第4話「いずれ、な」


「――以上が今月の報告となります」


 ラーメン取り締まり課、会議室。月末の報告定例会議も終盤に差し掛かる。

 香川はスクリーンに映し出されていた映像を消し、照明を付けた。十数人集まった役員の中には、厚労省の重役も含まれている。会議に出席する役員の前には香川が配布した紙の資料と、一人前のラーメンが配られていた。


 小さな会議室は独特なニンニク臭で埋め尽くされている。その鼻を虐める不快な香りと、説明の際にずるずると咀嚼音がしていたせいで、香川は目上の人間の前にもかかわらず不愉快そうに眉間にしわを寄せていた。


「ご苦労、香川君。今月も大いに活躍したな」


 一番手前に居る役員の一人がスープを啜った後に告げる。香川は眼鏡を上げてから「どうも」と聞こえないくらいの音量で言ってから会釈した。

 この会議室で食されているラーメンは背油などをふんだんに使っている所謂「違法ラーメン」だが、無条件に与えられた「資格」を持っている彼らは食す事が出来る。

 とはいえ法律の風当たりから人前で堂々と食べられる物でもなく、こうして会議の際には接待としてラーメンが振る舞われる事が恒例となっていた。


「いやーしかし、禁断症状が出ている犯罪者の映像はいつみても滑稽だな」


 香川の出した映像の中にはラーメンの禁断症状を見せるシーンがあった。役員の一人が麺を啜りながら、思い出したように言う。


「発狂しておりましたな。ラーメンと叫びながら涎をまき散らしていた。同じ人間とは思えない。あれは自制のできない社会のゴミだ」


 役員の一人が残していた叉焼を頬張って言う。


「まぁ、特権のある我々には関係ない話ですが」


 役員の一人がスープを飲み干した後に言うと、クスクスと笑いが起きた。


「香川君もラーメンを食べる為にもっと頑張りたまえ。私が特権階級に推薦するよ」

「……勿体ないお言葉です」

「ラーメンがこのまま完全に特権階級の物になったら、次は別の麻薬食品ジャンクフードだな」

「ハンバーガーか、ピザ辺りでしょうなぁ。ビール好きな私としてはこれらが食べられないのは大いに困る」

「何を言いますか、どうせ我々には関係のない話でしょう」


 再び醜い笑い声に会議室は包まれた。香川は寸前の所で舌打ちを止める事が出来たが、役員の一人にピクリと動いた口を見られてしまった。そのまま誤魔化す様に言葉を紡ぐ。


「……役員様方、お食事も済まれたようなので質問がなければ会議を終わりたいと思いますが」


 香川の提案を否定する者はいなかった。

たまに食べられる罪深いラーメンの味を堪能した役員たちは満足げに部屋を出て行った。


 今は香川と、ラーメン取り締まり部の長官であり健康増進局局長の二人だけがラーメンの器を睨んでいる。

 正直に言って、会議など形だけのものだった。彼らが気兼ねなく違法ラーメンを食べる為に設けられた場でしかない。

 事実、何度も開かれたこの会議の内容に役員達が触れた事など一度もなかった。

 上司がいる前で香川は遠慮なく煙草に火をつけ、ニンニクの臭いをかき消すように思い切り煙を吐く。

 空に向かって、言う事が出来なかった言霊を漂わせた。


「毒虫共が」

「まぁ、そう言うな」


 直属の上司であり、組織の一番偉い人物、小泉は香川の肩をポンと叩く。二回りほど上のこの相手は数少ない香川の理解者であり、良き相談役だった。役員達の態度は彼から見ても酷い物で、小泉は心の底から同情していた。


「安心しろ。いずれ、解放されるさ。、な」

「……そうですね」


 肯定をしてみたものの、上司の言う事は理解できていない。その意味深な発言を残し、すぐに小泉は部屋を後にした。

 今の言葉の意味を咀嚼してみるが、全くわからない。香川は諦め、まだ半分以上残っている煙草を役員の食べたラーメン皿の中へ指で弾いた。



       ※



 香川の自宅は高層マンションの二十一階にある。今日も激務を終えた後、誰も待っていないリビングのソファーへ倒れ込んだ。

 刹那の休息を得て、そのまま眠気が襲ってくる前に体を起こし、ふらふらと洗面所へ向かう。


 上下のスーツとパンツを脱ぎ、生まれたままの姿、そして良く鍛えられた体が露になる。鏡に映った自身の美しい姿に一旦見惚れてから、設置してある血圧計に腕を通す。

 開始のボタンを押して約一分。計測された数値を見て、香川はぶるぶると震えだした。乱暴に血圧計を外し、全裸のままリビングへ駆けだす。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 壁の薄いマンションであれば通報されていただろう。それ程の音量で香川は叫んだ。


「血圧!上が121!先月から全然下がっていない!なにが95だフザケやがってええええええええ!」


 香川はイチモツを激しく揺らしながらソファーにあったクッションを叩きまわる。拳が一撃入る度にイチモツがぶるんぶるんと踊り狂う。

 ラーメンを食べられる資格の項目の一つに、常時「最大血圧が95以下」という項目がある。大人にはほぼ不可能な項目が、香川には最大の壁となっていた。煙草をやめれば多少マシになるかもしれないが、95が絶望的なのは分かっているので止める意味はないと悟っている。


 発狂していた香川は突然静かになり、押入れの一つを壊れんばかりに開けた。

 中には押収品から盗んだ大量のカップラーメンが並んでいる。

 それを見て、香川は素直に勃起した。


「今日も、これで、我慢か、くそ、くそ、くそくそくそくそくそ!」


 ラーメンを食べられる資格は設けられているが、現実的には一般人が食べられるのは途方もなく厳しいハードルである。香川にとって今一番の近道は特権階級になる事だった。


「あの老害共に尻尾を振るのはうんざりだ……」


 元気になった自身のイチモツを揺らしながら、カップラーメンに注ぐためのお湯を沸かす。


「会議室でのラーメン、上手そうだったな。あれは今は亡き銀座の有名店を再現したものだろう。昨日、取り締まった所も潰すには惜しかった。俺はこのまま重要文化財的ラーメン店を消し回っていて良いのか……」


 乱れた眼鏡を直し、カップラーメンの蓋を開ける。

 徐々に立ち込めるケトルからの湯気が、無意識に腰を振っている彼の眼鏡を曇らせていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る