マコトさんの失敗

「それである時、美川常務がすごく信頼していて私のすぐ上の上司、私が直接命令を受ける身分であった兵藤さんって言う人がね」

「その人が何かしたんですか?

「仕事が終わった時でした、その少し前にいろんな物を取り入れて会社の中の仕組みも便利になってた訳だったんでありましたけれどね」


 それが何かと思っていたら、その時兵藤さんって人が手倉さんの前で



「新しいシステムも面倒だよな、まあこれで多少便しょうべん利になるんだろうけど」




 って言ったそうです。それに対して手倉さんは顔を真っ赤にして目をとがらせ、兵藤さんをにらみつけながらあなたの年齢はお幾つですかと迫ったそうです。


「七歳の間違いではありませんか?そんな品性を疑われるような物言いは今後二度としないようにして下さい!」

 そして兵藤さんの二十七歳ですがと言う答えに対し、手倉さんはより鋭い目つきになって兵藤さんをにらみ、あごを右手でつかんで口からつばを飛ばしながらそうどなったそうです。そして美川じょうむさんにもあんな品性のない人間を使わないようにと、静かだけど重々しい声で言ったそうです。


「私は具体的に何がいけないのかと手倉に聞こうとしました、そうしたら手倉がこれまた目を吊り上げて私に下品な言葉を言わせないで下さいと社内中に聞こえるような大声で怒鳴り付けました。いや、わざと社内中に聞かせる為に拡声器って言う声を大きくする道具を使って」


 兵藤さんがそんなひどい事を言ったって騒いだんですか?


「ええ、名指しで兵藤さんを非難したと言う具合でありまして」


『小便 →尿、「おしっこ』は幼児のみ』


 そう、黒辞書にのっているこの単語を使った結果、兵藤さんは、どうでもいい仕事に回されてお給料もだいぶ減らされたそうです。

 あれ?その手倉さんって人はしゃちょうさんでしたっけ?


「違いますよ、でも社長よりも恐れられていました」


 しゃちょうさんが一番えらいんですよね、それでしゃちょうさんはその手倉さんって人よりお給料ってのをたくさんもらっているはずなんですよね。


「それはそうでありますがね、その手倉って人の更に上には」


 ああもしかして、手倉さんはまた別の、マコトさんがいたとこを好きにする事ができる別の何かにいたんですか?

 わたくしたちがどんなにいばった所で、神様から見ればほんのわずかの差だけでみんな同じ。それがなんとなく、わたくしたちの体にしみついている教えのような物であり、だからこそいろいろむさぼってもむだだよと言う風に、なんとなく思ってる訳です。神様の名前?……えーと、思い出せません。


 まあとにかく、ですからわたくしたちと同じように、マコトさんのいた南の方にもあやまちを犯した人に罰を与える事ができる存在があるんですかと言うわたくしの問いに対し、マコトさんは「きょういくいいんかい」と言いました。


 わたくしがその生まれて初めて聞いた、意味がかけらもわからない、全くチンプンカンプンな「きょういくいいんかい」なる言葉を言葉尻を上げながら口にすると、マコトさんは深くためいきを吐きました。


「佐藤さんはお二人のお子さんをどうしたいと思います?」

「どうしたいって、まあ元気に育っていい子を産んでくれればあとは……」

「それをどうするか考えてそして行うのが教育と言う物で、それでその教育と言うのを考えている専門家が教育委員で……」

「……つまり子どもを立派に育てるためにいろいろ考えている人たちと言う事ですか。ずいぶんとひまな人たちですね」

「暇ですか、いやあ厳しい物言いだなあ」


 きびしいって、例えば夏なんか朝起きてご飯食べて田んぼを見て草を抜いてこやしと水をやって、それが終わったらよその家にあいさつしてお話して米や休みの日にこしらえていた笠とかをにんじんやだいこんにごぼう、それに服とかと取り替えてとかやってると……もうたいてい夕飯の時間ですよ。

 娘はねえ、忙しい時には苗やすきを運ぶとか手伝ってもらう事もありますが、まあ普段は同じ年の子どもたちとさわぎ回ってるだけですね、ましてや下の娘はねえ。わたくしができる事があるとすれば、寝物語としておとぎ草子を読み聞かせる事だけでね。


「確かに暇じゃなさそうでありますね」


 わたくしの父親がやっていた事も、これとほとんど変わっていません。その結果できあがったのがわたくしのような人間なわけでございます。わたくし、神様と父母や姉にはじをかかせるようなまねだけはしていないつもりでございますが、これじゃ足らないんでしょうか


「足りないんでありますよ、全然」


 何でも、南の方では十二歳の子どもが千文字もの漢字を読み書きする事ができて、わたくしたちよりずっとむずかしい計算もできるそうです。いやはや、すごいですよね。

 ……ところで、それでいつ動いたり、他の子どもたちと遊んだりするんですか?


