第三章:氷の園に這い出る悪魔 2
ASU本部の浮遊都市はグリーンランド上空に存在する。
旧時代の魔法使い組織である《連合》が人類社会と併合するとき、《連合》は独自の都市を作ることを人類社会へ求めた。これが人類社会へ魔法を提供する条件だった。このとき、国際連合は各国家で応募を募った。これに諸手を上げて歓迎したのがグリーンランドだ。北極圏の支配を目論む米国、中国、ロシアといった超大国家から身を守るには、魔法が必要だと時の首相が判断したのだ。デンマーク政府も、新たな技術の恩恵を得られるならばとこれを後押しした。
かねてより問題視されていた米軍基地を追い出し、魔法使いと共に発展し、自国利益と軍事的防衛を同時に得る賭けに出たのだ。
《連合》はグリーンランドの広大な土地と自由にできる領空の広さに目を付けた。先進国相手では魔法使いが主導権を握られるという考えもあり、様々な条件をクリアしたのがグリーンランドだった。そして浮遊都市の構想を打ち立て、グリーンランド政府と条約を結んだ。グリーンランドを介してデンマークとも条約を結んだ。
いまのASUにおいて最も取引が活発なのがこの二か国なのだ。米国、ロシア、中国、日本、EUといった先進国ではない。いまやグリーンランドとデンマークが魔法で最先端を進んでいるのだ。だからこそ、魔法とモノを繋ぐサービスであるSotに多くの国は注力を始めた。魔法を握ったものが世界の覇者となるからだ。
現状、魔法人材、そして魔法インフラである《第七天国》は国際機関ISIAが、魔法技術はASUおよびデンマーク並びにグリーンランドがそれぞれ握っている。《第七天国》と現実を繋ぐインフラは米国にスウェーデン、フィンランドが。Sotは米国と日本、そして中国が覇権を狙って競い合っている状態だ。
いまの時代、魔法さえあれば資源は無限だ。資源に頼る国は死ぬ。いまや魔法を巡って各地で経済戦争が起きている激動の時代なのだ。
そして、すべての発端となったASU浮遊城から約十キロメートル離れた上空に、長髪の黒髪を三つ編にした男性がいた。ASUの深紅のローブをはためかせ、鋭い目で眼下を見下ろしている。
重犯罪魔導師対策室のリューシエンだ。対極体系の超高位魔導師である彼は、ラファランの命を受けていち早くASU本部がある空域の防衛に回っていた。
同じ空域には白髪の老人の姿もあった。錬金魔導師の最高点たる《二十四法院》の一角、超高位魔導師ステファン・メローだ。《不動老子》の異名を取る彼は、《二十四法院》の中でも武闘派だ。その背後には、ASU警備部の魔導師達がずらりと並んでいた。
超高位魔導師二名を動員した、計百名を超える魔法使いの軍勢だ。これだけの高位魔導師を揃えれば、小国ならば確実に滅ぼせるだけの戦力となる。ASUの頭脳である《二十四法院》がそれだけフェリクスを警戒している証拠でもあった。
「フェリクス殿は一体何が目的なんでしょう?」
凍てついた風をものともしせず、神妙な口調でリューシエンが問いを投げた。ゆったりとしたASUのローブを風にはためかせ、まるで中国の武人のように胸の前で両手を合わせたステファンが答える。
「《過激派》であることは間違いなかろうて。だが、それだけではあるまい。あれは戦に取りつかれた戦鬼だが、力を振うだけの馬鹿ではない。説話の
「《連合》時代からの魔法使い相手に油断はしませんよ。未だにラファラン殿らには勝てる気がしません」
リューシエンは、エリートの中でも更に選ばれた実力者しか入る事の許されない、重犯罪魔導師対策室に最年少で入った天才だ。ASU時代になってから生まれた超高位魔導師である。いわば期待の星だ。そんな彼ですら、ラファランを室長とする他の面々に比べれば実力は大きく見劣りする。それほどまでに、《連合》時代を戦い抜いた魔法使いは強い。
「お前さんの戦力分析は的確よの。他の若い連中にも見習ってもらいたいものだ」
「フェリクス殿は強いですか?」
