第三章:善悪の天秤 6

 第九階梯同士の戦闘は、一瞬で終わるか長引くかの二択だ。互いが防御で固めれば時間がかかるし、全力で攻撃を打ち合えばすぐに決着が着くことが多い。それだけ最高位魔導師の攻撃力は桁違いだ。それはまさに、戦略級核兵器を撃ち合うに等しい。


 まず動いたのはラファランだ。攻撃よりも先に守勢に回った。弓鶴ら四名を魔法転移させたのだ。彼らにとって四人はただの足手まといだ。即時撤退させなければ防御に回らざるを得ずじり貧になるしかない。


 その隙を補うように動いたのが妻アリーシャだった。彼女の身体を紫電が覆い、原型がぶれる。


 精霊魔法の《電磁結合》で自らを雷に変換したのだ。そして周囲には呆れるほどの量の荷電粒子の塊が出現する。原子核と電子を一対に、それぞれ球状に回転させたそれが、一気に混在して電気的に中性になる。直径二メートルを超える中性粒子レーザーが百条、アーキに向かって放たれた。


 すべてアーキに着弾。これで決着がついたかに見えた。


 しかして、アーキは何事もなかったかのように空に静止していた。極まった元型魔導師は精神が揺れない限りあらゆる物理的攻撃を無効化する。ほとんどが物理攻撃ばかりの精霊魔法は、元型魔法のこの防壁に対して相性が悪い。


 だから、これはただの目くらましだった。一都市すら軽く葬れる威力の攻撃がだ。


 無数の魔法的極点が生まれる。目に見えない極点へ向け、それぞれ周囲五十メートルの空間が波立つ。


 因果魔法の《時流制御》には、空間は時間の連続によって成り立っているという観測の元、空間操作を行う時空魔法が存在する。


 この時空魔法によって、ラファランは超重力による一種のブラックホールを無数に生み出したのだ。元型魔法による特殊防壁も空間を操られれば成す術がない。これにはたまらずアーキは《観念力動》でもって即時退避を始める。


 ラファランがそれを逃すはずがなく、範囲内の空間が一気に極点へと収束し、あらゆるすべてを圧搾する。寸前、アーキの姿が魔法転移で掻き消えた。


 ラファランの圧倒的経験値が警鐘を鳴らしていた。


「回避!」


 空気の破壊音と共にアリーシャが雷の姿で更に上空へと雷速で退避。ラファランも因果魔法による転移魔法で彼女と同じく回避した。


 直後、不可視の衝撃波が、ふたりが直前までいた場所を殴った。衝撃波はそのまま海へと堕ち、巨大な水しぶきを上げる。更に元型魔法が展開。海面の一部が急激にせりあがる。直径五十メートルほどの円柱状に海面がぐんぐんと上へと伸びていく。当然、容積を減らした海面が猛烈な勢いで下がっていく。


 アーキは元型魔法の《元型投影》で海水に精神を吹き込み疑似生命体化している。否、いまや円柱は形を変え、ラファランらがいる高度の遥か上空、全長一キロメートルを超える東洋の龍の姿になって上空を泳ぎ始めた。


 元型魔法の極地、《生命創造》によってアーキは自律する海龍を創り出したのだ。海龍は術者の意思を離れ、組み込まれた魔法組成式の通り目につく敵を殺す破壊神となった。


 正直言ってこれは詰み手に近かった。アーキを殺したら元型魔法が解ける。そうすれば海龍が落ちる。重さは直径の二乗×高さ×〇.八×比重。つまり、二千万トン以上の海水が塊となって一気に地上に落ちるということだ。仮に上空一キロから落ちたと仮定した場合、TNT換算にして四十七メガトン。かつてソ連が開発した世界最強の威力を誇る水素爆弾ツァーリ・ボンバは、約五十メガトンとされるため、ほぼ互角だ。少なくともお台場から半径二十キロは壊滅的な被害を受けるだろう。そうなれば日本の都市機能そのものが潰れる。すなわち、事実上日本が死ぬ。


 当然、アーキを倒さなければ海龍はすぐにでも暴れ出し、せっかく被害を食い止めた地上に想像を絶する災厄をまき散らす。


 ただひとりの超高位魔導師が本気を出すだけで、一国の存亡が決定する一大事が発生するのだ。


 海龍が声無き雄たけびを上げた。それだけで大量の水しぶきがもはや高速の水弾となって飛び散る。被弾すれば即死だ。射程圏内にいたラファランとアリーシャが回避行動に移る。その間隙を縫って、雷化したアリーシャに衝撃波が直撃した。半径五百メートルに渡って雷が大気を吐き出しながら周囲に撒き散らされていく。


「まずはひとり」


 ラファランの耳にどこからともなくアーキの声が届く。《元型投影》によって生み出された大量の妖精が、周囲一キロメートルを埋めていた。 


 妻を撃墜されたラファランは、しかし、慌ててはいなかった。アーキの姿を捉えた彼は、数瞬後にそこが猛烈な光に包まれる様を見た。圧倒的光量を受けて端末が自動的に眼球へ遮光を付与する。


 それは太陽だった。


 精霊魔法の《電磁結合》によって生み出された極光は、核融合によって生み出された神話の焔。摂氏一億度を超える圧倒的エネルギーが、なにもかもを飲み込み一瞬で蒸発させていく。その熱量により大気ですらプラズマ化するほどだ。この魔法の直撃を受けて耐えられる存在などこの世にはない。


