第三章:氷の園に這い出る悪魔 3
「これは参った。魔法が効かんとは。一体何の書を使っているのか。いやはや、物語には疎くて分からん」
ステファンが暢気に笑って魔法を放ちながら言った。逆に、リューシエンは完全に焦っていた。頼みのステファンの魔法すらかき消されるのは完全に想定外だったのだ。
「《レメゲトン》ですステファン老!」
「ソロモンのなんちゃらだろう?」
「《レメゲトン》第一章ゴエティアに記された、ソロモン王が使役した七十二の悪魔です!」
リューシエンが詳しいのは、重犯罪魔導師対策室の仕事のひとつに、散逸した《レメゲトン》の頁を集める業務があるからだ。更に、因縁の相手でもある《ベルベット》も《レメゲトン》の収集を目論んでいる節がある。戦闘が長引けば《レメゲトン》の存在に《ベルベット》は気づく。つまり、いま最大級の危機が起きているのだ。
「いやあ、聞いてはいたが、普通あそこまでとは分からんだろう。一応あれを使って動けた相手はおりゃあせんのだがなあ。ルーベンソンの秘密主義には参ったものよ」
いまやステファンは呵々と笑っていた。絶望したのではない。想定外の魔法に沸き立っているのだ。《連合》時代から戦場にいた魔法使いは、基本的に好戦的な性格の持ち主が多い。彼もそのひとりだ。
「さて、あちらさんも来るぞ? 一度守勢に回るかの。ほれリュー。さっさと《両義》を使えい。全滅するぞ?」
言われる前に、リューシエンは《両義》を展開していた。
対極体系は、“対極の属性によって世界は作られた”という観点から世界を記述する魔法だ。
対極魔導師にとって、世界は陰と陽のふたつの属性から成り立っているため、これを基盤にして魔法を引き出す。
《両義》とは、敵の攻撃に反応し対極のモノを生み出す空間を作り出す超高位魔法だ。防御に使用した場合のその力は、秘跡魔導師の《聖域》を超え、事実上物質、観念、概念を問わず魔法使いに害するあらゆるものが結界に触れた瞬間対極の存在によって消滅させられる。いわば最強の矛であり最強の盾だ。
新緑の狩人レライエが弓を構え、弦を引く。すると、光が収束し矢が形成される。光の矢が放たれる。同時、幾十もの矢に分かれた。
超高位魔導師であるリューシエンは、新緑の狩人が撃った矢の力を分析していた。一本一本に込められた威力は、恐らくは先に彼らが放った極大魔法と同等かそれ以上。ただの光の矢ごときが内包していい破壊力ではない。まさに悪魔。
矢の大群が《両義》に接触。一瞬にして霧散。しかし、《両義》も消え去る。
《両義》は事実上最強格の結界と目されるてはいるが、どんな強力な魔法にも弱点はある。一度対消滅反応をした《両義》は消えるのだ。持続するには《両義》を連続して展開しなければならない。つまり、飽和攻撃に弱い。
「散開せよ!」
ステファンの号令によりASU魔導師が散る。直後、レライエによる矢が放たれた。再び無数に分かれた矢が、分散したASU魔導師へと正確無比に襲い掛かる。
矢の射線に入ったASU魔導師らが即座に魔法で迎撃に掛かる。
その危険性に気づいたリューシエンが叫ぶ。
「無駄だ! 避けろ!」
魔法で矢を撃った瞬間、極光が弾けた。猛烈な光量を放ちながら一瞬にして広がらんとしたその輝きを、ステファンが《概念殺し》で括ってことごとく殺した。リューシエンは、その神業もさることながら、敵の攻撃の威力に慄いた。目算で半径一キロメートルを薙ぎ払うだけの威力を持っていたのだ。たかが一本一本の矢がだ。
レライエが三発目の矢をつがえる。
「あの悪魔はわしがやる! リューはフェリクスをやれ!」
リューシエンは指示に従い照準をフェリクスへ合わせる。直後、爆発でもしたかのように、彼の周囲からフェリクス目がけ白線が一気に引かれた。
対極体系とは、“対極の属性によって世界は作られた”という観点から世界を記述する魔法だ。対極魔導師にとって、世界は陰と陽のふたつの属性から成り立っているため、これを基盤にして魔法を引き出す。この白線は対極線と呼ばれ、陰と陽を示し反転させるための媒体だ。これは始点の性質を反転させ、それに対応した性質を終点に押し付ける。
起点である大気から“気体”という性質を引き出した白線が、急激に黒色に塗り替えられる。フェリクスの周囲に繋がった黒線が、対極性質を発現。“気体”の対極である“固体”へ反転された大気が瞬間的に凍り、直径百メートル規模の巨大な氷を無数に生み出す。
大気の主成分は窒素だ。窒素の凝固点である摂氏マイナス二一〇度以下まで瞬時に冷却されたのだ。
当然、フェリクスは旋回してそれを避けた。対極魔法は、魔法の起点と終点を線で結ぶ必要があるため、どうしても一手遅れる。つまり、相手からすれば確実に発動する場所が分かるため遠距離攻撃が苦手なのだ。
それでも、飽和攻撃を得意とする対極魔法の物量はあまりに多い。リューシエンが生み出した白線の数は千を超える。フェリクスの機動を読んで逃げ場を塞ぐように白線で空間を埋めていく。巨大な氷が極寒の空域を狭めていく。
しかし、フェリクスの表情に焦りはない。大気の精霊エアリアルを用いた超高速三次元機動で、対極魔法を悠々と避けていく。
魔法使いの戦闘では、基本的に上位の魔法使いを先頭に立て、相手を薙ぎ払う単純な戦術が取られることが多い。それが超高位魔導師ともなれば、放つ魔法の威力が現代兵器でいう核兵器と同等かそれ以上にもなる。ただひとり存在するだけで戦局が左右されるのだ。こざかしい戦術など超高位魔導師がひとりいるだけで無意味となる。
現在の戦線の構図は、リューシエン対フェリクス、ステファン対レライエ、ASU魔導師対説話魔導師だ。魔導師らのどちらかが崩れれば大勢は変わる。そして、超高位魔導師の一角が落ちれば即終わりだ。だからこそ、本来ならばフェリクスを確実に討つべきだ。だが、召喚された悪魔レライエは、魔法を触れただけでかき消し、ただの一発の矢で大群を相手に出来るほどの凶悪さだ。魔法使いの尺度で言えば、最低でも超高位魔導師の殲滅力に匹敵する。
フェリクスは現状二冊の書を開いている。ひとつはシェークスピア《テンペスト》。もうひとつは作者不明の《レメゲトン》。ASU時代、彼は五冊は扱うとASUの情報には載っている。だから、まだ三種類以上の物語が彼から飛び出してくる。早期に決着を付けなければすぐに守勢に回って詰む。
フェリクスに付き従うエアリアルの目が怪しく光り、両腕を突き出す。大気の流れが変わる。
巨大な嵐が生まれた。猛烈な横殴りの風がリューシエンを襲う。なんとかAWSで態勢を整えようとするも、風速が強すぎて制御しきれない。
リューシエンは視線を素早く周囲に走らせる。ASU魔導師らも嵐によって動きが鈍くなっている。対する説話魔導師らは、エアリアルの加護があるからなのか風などものともせずに直進している。ASU魔導師と説話魔導師らの戦線がそろそろ交わる。フェリクスは一手でASU側の機動力を削いだのだ。
この隙をフェリクスが逃すはずがない。確実に最高位級の魔導書を発動してくる。
そのとき、嵐が吹きすさぶ大気が慄いた。新たに誕生する幻想を恐れるように、世界が悲鳴を上げて、次元が縦に引き裂かれる。地上を呪う慟哭の合唱が響く。
現れたのは一見すると天使だった。雄々しく美しい顔立ちをした金髪の天使が、白と黒の法衣を強風にはためかせている。その頭上には光輪が神々しく輝いていた。ケルト十字を模した杖を両手で持ち、背には一対の翼。
リューシエンはその姿に見覚えがあった。重犯罪魔導師対策室の《レメゲトン》の資料で見たことがあるのだ。
最悪だった。あれは、かつては能天使の位にあったとされる堕ちた天使クローセルだ。
フェリクスは《レメゲトン》から二体目の悪魔を呼び出したのだ。
リューシエンは絶望しそうになるのをなんとか堪えた。
「ラファラン殿、早く来てください……」
これで説話魔導師側の戦力に超高位魔導師級の悪魔が一体加わった。単純戦力で言えばASUが負けている。
クローセルが動き出す。杖を振り上げると、いきなり巨大な雷雲が生まれる。稲妻が大気を破壊する。滝の様な豪雨が降った。天候を支配しているのだ。魔法使いの尺度からしても規格外だ。
クローセルが杖を振り下ろす。
リューシエンの背に例えようのない悪寒。次の瞬間、目を疑った。
雷雲から生まれる雨一粒一粒がすべて鋭利な氷になったのだ。それが半径二キロメートルに渡って降り注ぎ始める。そのすべてがライフル弾級の威力を持つ氷の礫だ。単純な攻撃だが、その数はあまりに多い。
リューシエンが雨粒を起点として千を超える対極線を氷塊へ放つ。《易経対立》により水の性質を起点とした対極線の終点に炎が生まれた。
《易経対立》は始点の性質を対極に変換し、終点で反転した性質を発生させる対極魔法だ。通常の対極魔導師ならば、雨粒と同じくらいの小さな炎しか生み出すことはできない。基本的に同規模の事象しか発動できないのだ。
しかし、超高位魔導師であるリューシエンの《易経対立》はそんな程度では済まない。摂氏二千度を超す巨大な炎が生み出されたのだ。ひとつの雨粒からひとつの炎だ。これが千を超えれば規格外な灼熱領域となる。
帯状に展開された対極線が生み出した炎の領域が、クローセルの氷塊を一瞬にして融解、蒸発させていく。破裂音が大量に響く。
灼熱地帯が消える。
クローセルが再び杖を振り上げる。リューシエンの表情に焦燥が滲む。堕天使に完全に足止めされていた。いま、フェリクスを相手するASU側魔導師がいない。
頭上高く迫っていたフェリクスが、流星となってリューシエン目がけ落ちてくる。手に握る白金の剣は神話の輝きを帯びている。クローセルが再び氷塊の豪雨を降らせた。
対処できるのはどちらか片方。
ステファンの注意は完全にレライエへ向いている。ASU魔導師らは説話魔導師らと接触し、激戦を繰り広げ始めていた。
詰み手だ。
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