第三章:氷の園に這い出る悪魔 5
「申し訳ありません。お騒がせしました」
ステージに立ったアイシアは、頭を下げて民衆に謝った。正直、いまの自分になにができるかは分からない。口だって達者ではなく、いまも何を言えば良いのか整理もついていない。
民衆が歓声を上げてアイシアへ視線を注いでいる。さっきまで戦闘が行われていたというのに、それがまるで予定されていたショーだったかのような暢気さだ。スタッフはおろか司会者ですら笑みを浮かべている。
気味が悪かった。
いま、説話魔導師が、ASUが、己の威信と未来を賭けて戦っている。だというのに、ここに集う民衆はそんなことなど欠片も知らない。眼前で戦いが起きていたというのにも関わらず、こうしてアイドルを見る目でステージ上のアイシアへ声や視線を投げかけているのだ。
アイシアは、観衆をじっくりと眺めて口を開く。
「いま、ASUは戦っています」
急に水を打ったように静かになった。アイシアの声を一言も聞き漏らさんと黙っているのだ。彼女は丁度いいとばかりに言葉を放る。
「私の仲間が戦っています。戦いの理由は単純です。一部の魔法使いに未来がないからです。だから、そんな魔法使いのために立ち上がった人がいました。その人たちとASUは、いま戦っています」
ISIA職員が慌てている姿を目の端に捉える。無視した。
「みなさん。魔法使いになれば幸せだと思いますか? 魔法が使えれば、なんだってできると思っていますか? はっきりと申し上げます。それは勘違いです」
会場に動揺が走る。それすらなかったことにしてアイシアは続ける。
「魔法が世界に生まれて三十五年が経ちました。魔法によって世界は激変しました。より豊かに、より自由に、より高度に発展しました。その代わり、この変化で多くの人の未来も捨てられました。魔法が職を奪いました、そして、時代と魔法使いの方針が、魔法使いからも職を取り上げました。みなさん、知っていますか? 魔法使いも、役立たずだと判断されたら職にあぶれるんですよ?」
そこでようやくISIA職員が動いた。アイシアの腕を取って、その場から退去しようとし始めたのだ。それを振り切って彼女は声を張った。演説を中断させようとしたISIA職員が、観客からブーイングされる。
「魔法使いも人と同じです。魔法を嫌う人達は知ってください。魔法使いも、現代社会と併合して逆に貧しくなった者もいるのです」
スタッフたちがISIA職員を押さえる。
「魔法使いは人と価値観が違います。知覚の半分を魔法世界に置いているからです。私たちは人であると同時に、魔法使いという別の生き物なのです。それは理解してください。そのうえでお願いします。魔法使いを理解してください。私たちもあなたがたを理解します。きっと、まだ本当の意味でお互いのことを理解していないのだと思います」
民衆がアイシアの言葉に聞き入る。きっと脈絡のない、言いたい事だけを連ねた不格好な言葉だ。それでも聞いてくれるのならば、言葉を重ねたかった。
「魔法使い候補者のみなさん。魔法に過度な期待はしないで下さい。魔法にもできることできないことがあります。向き不向きのようなものだと思ってください。努力しなければいらない者扱いされます。だから魔法使い候補者のみなさんは努力してください。そうやって成功した魔法使いを私は知っています」
きっとどこかで聞いている円珠庵に向けて言う。
「魔法使いになったら、きっとたくさん苦労します。不遇な魔法体系だってあります。でも、決して腐らないで下さい。魔法は才能の世界です。それは認めます。ですが、努力しなければその才能も開花しません。魔法使いは皆どんな形であれ努力しています。だからみなさんもがんばって下さい。そしていつか、誰もが安心して暮らせる未来を作りましょう。人も、魔法使いも、この世を謳歌する権利を持っているのですから」
言っていることは単純だ。腐るな。努力しろ。頑張れ。ただそれだけだ。美辞麗句でそれを飾っているに過ぎない。誰もが心の底では思っている言葉を代弁しただけだ。
今の世は、嫌な社会だ。競争が激化し、他人を蹴落としてでも上に登らなければ食い詰める。そうやって経済を回し、進歩していく。それが資本主義だからだ。
アイシアもこのすべてが間違っているとは思わない。努力のしない者、なにもしない者、そんな者たちが落ちていく様を何度も見てきた。それを惰弱だと心の中で吐き捨てた。自分で自分の首を絞めておきながら、それを社会のせいにすることが理解できなかった。なぜもっと向上心を持たない、なぜもっと努力しない、なぜ、なぜ、なぜ?
