第3話「新たに同胞となる者の名前だ」


 ラーメン取り締まり課の巡回とは通常の警察のパトロールと同じである。覆面パトカーにて担当区域を回り、潜りのラーメン屋が居ないか見て回る。蕎麦屋、うどん屋などに偽装して裏メニューでは違法ラーメンが売られている店は未だに多い。


 仮にそれが破格の値段でも、見つかったら捕まるとしても、リスクを冒してまで食べに来る者は少なくない。

 何故なら、ラーメンは麻薬なのだから。


「久野。そんなに臭いですか、私」


 車の窓が全開である為、助手席に座る白河は髪をバタバタとなびかせていた。車内を支配するニンニク臭に耐えきれなかった同僚、久野はハンドルを握りながら何度も頷く。


「吸血鬼を退治出来るレベルだよ」

「そんなに。なら昨日のラーメンの名前、ヴァンパイアハンターに偽りなしですね」

「僕に担がれながら一滴も零さず完食する当たり、君は本当にキチガイだよ」


 呆れられているのを理解しながら、白河は嬉しそうに笑う。


「気が狂ってるのは久野もです。いつの間にかアンチ法案のゴロツキを集めておいて。革命家気取りですか?」

「そんな大層なもんじゃないよ。ゲバラは、好きだけど」


 決められた巡回ルートを従順に守りながら二人を乗せた車は進む。久野はハンドルを強く握りしめ、レースをしているかのように顔を険しくする。


「でも、誰かがやらなくちゃ行けない事だ。行き過ぎた健康増進法の弊害の最初の被害者が何故ラーメンなんだ?もっと体に悪い物はある、煙草だってそうだ。真っ先に国民食が裁かれるのは納得できないよ」


 無意識に、車のスピードが上がる。


「まぁ、煙草は税金の関係大人の事情とかありますし」

「ならラーメンにも税金をかければいい。禁止するのはやりすぎ。しかもいきなり法案可決、強制執行だぞ。野党の反対も押し切って。日本人がどれだけ麺類を、ラーメンを愛していると思っているんだ。君ならわかるだろう。ハンバーガーやピザ、カレーだって油の塊だよ。何故ラーメンだけが標的に?僕は許せない。許せない許せない許せない」

「久野、ラーメンのスープくらい熱い思いは伝わりました。とりあえず落ち着いて、前の車を煽りすぎです」


 途中の走行速度は百に達しようとしており、久野はいつの間にか前方の車にぶつからん勢いでエンジンを吹かしていた。


「おっと、しまった」


 久野が急いでブレーキを踏んだので二人の体がシートベルトのお世話になる。距離が大きく開く前に、前の車は逃げるように左折してしまった。

 申し訳なさそうに頭をポリポリと掻く。ハンドルの握る手もようやく脱力したようだった。


「巡回ルートも逸れましたね。早く戻ってください、このラーメンキチガイ」

「いや、どうせ巡回何て意味ないし――丁度いいや。そろそろ君にウチのアジトを紹介しようと思ってたところなんだ」

「アジト?例の集めているって言うストライキ集団の?」

「きっと、君は満足する」


 不敵に笑う彼の横顔を見て、否定できる雰囲気ではないなと感じる。話を聞かされてからは興味もあったし、一度お邪魔して見るのも悪くないかと思えた。

 何より、自身と同じくらいの「キチガイ」だ。ラーメンの禁断症状に苦しむ守るべき仲間。同僚から守るためにも知っておいて損はない。


「それはいいんですが」

「ん?」

「そろそろ、窓閉めませんか」

「それは断る!」


 元気よく否定されたタイミングで髪が眼に入り、ラーメンスープが跳ねた時のように「ぐっ」と白河は顔を手で覆った。


       ※


 久野が招待したのは時流を受け最近蕎麦屋にリニューアルした元ラーメン屋だった。ラーメン屋から別の麺屋に経営方針を変えた今は厳重に監視されており、白河自身視察に来たこともあるし、今の担当は久野だった。