 そう、この魔法の主はラファランの妻であるアリーシャだ。彼女は無傷だった。


 精霊魔法によって雷化した彼女には物理攻撃が通用しない。なぜなら雷そのものになったからだ。


 精霊魔法における《電磁結合》の法則で自らを規定すると、肉体が根本から雷と同一になる。雷を物理的に攻撃しようが衝撃波で爆散させようが、雷そのものは破壊できない。それと同様、雷と化したアリーシャに《観念力動》による攻撃など通用しない。彼女を殺すのならば、雷そのものを殺すしかないのだ。


 アリーシャが雷化を解く。全精神力を魔法制御に注いでいるのだ。核融合から放たれるエネルギーを解き放てば東京を飲み込み大災害となるからだ。


「ラファラン!」


 アリーシャが叫ぶ。彼女の表情には余裕がなかった。


 アーキは核融合魔法の直撃を食らってなお耐え、更に掌握しようとしているのだ。超高位魔導師の魔法を捕まえるなど常軌を逸している。


 ラファランは即座に現戦力ではアーキを殺しきれないと判断。準備していた魔法を発動する。


 アーキを食らっている核融合魔法ごと、空間が球状に揺れ動く。


 因果魔法には、時間軸を歪曲し始端と終端を結ぶことで対象を時間の檻に閉じ込める《次元回廊》という超高位魔法が存在する。《時間制御》による独自時間軸を作成、《因果収束》によって時間軸を歪曲し、《因果改竄》により原因と結果を結び、円環を形作ることで生み出される。この《次元回廊》に閉じ込められた者は、始まりと終わりの無い時間軸を永遠に繰り返すことになるのだ。


 抹殺が不可能な魔人にのみ使用されるその魔法は、ラファランがアーキを災厄級と判断している証だ。


 しかし、一見して強力に見えても、どんな魔法にだって弱点はある。《次元回廊》はその複雑さゆえ、発動から展開までに時間が掛かる。


 この魔法の開発者である超高位魔導師のラファランとて、その枷からは逃れられない。そして、その隙を待ってくれるほどアーキの魔法は甘くない。


 自律する疑似生命体である海龍がラファランへ水弾を射出する。その数は優に千を超える。


 アリーシャは核融合魔法の、ラファランは《次元回廊》の制御で手一杯だ。しかし、アーキも妖精を消して核融合の掌握へ全力を尽くしている。あと一手が足りなかった。


「なんとかしろジャンヌ!」


「任された!」


 叫ぶラファランに応えたのは、突然戦場に飛び込んできた赤髪ショートカットの女性魔導師だ。正義の光を瞳に宿し、ジャンヌ・トゥールーズが世の法を操る魔法を発動する。


 律法魔法とは“すべては法により作られている”という観点で世界を記述する魔法体系だ。彼らはあらゆる物理法則を法として知覚することで法則を歪め得る特異点を生み出す。全十二体系の中でも最強格と目される概念魔法に次ぐ強力な魔法体系だ。


 ラファランへ直撃寸前の水弾をジャンヌの律法魔法が捕らえる。一瞬にして速度を〇に変更された水弾がその場に静止した。そして更に律法魔法を重ねる。全長一キロ全重量二千万トンの水龍が律法魔法に補足された。のたうつ海龍が静止し、形が崩れて巨大な球体になる。元型魔法で敷かれた法則を律法魔法で捕らえ、強制的にその魔法法則をなかったことにしたのだ。


 律法魔法だから可能な強力な魔法無効化だった。


 ジャンヌが完全に掌握した水球をゆっくりと海へと落としていく。


「ラファラン、こちらは私が対応する! アーキを仕留めろ!」


 ラファランの口元に笑み。


 核融合魔法の掌握まであと刹那。これが元型魔法によって支配されれば全滅は必死。三人が死ねば日本の首都機能が停止する。だが、その僅かな時間で十分だった。


 遂に《次元回廊》が発動。時間の始点と終点が繋がる。魔法に飲み込まれた空間は、あらゆるすべてが永遠に円環の理に回り続ける世界となる。核融合魔法の光ごと、アーキが《次元回廊》の円環に飲み込まれていく。極光が渦巻きながら中心の黒点へと消えていく。やがてそれは、光すら出さない空間が黒い球体となった。


 人ひとりを簡単に塵にする魔法が飛び交う戦場が、遂に凪になった。


 ジャンヌが水球を完全に海へと沈める。


 全力を出し尽くしたラファランが、荒い息を吐いて眼下を見下ろした。そこには、破壊しつくされたはずの国際展示場の無事な姿があった。常人ならばあり得ないと叫ぶ光景を見ても、彼は平然としていた。なぜならこんなことができる超高位魔導師が仲間にいるからだ。


「あれ直したのか。さすが律法体系。だけど来るのが遅いだろ……」


 ラファランのぼやきにジャンヌが呆れた声を返す。


「それくらい耐えてくれ。被害者を一人も出さなかったことを褒めてほしいくらいだ」


「俺もASUの連中を転移させてからこっちに来たんだ。超高位魔導師ならなんとかしろよ」


「君は昔からいつも無茶ばかりするが、最近はその無茶がこちらにまで来るようになったな。勘弁してくれ」


 まあまあ、と若干険悪ムードになったふたりをとりなしたのは妻アリーシャだ。


「なんとか《ベルベット》の一角を封印できたのですから良しとしましょう。それより、アイシアと弓鶴さんが心配です。弓鶴さんなんか左腕が無くなっていましたよ。すぐに治療しにいかなくては」


「そうだな。とりあえず危機は去った。戻るか」


 妻の言葉にラファランは矛を収める。彼は愛妻家なのだ。基本的に妻の言葉には従う。その姿を見てジャンヌの呆れ具合が増したのはいつものことだった。




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