「その為の勉強が終わった後で……してね、大体午後二時か三時ぐらいになります。ただ、そうしないで家の中で一人で遊ぶ子どもや、また別の場所で学習して高い知能を身に付けようとする子どももいました。あっもちろんさらに別の場所で運動して身体能力を上げようとする子どももいましたよ。

 夕食はおおむね午後六時ぐらいになります、最近はもっと遅くなる家もありますが。私は今までずっとそうやって暮らして来ました。六歳の時から、いや三歳の時からそれが生活のリズムとして染み付いていたんで、いました。それで今、会社に身を置いていた私は午後七時半ぐらいまで仕事をして、寝始めていたのは午後十時半ぐらいでしたけどね」


 午後七時半と言うのが夏でさえ夕焼けすらなくなりかけた頃の事であり、午後十時半と言うのが真っ暗なやみ夜だと言う事はわたくしにもわかります。

 仕事を長くやってお金をかせぐと言うのはまだわかりますけど、それがもう終わったって言うのにそんな時間まで起きていて一体何をしようって言うんでしょうか。わたくしいまだに訳が分かりません。


「ここに移り住んで来て一番よかったなって思うのは、本当に星空が綺麗だって事で、ございます」


 下の娘なんかは夜眠れないと星を見てるんです。わたくしも妻もよく飽きない物だと言いますけれど、実に大好きみたいでねえ。

 星を見ているときれいで、眠くなりさえしなければ一晩中でも大丈夫だって言うぐらいなんですよ。

 さいのうって言う言葉はマコトさんから聞いたんですけど、下の娘には星を見るさいのうってやつがあるんですかねえ。しかし、夜を明るくしてどうするんですか?やっぱりあやかしとか獣とかに?


「あやかし…ああ妖怪の事でありますか?」


 わたくしもあやかしって言うのをこの目で見た事はないんですがね、夜に出歩く事などほとんどないので。昼間に出会う事はありませんし、あくまでも後藤さんの家にあった本で見ただけで、その本によれば夜に出る物らしいんですけど。


「妖怪なんて南では存在すらまともに信じられてませんよ。それでまあ、獣とかもほとんどいませんしね。いて犬か猫で、イノシシやシカなんかが現れたらそれだけで大混乱になりますよ。ああ、人を襲うオオカミとかいないんでしょうか」


 村尾さんの嫁さんは見た事があるそうですけどね。まあよそに行ったのかもしれないし、本当にいなくなっちゃったのかもしれませんし。とにかく、何の必要があって夜を明るくするんですか。


「他の人間が怖いから、それが最大の理由であります」



 わたくしが生まれてすぐの頃、かつて大雨続きで作物がみのらず食うに困った人がかまを振り回して作物をうばおうとした事があったそうでしてね。なんでもその人はばつとして十日ほど雨ざらしの中大木にくくり付けられて食事だけ与えられて生かされ続け、大雨が止むと解き放たれたそうです。


「それもありますけどね、いろいろと怪しい話を持ちかけて相手のお金を手に入れようとか、そしてそのお金で更に悪い事をするとか。いやあるいは単に暴力を振るうが為だけに相手を襲う事もあります」

「………あの、その後どうするんですか」

「もちろん、警察と言う組織によって捕まって罰を受けますよ」

「いや、そうじゃなくてどうして何にもいい事がある訳でもないのに暴力を振るうんですか?」

「単に自分の心のもやもやを吹き飛ばしたいとか…ああ、佐藤さんは日頃鬱憤がたまった時はどうしてるんでしょうか?」


 わたくしの場合は母なる大地に力任せにくわを叩き付けてますね、嫁には完全に見通しみたいで落ち着いて下さいよとかたしなめられてますけど。


 嫁の場合は突然大声を上げるみたいでね、わたくしや近くの人々などはなれたもんですけど娘はこわがってますよ。まあもちろんわたくしや女房のやってる事だって十分にめいわくだとは思いますよ、でも相手になぐりかかってきず付けようだなんて、もっとめいわくですよね。南の方ではめいわくまですごいんですかね。


「まあねえ、正直ここは南に比べると随分静かでいい所でありますよ。昼間でも人は少ないし聞こえるのは農作業の音ばかりで、夜なんか本当に鳥や虫の声ぐらいしかしませんし、いやしませんからね。ああ申し訳ございません、いえその、昔の習性で、つい言い換えてしまうんです」