 そしてここは白河の行きつけの大好きなラーメン屋だった。蕎麦屋になってから来た事もあるが、味は美味しかったもののやはり求めているものではない。

「ラーメンが作りたい」と今にも泣き崩れそうな店主の顔を見た時にはこちらまで地団太を踏みたくなる気分だった。


「休業、って書いてありますよ」

「こっちこっちー」

「裏口……」

「うん、本当の入口」


 彼の背中を追いながら、もう来ないだろうと思っていた店の敷地を踏む。

 久野は店の裏にある扉を強めに四回ノックした。数秒の沈黙の後、奥から物音がする。


「俺の体は」


 扉の向こうから渋い声がした。


「ラーメンで出来ている」


 澄明な声で久野が答える。


「よし、入れ!」

「もっとマシな合言葉はなかったんですか?」


 すぐに勢いよく扉が開けられる。扉の奥に立っていた人物は白河の見知った顔、廃業に追い込まれて泣きべそをかいていた店主だった。


「店長?」

「きみ、常連の……」

「あれ、二人とも顔見知り?なら話が早いよ。とりあえず地下へ行こう。ゴーゴー」


       ※


 扉は普通の裏口だったが、そのからすぐの厨房の裏、排水溝に見せかけた隠し扉があった。ギリギリ大人が一人通れるくらいの通路を下ると、見事な地下世界が広がっていた。

 一言で言えば無機質な巨大な地下工場。何本もの太い柱で支えてはいるが地盤沈下が心配になるくらいの空洞が広がり、大きなパイプと素人にはよくわからない機械群がひしめき、数十人の人間が作業に当たっている。


「なんですか、ここ」


 白河は一般的な感想を漏らすと、前を歩く久野は首だけ振り向いて自慢顔をする。


「カップラーメンの工場さ。まだ、出来は悪いけど」

「この規模。どうやって」

「ここに居る全員と、今も外でラーメン好きを隠している同士の融資さ。それぞれの銀行の借金を含めれば、集めるのは簡単だった」

「想像を絶するお馬鹿さんですね」


 そうは言いつつも、彼について行きながらアトラクションを楽しむ子供のように白河は工場中を見渡す。口先からはアホになってしまったと思われてもおかしくない感嘆詞しか出てこない。


「久野さん、お疲れ様です!」


 働いている従業員は久野とすれ違う度に大きな声で挨拶をする。それに対して片手をあげて対応する。白河は職場でペコペコする久野を知っているからか、普段の彼とは別人にしか見えなかった。


(……あれは?)


 工場はいくつかのラインがあり、麺やスープが製造されている所とは別のラインに、黒く光を反射するものが流れていた。職業上ラーメンと同じくらい馴染みのあるものだったが、ラーメンと「其れ」は全く関係のないものだった。

 少なくとも同じ工場で作られている光景は、聖典を説きながら殺人する神父めいた、異質の塊に見える。


「拳銃の部品とは、また珍しいラーメンのトッピングですね」

「良いになるだろう?」


 アトラクションに居た子供は既におらず、逆にそのアトラクションを摘発する大人の顔がそこにあった。睨まれる久野は手を広げ、空を仰ぐ。

 工場の中央付近には二メートルほどの高台があり、久野は白河を無視してそのまま高台へ上った。普段そこは朝礼などを行う場所であり、全てのラインから見晴らしが良い為誰かの注目を浴びるにはうってつけの処だった。


 久野が手を挙げると、程なくして全てのラインが停止する。緊急の報告の為などに周知させておいたラインを止めるルールの一つだった。

 従業員達がざわつきながら作業を中断する。


「諸君、少し遅いが朝礼を開始する」


 当然、人が変わったように久野は低く唸る。従業員たちは姿勢を正し、大声を張り上げる革命家を静かに見上げた。


「この世界には小さな敵も軽蔑すべき勢力も存在しない。人民はもはや孤立していないからだ。ラーメン好きに弱いものなどいない。同じ感情を抱いた二億の同胞たちは貧困に蝕まれる家族と同じであるし、皆が共通の敵を持ち、共によりよい未来を夢想し、世界中のあらゆる誠実な人々との連帯を考えているからだ。かつてのラーメン叙事詩は偉大であり、あの闘争は英雄的な物であった。現世代の日本人はさらに偉大な叙事詩を――」


 久野の演説が始まった。

 白河は興味のあるふりをしていたが十分ほど続く演説にさすがに飽きてしまい、遠慮なく欠伸を漏らす。それを見ていた近くに居た従業員に睨まれ、苦し紛れに口を手で隠した。


「――白河紀子!」

「うぇ」


 演説をしていたはずの革命家気取りの男に突然名前を呼ばれ、思わず体を跳ねさせる。


「新たに同胞となる者の名前だ。諸君、歓迎の拍手を」


 小雨の様な拍手から、その手拍子は最終的には豪雨になる。無数に見える歓迎の熱いまなざしに、白河は無表情で手を振る事しかできなかった。

 久野は片手をあげ同士に挨拶を終えると、高台から降りてくる。


「流れで仲間に入れちゃった。でもまぁ、別に良いよね?」


 白河の目の前に来た革命家は、課で見るいつもの彼と違いなかった。


「……ラーメンは好きだし法案にも反対なのは事実です。好きにしてください」


(それに……何だか危なっかしい)


 白河は嘆息しつつ、犯人を見張る刑事のような目つきになっていた。



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