第三章:氷の園に這い出る悪魔 4
ASU浮遊城内の中心にある建物は、丸く太い円盤を縦に重ねた積層構造になっている。人類初のいわゆる積層都市だった。人口増加に伴い、都市を積層構造にすることによって土地面積を広げることに成功したのだ。この技術を利用して、人口爆発が起きている地域では、ASUと同じく積層都市を作り上げている場所も多い。
弓鶴は浮遊都市の第一層、噴水が置かれた中央広場に転移してきた。ラファランらはすぐに再度転移し戦場へ向かった。
夜であっても、積層都市はビルの明かりに溢れていてちっとも夜に感じない。ぐるりと広場を見渡すと、ブリジット達の姿があった。弓鶴を見つけてにやにやと嫌な笑いを浮かべていた。
「やあ、命令違反者の弓鶴じゃないか。活躍は聞いてるぞ」
口元に笑みを浮かべたままブリジットがやって来る。弓鶴としてはばつが悪い。
「悪かったよ……」
「まあ、アイシアに散々言われただろうからね。我から言うのはやめておくよ。それに、どうせ弓鶴のことだ。ちっとも反省してないだろう?」
見事に言い当てられてはぐうの音も出ない。
「まあな。たぶん同じ状況ならまたやる」
「なんにせよ、今回はなかったことにするさ。ちゃんと勝ってきたようだし。我としてもふたりを失うと困るからね」
そう言って、ブリジットがウィンクする。それに、と少し身体を震わせた彼が続けて言った。
「弓鶴を殺したらどんな方法を使ってでも我を殺すって、アイシアが脅しをかけてきたよ……。一体何があったんだい?」
どうやらアイシアは、説得ではなく脅迫をしたらしい。魔法使いらしい方法に、弓鶴は思わず笑う。その様子にブリジットは不思議顔だ。
「……早く円珠を見つけて帰りたいです。カルボナーラが食べたい……」
ライフルを抱えたラファエルがぼそっと呟いた。
「円珠はグリーンランドにいるっていうが、結局そのどこにいるんだ? ただでさえ広いここを虱潰しに探すわけにはいかないだろ」
弓鶴の問いにブリジットが答える。
「当てはないわけじゃない。ただし、その当てが戦場にあるんだよなあ……」
ものすごく気乗りしなさそうにブリジットを見て、弓鶴は嫌な予感がした。大抵こういうときの予感は当たるのだ。
「つまり、フェリクスに訊くしかないね」
「戦場のど真ん中ですね!」
オットーだけがひとり喜んでいた。
円珠庵を助けにはるばる日本からやってきたというのに、結局居場所が分からず拉致した当人の訊くしかない。とんだ間抜けだ。
蔑んだ視線で見やると、ブリジットが慌てたように言った。
「待て弓鶴! 一応ちゃんと訳がある! さすがに伯母上の精神追跡も無理だし、グリーンランド側の情報網も全部説話魔導師側に注力されてる! つまりだ、円珠を助けるには我らしか動けないということだ。そして、その我らには情報がない」
「で、それで結局フェリクスに訊くわけか……。ASUってアホなのか……?」
弓鶴が呆れていると、ブリジットが仕方ないというように肩をすくめた。
「それだけの危機だということだよ。フェリクスはどうやらあの《レメゲトン》を出してきたみたいだ。《二十四法院》の慌てっぷりはひどいだろうね」
そこで、ブリジット以外の三人が頭上に疑問符を浮かべた。どうやらラファエルやオットーも知らないみたいだ。
「たまにその単語を聞くんだが、《レメゲトン》ってなんだ?」
三人の視線がブリジットに集中する。彼が人差し指を立てて説明を始めた。
「説話魔導師がかつての《連合》に戦いを挑んだ話は知っているだろう? そのときに使用された魔導書が《レメゲトン》さ。当時の《二十四法院》だった最高位魔導師が作ったとされる魔導書。ソロモン王が使役した七十二の悪魔がそれぞれ頁ごとに封じられているとされ、その力は悪魔一体で超高位魔導師を超えるとされている。正真正銘のグリモワールだね」
ぞっとした。超高位魔導師を超える存在が七十二体も現れれば現代社会は終わる。
「その力はあまりに凄まじく、魔法が現実に適用されず恒常性によって消される時代ですら、一都市を滅ぼした。だから《連合》は戦いが終結した後、《レメゲトン》を封じた。頁ごと一枚一枚、偏執的とまで言われるほど多重に封印処理を施した。それを行ったのが《二十四法院》穏健派筆頭、概念魔導師ルーベンソン殿さ」
「その封印されている書をなぜフェリクスが持っているのです?」
オットーの問いにブリジットが返す。