リューシエンの問いは重い。超高位魔導師とは、扱う規模の差はあるにせよ、属する魔法世界すべての法則を操る者の称号だ。現実世界で例えるならば、物理法則を自在に操る者と同義だ。そんな人間がいれば国など簡単に滅ぶ。超高位魔導師の名は酔狂ではない。
「強い。あやつを相手にするということは、人類が作り上げたすべての神話と戦うに等しい。主神級の幻想を腐るほど出してくるぞ。想像するだけで気が滅入るの」
「早急にジャンヌ殿を呼び寄せる必要がありますね。説話の弱点を突ける律法体系なら戦いようがあるでしょう」
「その法を敷いた神が出てくる。律法の枠を超えた神を下ろされたらジャンヌでも対応しかねるだろう」
「ではどうすれば……?」
ステファンが口端を吊り上げ皺を濃くした。老獪さが滲む、したたかな笑みだ。
「わしが《不動老子》と呼ばれる意味、見せてやろうて」
そのとき、魔法索敵をしていたASU魔導師が声を上げた。
「説話が急速接近! 数は五十四! 速度二百! 距離五千!」
端末がそれを拾い上げ、戦闘配備された魔導師の端末に届けられる。
さて、とステファンが両手を下ろした。完全な戦闘態勢に入ったのだ。
「作戦通り頼むぞリュー」
声を発すると同時、ステファンが魔法を発動した。
空を駆けるフェリクスたちは、一瞬で魔法によって全身を絡めとられたことを感知した。身体を動かせはする。だが、動かした傍から動作が止まるのだ。明らかに魔法で攻撃を受けていた。
説話魔導師全員が宙に浮いたまま動作が固まる。こんな神がかった魔法を扱う魔法使いは一人しかない。
「ステファン老を前線に出してきたか。奴らもなかなかどうして、本気ではないか」
錬金魔導師はあらゆる諸存在を“物質”として知覚する。彼らにとって、時間や空間、概念といった物質ならざる存在であろうと“物質”なのだ。
弓鶴が扱う《断罪の輪》は、“物質”が内包する崩壊へ向かうという性質を強制的に呼び起こすことで“物質”を分解する。そして、極まった錬金魔導師にとって、“人が動く”という行為すら“物質”だ。それを分解すれば、必然的に壊された者は動けなくなる。
ステファンが《不動老子》と呼ばれるのは、彼を相手にした者がみな動けなくなるがゆえだ。
この《概念殺し》の魔法に捕らわれたフェリクスが獰猛に笑う。眼前には白い極光が迫っていた。対極体系による超高位魔法砲撃だ。ステファンが足止めし、リューシエンが攻撃する単純な手筋。ASUは初手で説話魔導師を殲滅する気なのだ。
「いいだろう。なればこちらも最初から全力で相手をするしかあるまいて」
漆黒を放つ三冊の書の内、一冊が更なる昏い輝きを放つ。
「さあ、始めようか!」
大気が震える。書から闇が広がり、空間を縦に引き裂いていく。強烈な異音が轟く。それはまるで地獄の底から聞こえるかのような、おぞましい声の合唱。
亀裂の中からまず手が這い出た。頭、身体、足と続き、異形の者がその姿を現実世界にさらす。
それは、一見すると新緑の狩人だった。全身を緑に染め、その上から灰のローブを羽織っている。顔はフードで隠され伺いしれない。ローブから伸びる手には木でできた弓があった。
新緑の狩人が先頭にいるフェリクスの前に移動する。直後、極光が狩人へ直撃する寸前に消えた。フェリクスたちに掛けられた《概念殺し》もいつの間にかなくなっている。
「レライエに遠距離攻撃は効かぬぞASU。近接戦ができる魔導師は俺以外に誰が残っている?」
レライエを先頭し、フェリクスらが再び空を駆ける。
フェリクスは笑みを堪えるのが我慢できなかった。ASUの混乱ぶりが手に取るように分かるからだ。今ごろステファンは笑い、リューシエンは真っ青な顔でもしているだろう。
やつらは《レメゲトン》から生み出された悪魔について何も知らない。知らなさすぎる。なぜなら概念体系の筆頭であるルーベンソンがずっと封印してきたからだ。
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