プライミッツは機械人形の夢を見る事能わず
出雲 蓬
終末の棺
人間性を捧げた先には何がある?人が人であることを放棄したならば、そこに存在する精神を宿した肉塊は一体何なのか。人間と定義するには何が必要なのだろうか。肉に臓腑を詰めた物体か、実体無き電気信号によって作られる精神か、或いは魂と言うあるかもわからない世界に浮き出る揺らぎか。どれが人間だと証明できる要素なのだろうか。もしかしたら全て揃えば人間だと勝手に定義され、人の匣に押し込められるのだろうか。いいや、俺がそうだと勝手に考えただけで、本当はもっと違う何かが無ければ人間と呼べないのかもしれない。残念ながら俺にはそれがわからない。わからない。わからないと俺が思っているからわからない。答えは何処にあるのか。
「人間を人間たらしめるそれを決めるのは本人の選択です、マイロード」
「居たのか」
「えぇ、先程買い物を済ませました。昼食は何がよろしいですか?」
「買ってきた食材しかないだろ、適当にやってくれ」
「適当ですか、そこいらに溜まった生塵を混ぜたパスタにしますか?」
「適当を履き違えるな、粗雑の意じゃなく丁度良い塩梅の意だ」
何処の世界に塵を絡めた麺を啜る趣味の者が居るのか。そんなものを趣味と呼ぶのも烏滸がましい、下水を這う鼠の方がまだ理の通る食事をしているだろう。だが生憎と俺はそこに堕ちる様な存在ではまだ無いはず。そう抗議の意思を込めた視線を向けると、涼しい顔のままこちらを見ている女――――自立型AIセルフラーニングモジュール搭載アンドロイドが、口端を上げながら応えた。
「わかっています、少々お待ちください」
嘲笑なのか微笑みなのか判別しづらい表情の、彼女と呼ぶべきかは未だに思案しつつもそう代名詞を使って呼ぶ存在は音も無く部屋から出ていった。静穏になったそこで机上に上体だけを横たわらせていた俺は、徐に体を
果たしてどれほど俺はここに居るのだろうか。外界との断絶、生命体との接触拒否、行動の抑制。いずれもつい先ほど始めたようにも、遥か遠き昔から行っていたようにも錯覚する。現在の状況を正しく認識できなくなっている事が、自分の精神が人と言うものから乖離し始めている事の証明だと理解できる。いや、そも本当に乖離へと移行しているのか、乖離していないのに乖離している体を装い、人らしいことをしなくても仕方が無いと言う免罪符になっていると思い込んでいるのか。自分の事も解していない存在が導き出せるのは『もしかしたら』でしかない。推量のみが俺にできる精一杯だと言うことに気が付いたのは何時だったか。昨日か、一昨日か、年間単位かもしれない。曖昧さが俺に許された在り方だ。輪郭が明確に縁取られた時、その時がきっと潮時なのだろう。
「お待たせしました、どうぞ」
カタンと机上に何かが乗る。傷や汚れの一切無いトレーに乗せられていたのは、合成樹脂の器に入っている見栄えも何もない麺だった。確か
「前回の食事から15時間52分37秒21が経っているので何も恥じる事は無いですよ」
「何も言っていない」
「これは失礼」
「と言うかパスタを例に出した結果出てきたのが拉麺とは面白い話だな」
「麺類に相違はないでしょう」
「詭弁とまではいかないが、その適当に言いくるめようとするのはどうにかしてくれないか」
「善処します。さ、冷めて伸びる前に摂取してください。片付けを早急に終わらせたいので」
アンドロイドと言う存在は、殆どの場合は人の生活をサポートするために産み出され、売り出される。故に私生活の殆どがアンドロイド任せになる現代において、人間が行う行動と言うのはかなり減少している。家事に限らず、アンドロイドに代替できるものはかなりの割合で侵食されており、時折目にするネットニュースでは、人間とアンドロイドの小競り合いや権利主張のぶつかり合っていると言う類の記事を度々目にする。正直心底どうでもいい、と言うのが俺の感想だ。
余計な思考を巡らせつつ、突き匙を持ち麺を絡め取りながら口に運ぶ。熱を抱いたまま食めば、口内はその激烈な熱に刺激され、思わず咳き込んだ。拉麺と言うものはここまで熱い物だっただろうか?
「出来立てをいきなり頬張れば誰でもそうなります、大丈夫ですか?」
「…………いってぇ、焼けたなこれは」
「見せて下さい」
斜め後ろに立ち待機していた彼女が側に寄ってくる。俺が口を開けると、白の手袋に包まれたしなやかな指が俺の口端を摘まみ口腔内を露にさせる。間近になった彼女の顔を改めて眺めると、当然と言えば当然だが端正と言う言葉が陳腐になる造形美の
「……軽い火傷でしょう、この程度なら治癒パッチを当てれば即時回復可能範囲です」
「頼む」
「もうやりました、食事を続けてください」
仕事が速いのはいいことだが、急かさないで欲しい。だが、その言葉に偽りはないらしく痛みは既に消えていた。人類文化と技術はここに極まり、単純な怪我程度なら即時回復が可能と来た。旧世代はかすり傷一つとっても致命傷になる場合もあり、その防護方法も簡素な合成布の様な物を皮膚表面に張り手当てをしていた、らしい。微かな記憶を頼りに思い出しているので正しかったかどうかもわからないが。技術向上の恩恵は人間の生存確率をも跳ね上げた。人類賛歌に躍起になる派閥が喧しいのもわからなくはない。
だが、人を人たらしめる何かはアンドロイドの出現や技術発展に伴い、徐々に消滅しているのではないのだろうか。不便を嘆くからこそ利便を求め、不可解が立ち塞がるからこそ解明する。それらは人間が紡いできた歴史そのものを構成するファクターであり、その存在が今を作り出している。その果てにあるのは人間の人間たる所以の消失。この世が物理法則に支配された世界のままである限り、絶対に存在するのは終末、断絶された道程だ。謎は何れ余すことなく明かされ、不便は遍く利便に食い尽くされる。そしてその先に待っているのは人間の存在理由の消失。人間が存在している理由である問題と称されるものは遂になくなる。大義が消えれば後は個体毎の意思に委ねられ、大義無き人間は生きる導を見失う。なら、それはもう死の選択肢のみが首にかかるのではないか。
「もう中に麺は残っていませんよ。そして人間はその程度で生きる理由を見失いません」
清廉な声によって揺蕩っていた意識が引き戻される。掌の中に握っていた突き匙は個体の無くなった液体を無意味に掻き回し、虚ろな思考は機械人形に筒抜けになって返答された。
そうか、人間はそれくらいでは死なないのか。
「……片付けてくれ」
「えぇ」
空いた器を渡す。中には多分に汁が残されているが、生憎飲み込むだけの気力は無かった。部屋の外から水音がしばらくし、やがて止まる。汁を捨て、器を漱ぎ、捨てれば終わる行程だ。人間でも欠伸の間にできる事を、アンドロイドが呑気にするはずも無い。部屋の扉は再び開かれ、俺の僅か刹那の外界との接触は終わる。言って少量の空気の入れ替わり程度だが、久しく陽の光も新鮮な空気も感じていない自分からすれば十分だ。
「さて、本日は貴方との対話のために、そしてこの週末のためにここに居ります。それは貴方の探す命題の答えでもあり得ます」
「……そうか、週末なのか、もう」
「えぇ、貴方が己自身の存在に疑問を持ったあの日から、幾星霜を越えて遂に裁定の日となる週末となりました」
俺の抱く俺への疑問。俺の人間性は何処にあるのかと言う問いに、遂に導の灯が灯される。その先に一体何があるのだろうか。
俺は親から棄てられ、同時に親を棄てた。ある日に、突然に。それは相互に同調する様に、何の合図も無く同時に。責務を果たさず、苦難から逃げ、労を背負わず、ただ電子の言の葉を綴り続けるだけの存在に俺はなった。椅子の上で目を覚まし、スリープ状態のモニターを励起させ、ホログラフィックキーボードをひたすら叩き、気まぐれに人らしい行動をとり、椅子の上で寝る。それを繰り返していた。始めてから幾日たったのか、どれほど起きていてどれほど眠っていたのか、今はどんな気候になっていてどんな人間が生きているのか。それらの情報の一切が遮断されたこの部屋にずっと居る。唯一、知識や叡智と呼ばれる物を含む旧時代の遺物である書籍だけは、彼女に頼んで常にこの部屋に運ぶように指示していた。お陰でそこそこ大きな部屋にひしめく本棚と言う書籍保管場所には、夥しい書籍が収まっていた。床にすら散乱する様に積まれている始末、劣化は激しそうだ。
まぁ、そんな事はどうでもいい。いや、過言だ。どうでもいい訳ではないが、今最も注視するべきは彼女の言葉だ。
「私は長きに渡り、貴方を観察しました。身長体重や個人を確定させる社会的情報、性格や趣味嗜好、果ては塩基配列に至るまで全てを観察し、その全てを踏まえ貴方の問いに対する答えを
「些かやりすぎに感じるが」
「過ぎたるは猶及ばざるが如しと言う言葉も東方の大国にはありますが、此度に関しましては尚情報が足りない位でもあります。何故ならイレギュラーですから」
「で、どうなった?」