「《連合》からASUへ変わる際に散逸したのさ。処理が甘かったのか、誰かが関わっていたのかは不明だけどね。だから重犯罪魔導師対策室が秘密裏に回収して回ってるのさ」
最悪の想像が弓鶴の脳裏に浮かぶ。
「つまりなんだ? フェリクスはその物騒な七十二体の悪魔を召喚できるってことか?」
いや、とブリジットが首を振る。
「状況から推察するに、おそらく持っているのは三頁だけさ。世界を放浪している間に探し出して見つけたんだろうね」
「それでも超高位魔導師三人分……帰りたくなってきました……」
ラファエルがげんなりした表情で言った。弓鶴としても同じ気分だ。超高位魔導師と関わるとろくなことが無い。そもそも力量差がアリとゾウ以上に離れているのだ。勝てるはずがない。
それでも、警護対象を救うためには動くしかない。
「まあ、腹を括るか。円珠を救出してISIAへ引き渡すまでが俺たちの仕事だ」
「まさか命令違反者の弓鶴に言われるとはねえ」
ブリジットが再びにたにたと笑うが、すぐに真面目な表情に戻る。
「とはいえ、事実として弓鶴の言う通りだ。仕方ないけど戦場に行こうか」
「ならさっき一緒に転移してもらえば良かったのでは?」
オットーが当然のことを言った。目的地が一緒ならば転移魔法で連れて行ってもらった方が遥かに早い。だが、ブリジットがそれを否定した。
「ラファラン殿は甘いからね、危険だってことで確実に止められるさ。むしろ我らなんて足手まといだろうし。だけどまあ、我らもASUだからねえ……」
ブリジットが続けようとした言葉を珍しくラファエルが引き取る。
「ASUの服務規程に撤退の二文字はないです……。超高位魔導師に、それに準ずる悪魔三体、そして説話魔導師の大群……。帰りたいです……。でも未来の旦那さんを見つけるためには頑張ります」
戦場で見つけるのは難しいんじゃないだろうか、という科白を弓鶴は飲み込んだ。なかなかやる気を出さないラファエルが少しは乗り気なのだ。ブリジットはおろか、オットーですら口を挟まない。
「では行こうか。幸い戦場はここからさして離れてないみたいだ。ヒーローは遅れてやってくる、というのを地で行こうじゃないか」
ブリジットが茶化して言う。だが、その額には汗があった。超高位魔導師らの戦いに行けば生き残れる確率などたかが知れている。ほぼ確実に死ぬだろう。それでも、いままでこのメンバーでなんとかなってきたのだ。アイシアがいないのが悔やまれるが、それも仕方あるまい。
ブリジットの号令に従ってAWSを起動する。弓鶴たちは壮絶な覚悟の下、人外の戦場へ向かった。
◇◆◇
フェリクスの邸宅前で説話魔導師らを憎らし気に見送った杉下弘樹は、なにをやれるのかと己に問うていた。考えても考えても出来ることが見つからず、心がどんどん腐っていくのを感じた。
いっそやけになってこのヌークで暴れてやろうかと思った。そんなことに何の意味があるのかと、冷静な部分が指摘する。
もう諦めるときだった。ISIAはどんな形であれ支持を失う。それでいいではないかと、心の甘い部分が耳で囁く。
これで父の無念が晴れるのだろうか。弘樹にとって、魔法使いへの憎しみの原動力は父の死だ。だが、改めて考えると、あの父がこんな方法を取ることを良しとするとは思えなかった。急に、羅針盤を失った船のように目的地が分からなくなった。
ふらふらと吸い寄せられるようにフェリクスの邸宅へ入った。中にはフェリクスが拉致した説話魔導師の候補者である円珠庵がいる。話を聞いてみたいと思った。
邸宅のリビングへ入ると、円珠がソファに腰かけ端末に目を落としていた。弘樹に気づいて顔を上げた彼女が、怪訝な顔をした。
「あなたは……?」
「杉下弘樹、日本人だ」
円珠の警戒心が無くなったのを見て、やはり日本人は平和ボケしているなと弘樹は思った。彼は、同じ民族同士で争う姿を何度も見てきたのだ。だが、もとより危害を加えるつもりはない。彼は魔法使いを殺すことを目的のひとつとしているが、魔法使い候補者は対象外だ。候補者の未来も一様に明るくないことを知ってしまったから、どう対応していいのか自分の中で整理がついていなかった。
「魔法使いになった気分はどうだ?」
何気ない弘樹の質問に、円珠は表情を暗くした。
「分かりません。少なくとも、良かったとは思えません」
「だろうな」
その説話の現状と未来を憂いたフェリクスが立ち上がり、今まさにASUと戦っているのだ。良かったと思えるのならそいつはただの阿呆だ。
円珠が弘樹を見る。