それにはきっと理由がある。向上心を持つのも才能だ。努力をするのも、頑張ることだってある種の才能だ。やる気を出すことだって、あるいはそうかもしれない。
世界には色々な人がいる。アイシアのような価値観で生きている人たちだけではない。
今日はそれに助けられた。己の命を賭けて助けてくれた人がいた。馬鹿だと思った。ちゃんと仕事をしろと思った。そんなこと教えてないと嘆いた。
でも、嬉しかったのだ。心を動かされた。生粋の魔法使いと新たに生まれた魔法使いという溝が、少しだけ埋まった気がした。もっと歩み寄れるのではないかと期待できた。
ならば、人と魔法使いだってきっと理解し合える。そんな風に思えた。
「だからどうかみなさん、対話をして下さい。魔法使いも、いつまでも人を見下してなんかいないで対等に話してください。我々は、この地に住まう隣人同士なのですから」
この演説が良かったのか分からない。途中からは変に熱が篭ってしまった。それでも、拍手が起きた。万雷の拍手がアイシアを称えていた。それが、どうしてか妙に嬉しかった。
◇◆◇
リューシエンの視界にフェリクスが迫る。獰猛な肉食獣の笑みを浮かべた鷹の男が、白金の剣を振りかぶる。
突如、ふたりの間に深紅のローブが割って入った。ぬらりと、暗黒の壁がリューシエンとフェリクスの間を隔てる。それは、因果魔法による防御結界。《時流制御》により時間の流れを〇にすると、光すら逃さない時間が停滞した空間を生み出すことができる。
フェリクスが鋭角機動で時間の壁から逃れた。触れればそれだけで動きを止められるからだ。
「ラファラン殿!」
リューシエンの歓喜の叫びにラファランは答えず、クローセルへと視線を投げる。悪魔がいままさに氷の豪雨を振らさんとしているところだった。
そこに、太陽が生まれた。摂氏一億度を超える天の炎が、氷など一瞬で蒸発させ、大気をプラズマ化しながら燃やし尽くしていく。精霊体系の《電磁結合》によって生み出された核融合の炎が、絶妙な制御でクローセルを飲み込んだ。
太陽の遥か上空には、アリーシャが雷の女王となって核融合を支配していた。
「リュー! アリーシャを援護しろ! なんとしてでもクローセルを倒せ!」
ラファランが叫び、肉薄してきたフェリクスに向き直った。両手にはチェコ製の拳銃CZが握られていた。
ラファランが《時流制御》を展開。その速度はアイシアを優に超える百倍だ。更に魔法的照準を《因果収束》でフェリクスへ定める。拳銃を連続発砲しつつ超高速機動を開始。実に一万倍のエネルギーを宿した銃弾がフェリクスへ放たれる。
フェリクスが銃弾を避けるべく即座に右に高速旋回。しかし、百倍速の弾丸も軌道を変えて彼を追尾する。鷹の男の口元に愉し気な笑み。
通常、《因果収束》で設定できる的は、使用者からの距離と方向による相対的なものだ。だから的が動けば当たらない。
しかし、ラファラン級の因果魔導師になると、《因果収束》によって照準した的は、どこへ逃げようが的であり続ける。つまり、《魔弾の射手》と同じように、狙った的に必中する魔弾を実現することができる。
九ミリパラベラム弾であろうと、百倍の速度かつ空気抵抗など無視して速度が下がらない魔弾は、超高位魔導師であるフェリクスにとっても脅威の攻撃だ。当然、エアリアルを使って防御に回る。
説話魔導師を有利にしていた嵐が消えた。エアリアルが全力を防御に注ぎ始めたのだ。
