感を抱いた。それはかつて短期間付き合った彼女や自分に付きまとっていた女子と変わらなかったからだ。ああはなりたくないと反面教師にしていたにも関わらず、結局はそうなってしまった。


雪乃と話している途中だが、遠い目をし自己嫌悪に陥る梓。そんな梓は雪乃の「あ」という何かに気づいたような小さな声で我に返る。雪乃の様子を窺うと、先ほどと変わらず表情自体に大きな変化は見られないが、微かに目を伏せ眉をひそめていた。


そして突然「結城さん」と声をかけられ目線が合う。そこには気だるげではない、何やらキリッと引き締まった表情の雪乃がいた。つられて梓も身構える。


「申し訳ありません、言葉が取りませんでしたね。恐らく結城さんは私の事を誤解しているでしょう」

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