「魔法使いってなんですか?」
「隣人であり、理解できない人種だ。あれの思考回路を理解することは到底できないだろうな」
「同じ人間じゃないですか」
「人間同士でどれだけ争ってきたと思っている? 文化の違い、宗教の違い、思想の違い、それがなんであろうが争いの種になる。人類皆兄弟という科白を聞いたことがあるが、そんなものはバカが抱いた理想論だ。現実は違う」
「話し合いじゃ解決できないんですか?」
「日本人の悪い癖だな。お前らは話し合えばなんとかなると本気で思っている。それは幻想だ。話し合うにはまずお互いを脅かす武力がいる。それを背景にしてようやく対等な立場で話し合いができる。なんの武力も持たず、ただ話し合おうだなんていうのは、自分を殺してくれと言っているも同然だ。そして魔法使いは、ひとりで群衆を簡単に殺せるだけの武力を持った個人だ。しかもその思考体系が人類と違う。単純に話し合うなど到底無理だ」
「私は人間です!」
円珠が叫んだ。一般人が語る魔法使いは生粋の魔法使いであることが多い。そして、事実生粋の魔法使いは頭のネジが二三本は外れている。魔法使い候補者にとって、生粋の魔法使いと並べられ、暴言を吐かれることは己すべてを否定されるに等しい暴挙だ。
弘樹もさすがに口が過ぎたと思い、言葉を選ぶ。相手は候補者になったばかりの高校生だ。子ども相手に何をやっているんだと思った。
「そうだな。魔法使い候補者は人だ。だが、見えているんだろ? 俺たちが見ている世界とは別の説話の世界とやらを。いずれお前もそれに引っ張られる。そうなれば人の価値観と魔法使いの価値観の板挟みになる。説話の未来を考えれば、地獄だな」
円珠が立ち上がる。表情には怒りが生まれていた。涙を流し、大きく息を吸った彼女が怒鳴った。
「なんなんですか! 私はどうしたらいいんですか! 誰も彼も説話は使えない、未来がないって言って! 私はただ本の魔法が使えるようになるって嬉しかったのに! なんでみんな知りもしない私の未来を馬鹿にするんですか! 私の未来は私だけのものです! 素敵な未来が待っているかもしれないじゃないですか! 他の誰にも馬鹿になんてして欲しくない!」
円珠の悲痛の訴えを受けた弘樹は、どうしたらいいかも分からず頭を掻いた。大人は、円珠の言う素敵な未来ばかりではないことを知っている。だから、お節介だとは思っても言ってしまう。最悪の道を歩んでしまう前に、真っ当な未来へと進んでもらいたくて。それは大人の親切心でもあり、エゴでもある。
現実を知ることはとても大事なことだ。だが、知る必要のない現実を知り、未来を絶望させることは果たして正しいことなのだろうか。
なんだこれは、と弘樹は思った。魔法使いを殺そうと日本にやってきて、アイシアに言い負かされ戦いでも負け、あげくグリーンランドに来て魔法使い候補者と言い合っている。やっていることがちぐはぐだ。まるで、最初に選択した道が誤っていたから、いまになってその結果が連続して突き付けられているようだ。
弘樹は現実を知り、魔法使いに対して怒った。選んだ道は復讐だった。彼に誰かを導くことなどできない。彼が歩んできた道は、誰も幸せにすることなどない、血塗られた道だからだ。それは本人がよく知っている。発展途上国で紛争に参加し、魔法使いを狩り続けてきた彼に残っているのは、怒りと人を殺す技術だけだ。
ふいに、とてつもない後悔に襲われた。それは巨大な津波となって弘樹の心を大きく揺さぶった。
もし、あのとき怒りを抱きながらも、社会人となって人々の雇用を生み出すような仕事を目指すことができたのなら。もしあのとき、魔法使いなんて見返してやると別の方向にやる気を見いだしていたとしたら、いま自分が立つこの場所は、なにか変化していたのだろうか。
後悔など馬鹿げている。そんなものは当の昔に済ませた。なのに、考えずにはいられない。人は後悔をする生き物だからだ。簡単に逃げられるほど、後悔という名の死神の足は遅くはない。
円珠が持つ端末から、わっと民衆が騒ぐ声が響いた。
円珠が弘樹から目を離して端末へ視線を落とす。
「……アイシアさん」
その声を聞いた弘樹も端末を開く。ニュースメディアに再びアイシアが現れていた。場所は先と同じ秋葉原だった。紺のジャケットに白のインナー、そして青いスカートを履いた彼女が、民衆の前で口を開く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます