第2話「童貞ではない」
健康増進局、ラーメン取り締まり部。
警察と市役所が一体になった四十階を越える高層ビル。その一角のとある部署の名前である。
「昨日また違法ラーメン店を摘発したそうですね。今月に入って三件目。さすがは香川捜査官」
その看板奥、短いポニーテールがトレードマークである小柄な女性が鼻を鳴らしながら皮肉交じりに言う。
言われたのはスーツ姿の茶髪の優男。椅子に座って次のターゲットの資料を眺めていたのだが、肩に置かれた肘を億劫そうに流し見る。
短く嘆息してからズレてもいない眼鏡を中指で上げた。
「白河。寄りかかるのをやめてくれないか、重い。それと三件じゃない、四件目だ」
「それは失礼」
小柄な女性、白河は香川の肩から腕を退ける。すかした態度にやれやれと首を振った。
「しかし、変わるものですね。香川、学生の頃は三食ラーメンだったのに、今じゃ熱心に取り締まる側とは」
「俺はカレーと健康の素晴らしさに気付いただけだ」
「はぁ、健康。煙が出るココアシガレットを嗜むあなたが」
「あれは「心の健康食品」と政府も認めている。話を戻すが、ラーメンを好んでいたのはお前もそうだろう」
「もうあんな麻薬は食べられません。私の胃は、蕎麦派に下りました」
白河は昔の男を思い出す口調で言う。香川はその遠くを見る顔をじっと眺め、つまらなそうに資料へ興味を戻した。
「居たー!しらがー、今日、巡回なんだけどー!?」
二人の元へ爽やかな声が届く。課の入り口付近から制服を着た好青年が手を振っていた。青年は白河を見て大袈裟な仕草で手招きをしている。
背丈は一般男性並みで、遠目から見ても少し肉付きが良い。しかし彼は柔道で全国優勝を果たした事のある運動神経の持ち主で、小太りと言うよりかは筋肉質と言う体格だ。女性一人を持ち上げるくらい造作もない程に。
見かけに似合わず手を振る仕草は犬が主人に尻尾を振っているが如く。一生懸命な所が可愛く見える同僚に白河は軽く手を挙げて答える。
「遅れなければいい話ですー」
「既に定時過ぎてるんだよ!?」
叫ぶ相手を落ち着かせるように手をひらひらとさせながら、白河は席を離れた。
「今日は外回りでした。では、堅物眼鏡さん」
「白河、ちょっといいか」
「はい?」
「――お前からニンニク臭がする。まさかとは思うが、昨日の夕飯は何を食べた?」
資料を見ていた香川の視線はいつの間にか白河に向けられていた。ヤクザ者ですら狼狽してしまいそうな鋭利な視線だが、白河は全く怯まずに眉を顰める。
「本当ですか?と言うか無神経ですね。それを遠慮せず女子に言うなんて」
「はぐらかすな」
「別に誤魔化していません、昨日は餃子を食べました。ニンニク増し増しの」
「何処の店だ」
「はぁ、これは事情聴取ですか?自宅です、手作り。今度御馳走しましょうか。二人っきりで餃子パーリー」
「結構だ」
「そうですか。二人っきり、童貞にはハードルが高かったですね」
「童貞ではない」
香川は早口で言いながら素早く眼鏡を上げる。火花の散っていた視線がようやく違う方向を向いた。
「仕返し、と言う訳ではありませんが、あなたもちょっとカレー臭しますよ。あ、食べ物の方です」
捨て台詞を残し、白河はクスと笑いながらその場を立ち去った。課の入り口付近で「うわ、白河くさっ!」と青年の声がフロアに響く。
二人を見送った後、香川は背伸びをするフリをしてさりげなく自身の体臭を確認するのだった。
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