第5話「噂の合法ラーメンですか」


「で、話とは?」


 とある高級レストラン。ラーメンなど間違いなく出てこないようなお洒落な店に、スーツを着た二人組のカップルが夜景の見える特別席に座っていた。

 フルコースの料理の二品目、簡単な雑談も尽きてそろそろ頃合いだろうと女性は思う。

 その女性――白河はフィンガーボールを揺らして遊びながら、目の前の男へ今の質問をした。


「お前に頼みたい事がある」


 質問を受けた男性――香川はグラスワインを持ち上げたまま、口元をあまり動かさずに言った。ワインが喉を通ったタイミングで、白河は首をかしげる。


「職場で出来ない話、ですか」

「そうだな。だが、隠れて行えば職場で出来ない話でもない」

「なら、何故ここを?」

「二人で会いたかった」

「ほーぅ」


 フィンガーボールから手を離し、白河は両肘を付いて手を組み、そこに顎を乗せる。黙っていれば男に困らなそうな器量の女性がやる可愛らしい仕草は、同性すらも魅了する程だ。


「もしかしてそれ、口説いてます?」

「いや、真面目に言っている」

「……ですよね。堅物眼鏡は伊達じゃないですね」

「?きちんと度は入っているが」


 白河は諦めたように首を振り、手を解いて背もたれにもたれ掛かった。指でつまんで白アスパラガスを口に放り込む。


「内容は?」

「潜入捜査をして欲しい」

「……はぁ。香川も冗談を嗜むように?」

「いや、真面目に言っている」

「そうですか。まぁ、女性スパイは美人と相場が決まっていますからね」

「自分で言うな」


 香川は呆れつつ、次の料理を運んできたウェイターにワインのおかわりと、もう一つの注文を耳打ちした。白河は「美人」を否定されなかった事を密かに嬉しく思った。

 今度は香川が机に肘をつき、小声でも伝わるように前のめりになる。


「法律に反対するとある秘密結社の存在があるらしい。武装勢力だ。蜂起する前に叩き潰さねばならない。最近それについて調べているんだが、怪しい所を数か所に絞った」

「秘密結社、ですか」


 香川が前のめりになったのは細かい表情の確認の為でもあると白河は気が付いた。

つい先日無理やり秘密結社の構成員にされてしまった身分だが、眉一つ動かさなかった事に自画自賛する。本当にスパイの才能があるのかもしれない。

 香川は身を戻し、スーツケースから数枚の資料を取り出してテーブルに乗せる。白河はそれをつまらなそうに眺めた。


「一ついいでしょうか」

「何だ」

「どうして私?頼める友人が少ないからですか?」

「……さぁ、禁断症状が軽いからでしょうか」


 白河は水滴の付いているシャンパンを一口飲んだ。口内に走る芳醇な香り、酒に詳しくはないがとても高い物だと言う事だけは分かった。


「そのまま秘密結社を解散させろ。そして鹿の目を覚まさせてやれ。危険な仕事に、なるだろうが」

「幼馴染にそんな事を頼むわけですね。と言うかそこまで分かっているなら、自分で言ったらどうです?」

「俺の言う事は聞かんだろう。それに、タダとは言わん」


 香川が眼鏡を上げると同時に、丁度ウェイターが注文したワインを持って来る。トレーに乗っているのはグラスと、赤い陶器、そして閉鎖型の大きいゴーグルのような物だった。

 ワインは香川に、後者の方を白河の前に置き、ウェイターは一礼して去って行った。


「これは、まさか」


 白河は其れを見て珍しく表情が崩れる。目の前に用意された器。サラダに使う程度の大きさに、ごま油と味噌の香りがするスープと、食物繊維を練り込んだ麺、トッピングに鶏叉焼、焼きのり、小口切りされたネギが乗っている。

 見た目からして随分あっさりとしたものだが、紛れもなくそれはラーメンだった。


「噂の合法ラーメンですか」


 白河は思わず周りを見渡す。規制されているはずのラーメンが出ていると言うのに奇異な目で見てくるものは少ない。

 つまり裏メニューか何かで合法のラーメンが出せる店なのか、逆に許可のない「そう言う店」なのかと問われれば、周りの小金持ちそうな客層や高級レストランである事を加味すれば確実に合法の店だ。


「あぁ。作った調理師は資格を持っている、合法ラーメンだ。そっちの感覚改変VR機器を付ければ本物のラーメンを食べる疑似体験が出来る。俺がお前にできる最大限の賄賂だ」

「これ、確か、かなーり高いはずでは。給料三か月分くらいしますよね」

「俺なりの誠意だ。それにお前、来月誕生日だろう。少し早いがプレゼントだ」


 香川は皿に残っていた料理を口に入れ、残っているワインも飲み干した。


「……やっぱりこれ、口説いていませんか?」

「違う」

「こんなに接待してくれるなら、私も胸元や背中の空いた少しえっちなドレスを着て来た方が良かったですね」

「何を言っているお前は」


 早口で素早く眼鏡を上げる。香川の眼球は一秒で横断歩道を渡る作法分動いた。


「はぁ。ここまでされたら、受けるしかないじゃないですか」

「すまん。恩に着る。だろう」

「…………成程」


 白河は更に運ばれて来る別のフルコース料理を無視し、VR機器へ手を伸ばす。使い方は説明が要らない程に簡易で、すぐに白河は目の前にニンニクたっぷりのラーメンが見えるようになった。


「それと、あと、一ついいか」

「なんですか?」


 白河は黒曜石で出来た箸を使って口に面を運ぶ瞬間だった。止められて不愉快な顔をするが、ゴーグルが大きくその表情は読み取れない。

 香川はまるで告白をする女子のように躊躇い、黒縁眼鏡を人差し指で上げた。


「一口でいい。残しておいてくれ」



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