ラーメン禁止法

高田丑歩

第1話「――ラ取だ!」


「――ラ取らとりだ!すぐそこまで来てる!」


 地下の違法ラーメン店にて、顔を真っ青にした客が飛び込んで来た。

 ラ取、正式名称「ラーメン取締まり部隊」。健康増進法の極みと言われる「ラーメン禁止法」の施行と同時に創設された警察組織である。ラーメンを作る事や食す為の免許を持っていないにもかかわらず、その罪深い行為を働く国民を摘発、逮捕する事を目的とする。


 飛び込んで来た甲高い声を聞いて最初に動いたのは店主だった。違法の店を営業しているのだ、逃げる準備も当然している。

 狭い店内にて違法にラーメンを食していた客は四名、麺を啜りつつ、店長が血相を変えて飛び出す所を拝む事となった。彼らも慌てて箸を投げ、裏口があるだろう店主の後を追う。


「ちょっとちょっと、食べてる場合かっ!」

「んぐっ……」


 客の内の二人は連れだった。男の方は逃げ出そうとしたが、同僚の小柄な女性が席を立たない。すぐに部隊が来ると言うのに呑気にラーメンを食べている。

 ハムスター顔負けに膨らませていた頬。急いで咀嚼した後、油で光る妖艶な唇に付いた汁を舐め取りながら一驚する。赤いリボンで縛った短いポニーテールがふさふさと揺れた。


「凄いですよ、この店。スープも、麺も、具も、一級品。有名店で修業したと言うのは嘘じゃなさそうです。替え玉するまで私はこの店を出ません。ラーメンさんに失礼です」

「いいから立って!?」


 取り締まり部隊に捕まれば良くて懲役、執行猶予はまず付かない。それほどに強力な法律であると皆が重々承知にもかかわらず、女性はラーメンキチガイ道驀進中だった。

――ラーメンは麻薬である。

 そう断言されたラーメン禁止法の一文だが、今の彼女を見ていると確かにと思わざるを得ない。


 男は自分が連れて来た同僚を見捨てる訳にもいかず、ラーメンが大好きなこの女性を無理やり担ぎ上げた。


「離してください。私はこのままラーメンさんと心中します」

「その前にどんぶり離せ!正気?!」

「正気じゃないのは世界の方です」


 小柄な女性は簡単に担ぎ上げられ、ラーメンの入ったどんぶりを持ったまま裏口へ消えていった。





 一瞬の清閑のあと、武装した軍団が店内になだれ込んだ。ほぼ同時に「クリア」と誰かが叫ぶ。

 既にもぬけの殻、残されたラーメンの皿は三つ。奥で三日間煮られた豚骨スープの原液がグツグツと音を立てている。


「誰もいません」


 武装集団、ラーメン取り締まり部隊の一人が言うと、奥から咥え煙草をしたスーツ姿の男が入店した。


「見ればわかる」


 長身の彼は訝しげに店内を見渡し、二丁拳銃をホルダーにしまう。短い茶髪を一度かき上げ煙を大きく吹かした。

 部下の報告通り誰もいない事を再確認し、カウンターの奥を鋭く睨む。煙草を咥えたままの口から舌打ちが聞こえた。


「裏口だな、追え。武装ラーメン店の可能性は捨てきれない、抵抗するなら足を打て。最悪の場合――殺しても構わない」


 男の口調は酷く冷徹だった。ただ指示を受けただけなのに、部下は説教を受けたように委縮する。


「了解」


 全員が揃えて言うと、裏口へ吸い込まれるように突入した。

 残された長身の男は短くなった煙草を、客の残したラーメンの汁へ落とす。

 ジ、と言う小さな灯の消える音がした。

 店内に大きな換気扇はない。地下で全てを作っているせいか湿度は地上より遥かに高かった。

 彼は沸騰地獄に身を委ねている豚骨を眺める。自身の震える手をぎゅっと握りしめ、湿気で視界が悪くなった眼鏡を中指で上げた。


「眼鏡が……曇るな」


 彼は眼下の灰皿受けとなったラーメンへ、吐き捨てるように愚痴を零した。



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