「いかん! レライエとやらが動いた! アリーシャへ向かっておるぞ!」
端末を通して、ステファンの声がラファランの耳に届く。視線をアリーシャへ向ける。彼女はまだ核融合魔法を展開している。リューシエンが《易経連鎖》と《道(たお)》を駆使して核融合の火力を増大させているが、《レメゲトン》の悪魔クローセルはまだ消滅していないようだ。
ラファランは即座に指示を出す。
「ジャンヌ、レライエを何とかしろ!」
「無理だ! こいつ、魔法が効かない!」
既にジャンヌは高速飛翔するレライエへ律法魔法を重ね掛けしていた。そのすべてが無効化されているのだ。
逡巡。すぐに結論を出す。
「交代だジャンヌ! フェリクスを対応しろ! ステファン老もフェリクスを頼みます!」
「了解」ジャンヌがすぐさまフェリクスへ向かう。
「あれの相手はしんどかったからのお。フェリクスで憂さ晴らしするか」ステファンも魔法を展開し始める。
ラファランは宙を蹴って移動を開始。レライエの速度が速い。アリーシャとリューシエンはクローセルへの攻撃で手一杯だ。百倍速でも間に合わない。
すぐさま魔法転移でレライエの眼前に踊り出る。拳銃を棄てて腰に差した小太刀を抜き放つ。美しい波紋を露わにした刀身を光らせ、横凪一閃。
このとき、この戦いで初めてレライエが防御に動いた。弓を使って小太刀の横凪を捌いたのだ。
その隙をついて左手をレライエの胸に打ち付け、魔法を発動。《時流制御》の応用による《空間操作》がレライエを中心として圧搾を開始。
悪寒。
《時間観測》によって自らが死ぬ様を幻視したラファランは、即座に魔法転移で距離を取る。寸前までいた場所に、光の剣が伸びていた。よく見れば、レライエの周囲には光の球体が無数に浮いている。光の剣は、その球体のひとつが伸びてできたものだった。
レライエが弓を引く。収束した光が矢を形成。ラファランへ向けて放たれる。時間の壁でそれを防いだラファランがぼやく。
「おい、突破口が見つかったと思ったら近接戦までできるのかよ。どんな悪魔だ。参った、弓鶴を連れてくれば良かった……!」
ラファランらの登場によって戦力的にASU側に傾いたと思われたが、実際はまだ劣勢状態だ。レライエが厄介だった。この悪魔には魔法が効かないのではない。遠距離攻撃が効かないのだ。
つまり、近接戦を挑むしかない。だが、その近接戦を専門とする魔法使いがこの場にいない。そもそも、世界中どこを探してもそんな酔狂な魔法使いはほぼ皆無だ。
当然だ。
魔法使いが近接戦をするなど常軌を逸している。その例外がフェリクスと弓鶴、そしてアリーシャと天命体形の《二十四法院》カルラだった。フェリクスは敵に回り、弓鶴はこの場にいない。アリーシャはクローセルを相手にしている。カルラに至っては戦場に来ることなどないだろう。《二十四法院》は死を恐れて動こうとしない魔法使いが多すぎる。
すなわち、いまこの瞬間、レライエを攻略する手立てがない。
「呪うぞフェリクス。これほどオーバンが死んだことを後悔した日はない」
レライエを倒すには、放たれる矢を退け、近づいてあの光の剣を掻いくぐって叩くしかない。ラファランひとりでは無理だ。
だが、アリーシャがここに加われば状況は動く。クローセルを倒せるかどうかがこの勝負の分かれ目だった。
そんなときだ。三度世界が悲鳴を上げた。
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