「習性?」

「私がここに来たのは、実は今の会話のせいなんでございます」

 今の会話の何がどうここに来る理由になるのか、わたくしは全く訳が分かりませんでした。一体どういう事なんでしょうか。

 わたくしが大きく首をかしげると、マコトさんはいつになく遠そうな目に笑みを込めたくちびるを組み合わせた顔をこちらに向け、まゆ毛を真っ直ぐにしながらわたくしに向けて舌を動かしました。




「さっき申し上げた兵藤さんが更迭された、ああ要するに放り出された後、私が呼ばれたんです。兵藤さんがいた役職の次の存在として私が呼ばれまして」

「それは……少しえらくなったって事ですか?」

「まあそうですね、ところがその時……」


 しゃちょうさんや美川じょうむさんと一緒に、きょういくいいんかいから来た手倉さんって人も一緒にいたそうです。マコトさんは、しゃちょうさんから急な話ですまないけどよろしく頼むよと言われたんです。




「その時、私は口を滑らせてしまいました。まあ重要な役職を空っぽにはできないのは当然ですしね、って」




 じゅうようなやくしょくをからっぽにはできないのはとうぜんですしね……………何がいけないんでしょうか?

 わたくしだってよく使う言い回しですし、どうという事はないのではありませんか?




「いいえ、その言葉を聞いた兵藤は顔を真っ赤にして私の首根っこを、わざわざ厚い軍手をはめた後掴み上げ、そしてそのまま彼女は細い腕からは想像もできないような力で私の首根っこを掴み上げながら持ち上げまして。

 そして私が息が苦しくなって離して下さいと言うと兵藤は私を床に叩き付け、社長に即刻私を会社から追い出す様に命じました」




 ためしに自分の首筋を自分でつかみ上げてみましたが、加減していても呼吸が苦しくなって来ます。おそらく、マコトさんは手加減なんかされず相当に息苦しい思いをなさったと思いますよ。


「社長はためらってくれましたが、今度は社長が兵藤にものすごい目付きでにらまれましてね、その日の内に荷物をまとめて出て行かされました」


 じょうむさんやお仲間の皆さんも全く冷たい物で、ご苦労さまの一声すらなかったそうです。失礼、一人声をかけてくれたそうですがその人も後で兵藤さんにはげしくしかられたそうです。




「それで会社から放り出されて行く当てもなくなった私はここに来たんです」

「あのーすみません、わたくしには全然わかりません、何がいけなかったんです?」

「佐藤さんは生き物が命をなくすことを何と言います?」

「死ぬ……ですよね」

「では娘さんに何か喋ってもらいたい時は何て言います?」

「言ってくれるかな、とか父さんに話してみなさいとか」

「いやもっと強く、どうしても喋ってもらいたいと命令する時は」

「言え、ですよね…………」

「それを足すとどうなります?」




 マコトさんのお話がそこまで話が進んでようやく気が付きました。




 重要な役職を空っぽにはできないのは当然



 という文章の「しね」と言う部分が死ぬと言う事の命令形である「死ね」と音が同じなんですね。


 と思ったら問題は「しね」と言う二文字だけではなく、その前の「です」と言うのもいけないらしいです。何でも、遠くの国の言葉で「死」を意味するそうで、だから兵藤さんはマコトさんのそういう言葉を聞いて怒ったようです。


「黒辞書にも載っていますよ、レベル一及び二の言葉として」




『です もしこの言葉を敬語のつもりで使っている人がいたら、即刻辞めて下さい。でしょう・でしたなどの変化形はまだしも、断定系の「です」は英語の「デス」と同音であり英語圏の人間を大変傷付ける恐れがあります。→であります、でございます』




『~しね 「しね」は「死ね」と同音であり、相手に対して生きている価値はないと言うのと変わらない程度に礼を欠いた暴言にあたります。相手に対しよほど腹に据えかねた事がない限り、こんな物言いをしてはいけません。→~からね』




「もちろんいましたよ。そしてそういう人たちは多くの場合これまでの仕事場よりずっと安い給料しかもらえない仕事に仕方なく就くか、さもなくばそのまま飢えて死ぬかのどちらかしかなくなる訳で……。

 まあ私もその口で、はっきり言えばそんなのが嫌だからこそほぼ着の身着のままでここまで逃げて来たと言う訳でありますけれどね」


 わたくしなど、生まれてこの方何回「です」って言い、そして言われたかなんて覚えてませんよ。もちろん「~しね」と言う言葉も。そしてそんな事を気にする人は村の中に一人とていません。

 そんな理由でかいしゃを放り出されたのであれば、他にも同じ理由で仕事をなくした人がたくさんいたんじゃありませんか、と言うわたくしの問いに対し、マコトさんははずかしそうに顔を赤らめながらそう答えました。

 兵藤さんと言う方から見れば、わたくしたちはみんなまともな仕事に付く事など許されない人間と言う事になるんでしょうか。何とも恐ろしいですね………。

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