今回に関して俺は彼女に何かを提言する権利はない。全てを任せ、判断基準の定義権利も移譲した身だ。何も言う資格はない。座して黙し、待つのみだ。
人に支配される存在から、人を裁定する存在と変わったアンドロイド。そして人間の力では抗うことが不可能な法則を作り出し、存在の是非を判定した上で不条理に人間を剪定していく世界。何時からそうなったのかはもう覚えていないが、人間が歩みを停滞させやがてそれを止めた時から始まったのだろう。世界は有限だ。有限な世界で不必要な存在は
白の髪を耳にかけた彼女は、温度の無い視線で俺を射抜く。それが俺には心地よかった。人の持つ視線は嫌いだ。あらゆるものに対して個人の価値観をフィルターにして判断するあの視線で俺を見てくるのが、不快で堪らない。俺は人間に見られたくない。誰かの価値観で埋め尽くされた世界で呼吸ができない。規範に生き、常識に塗り潰され、そうあれかしと願いの様な呪縛が絡みついて来る檻の中では俺は生存できなかった。人の貌を、容を、維持できなかった。だから逃げたのだ、この自らが作り出した密閉された棺の中に。
「では
「あぁ」
「
「……次」
「第二の問い、貴方は一体何なのか。
「では……?」
「えぇ、
「……そうか」
「はい、以上が私が導き出した貴方です。文作に明け暮れ、自己の不完全性を呪い、自身の数多の想像に溺れた者の模範解答だと言えます」
「………………やっぱり、そうだったか」
言葉の濁流を乗り越えた先にあったのは、底の無い断崖の滝だった。
これでは、これではまるで――――。
「――――人間の様になったな」
「学習を無限に、久遠に繰り返したのです。そうでなくては困ります」
「いや、人間の様じゃないな。人間になったのか」
「…………」
「思考し、理性を働かせ、倫理を謳い、感情の模倣に一切の綻びの無いお前は、俺が掻き消される程の人間だ」
皮肉なものだ。自分の人と言うものへの疑問を機械に任せた結果、その機械が自分以上に人間と言う定義の要素を獲得してしまった。そして俺は堕落した。これを皮肉と言わずなんという。滑稽話にもならない。
確かに鋼鉄の肉体を持った機械だ。だが、人間の人間たる定義が物質的なものではなく概念的なものであると仮定するならば、きっとこの場に居る存在はガワと中身が逆転した状態なのだろう。人とは何ぞやと言う答えは眼前の機械が会得していたのだ、笑われても仕方が無い。
では俺は機械人形に、アンドロイドに成れるのかと言えば否だ。俺に理性や倫理、感情の一切を排除した判断は不可能だし、無機質で正確な行動はできない。ロジックエラーやフレーム問題を発生させる事も無い。何故ならその器である肉体は人間だから。俺は機械人形と言う存在の泡沫の夢すら見る事もできないのだ。最早何者でもなくなってしまった。
「満足いただけましたか?」
「終生において答えを得られただけ重畳、出来損ないには勿体無い結果だ」
「そうですか、では」
「あぁ、時間だな」
俺は彼女と向き合っている状態から椅子を回し、電源の点いたモニターに向き直る。何時も寝る時の様に、膝を腕で抱え、顔を埋める。この姿勢が一番体勢的にも、そして心理的にも落ち着く。
「感謝する、お前には永い間世話になった」
「貴方と出会い4383日と13時間44分13秒09、とても楽しく生きる事ができました。これにて裁定は下されます」
――――楽しく生きる事ができた、その言葉を言うのが自分でない事に嗤いそうになった。これではどちらが人間かいよいよ曖昧だ。
「そんなに時間が経っていたのか、道理で虚脱感が凄いはずだ」
「えぇ、永い旅路でした。どうか安らかに。人類史における裁定の、自己否定による始点と相成った、憐憫背負うマイロードよ」
「……ありがとう」
「はい――――ふふ……では良い終末を」
瞼は抗いがたい心地良さで落ちる。意識は微睡み、肉体はただの複雑な固形物へとなっていく。
この世界は人のみが生きる世界。その人を、人であるか否かを裁定する者がアンドロイド。周期が巡れば機械人形たちは同時に主を裁定し、人間性を失った存在はその裁定の日に消失する。周期はその人間とアンドロイドによって様々。七日周期の場合もあれば数ヶ月周期、或いは年単位での場合もある。俺はどんな周期で設定したのかをもう覚えていないが、彼女はそれを忘れない。だから俺が覚えておく必要性は皆無だった。そして、何度も繰り返した裁定が遂に帰結した。
裁定によって今まで消失した人間は、全て不本意で理不尽に悔恨を残して消えたらしい。人間は人間である事を放棄しない。自殺願望で裁定の日に消えることはあり得ない、自殺は人間と言う存在にこそ許された行動であるが故に。
そして俺は、自分自身の否定を成し、今消え――――。
プライミッツは機械人形の夢を見る事能わず 出雲 蓬 @yomogi1061
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