【二十五】
出発ロビーの人出はさして多くなかった。
出国する外国人客がほぼ九割を占めているように見える。
夏休みもあと四日。帰国ラッシュもとうに終わっていた。
広い窓から陽光が差し込んで、空調の効いた室内に残暑の暑さを思い出させている。
大荷物を載せたカートを押している黒人の団体客を避けて四人は壁際に寄った。
「直行便はないんだねー」みつるが電光掲示板の方を向いて眼鏡を動かした。
「乗り換え二回さ。遠い国だよ」
ネコが息をついた。
「はるばる日本までよく来たね」ジュディが茶化す。
「まったくだ。別にお前に会いに来たわけじゃないけどな」
「飛行機でゲロ吐くなよですね」
「うるさいよお前は」
頭をはたくがジュディが避けて空振り。この、と言って耳を引っ張った。あたたた、と言ってよろめく。
あかりがあははと笑った。
「そういえば新幹線はダメなのに飛行機は平気なの?来るときどうしたの?」
みつるが訊く。ネコはちろっとあさっての方に目をやった。
「あー……直接入国したのは船でだったんだ。そこまでは――軍用機で夜行便だったから……」
「えー、それってもしかしてみつにゅ……むぎゅ」あかりがみつるの口を手でふさいだ。
「まーまーまー、過ぎた話過ぎた話」あかりがあたふたする。
ネコがくすくすと笑った。
搭乗手続きを告げるアナウンスが響く。
「ぼちぼち、かな」
ネコが床に置いてあったバックパックを持ち上げた。
「荷物、そんだけなの?」
「うん。もともとわたしのものなんてなかったも同然だし。全部捨ててきたよ」
あかりの顔を見る。
「いろいろと手間かけて悪かった。――ギイさんたちに礼を言っておいてくれるかな」
うん、と言って頷いた。
「――まだなんだか信じられないよ。自分が生きてるなんて」
「本当にいっちゃうのね。――せっかく友達になれたのに」
みつるが悲し気な顔になる。ネコがごめん、と言って少し下を向いた。
「みつるにもすごい迷惑かけたの、まだ申し訳ないと思ってる。もしも、戻ってくることがあったら、また友達になってくれ」
「ううん、ずっと友達だよ、あたしたち」
みつるが目尻を拭う。
「いつか、あかりが教えてくれたんだ。あなたはどうしたいのか、って。――だからまず、したいことをしようかな、と思って」
「家族に会うの?」
あかりが訊くとネコは小さく首を振った。
「そのつもりはないんだ。消息を尋ねるつもりもない。――思い出は思い出のままにしておいた方がいいような気がしてさ」
あかりの眼を見た。
「わたしも、明日が幸せになるほうに賭けてみるよ。せっかくもらった命だ、大切にしなきゃね」
ネコが微笑む。あかりが頷いた。
ジュディの顔を見る。
「次に会う時は決着つけるね」にんまりと笑う。
「ああ、楽しみにしてるぜ。首洗って待ってろよ」
笑って拳をかざす。ジュディも拳を握り、正面からこつんと打ち合わせた。
「それじゃ、ここで」
カウンターの前で荷物を背にした。
「ネコちゃん」あかりが呼び止める。ん、とネコが顔を見る。涙目だ。
「故郷に帰ったら連絡ちょうだいね」
ああ、必ずする、と言って目尻を指で拭った。
「どうもあれ以来涙腺がゆるくなって困ったな。――かっこ悪いからもう行くよ」
「元気でね」あかりが手を上げる。
「ありがと。みんなもね」
片手を上げてゲートに向かって歩きだした。
※
「ネコちゃん、さっぱりしたいい顔になってたね」
そうだねー、とあかりが答えた。
「たぶん、縛られてたんじゃないかな、いろんなことに。解放されたんだよ、きっと」
「ちょっと、うらやましい気もするですね」
ジュディが寂しげな顔になる。
「そっか――ジュディはまだ仕事があるんだよね」
あかりが少し下を向く。
「わたしももう行かなきゃですね」
電光掲示板を見上げてぼそっと言う。
「せめて卒業までいればいいのに」みつるが寂しげに言った。
ジュディが涙目になる。
「いたいですね。でも次の任務あるね。自分の能力に悩んでるジュニアの子、世界中にたくさんいるですね。ジュニアのトレーナー、慢性の人手不足なの知ってるですね」
言葉を切ってぐすんと洟をすすった。
「チェッカーもここで卒業してもいいよって言ってくれたですね。でもここでライセンス取ってしまったら、ジュニアでの活動、制限されてしまうですね。ジュニアの子たち、みんながあかりの見た光になるね。がんばってくれたあかりのためにも人類の明日、大切にするですね」
自分に言い聞かせるように言った。
あかりが拳を口元に当てた。
「立派な、仕事だよね。――応援、してるよ」
押さえていたが、涙声になってしまった。
それを見たジュディの顔がくしゃくしゃに歪むと、わあっとあかりにしがみついた。
肩に顔を埋めて泣き出す。
「ほんとは、ほんとは行きたくないよお。――二人と一緒に卒業したいよお。二人とも大事な、大事な友達。今まで、今までで一番、楽しかったよお」
えんえん泣いた。
あかりの眼からも涙がこぼれる。優しく抱きしめた。
「またおいでよ、必ず。ね?――あたしたち、待ってるよ。また一緒にお風呂、入ろう。みんなで、一緒に」
ジュディが顔を伏せたまま何度も頷いた。
※
始業式の日。
学校の玄関を出て、空を見上げた。
日差しがわずかに和らいでいるのを感じる。生い茂った桜の葉が作る日陰が路面に複雑な影を落としていた。
「あー、どうもなんか気が乗らないわよねえ」
「休みボケよ」
あかりがあっさり言う。
「波瀾万丈の夏休みだったからかなあ」みつるが上を向く。「なんか気が抜けちゃって」
「まあ、無理ないかもねー」あかりが笑った。
校門を出る。
曲がったところで向こう側から、チェックのシャツの袖を捲って薄いブルーのジャケットを肩に担ぎ、サングラスをかけた男がぶらぶらと近づいてきた。
あら、と言ってあかりが立ち止まる。
男がよお、と言って片手を上げた。
「ザキさん、でしたっけ」
「覚えててもらえたか。ははは、お嬢さんたちは今日も
「お上手ですね」みつるがふふっと笑う。
「その節は大変お世話になりまして、ありがとうございました」
あかりがぺこっと頭を下げると、ザキはいやいや、と言って手を上げた。
「――今日は、どうしたんですか?」
ザキが小さく頭を掻いた。
「や、ちょっとお嬢さんたちの顔を見にね。――時間よかったらお茶でも付き合ってくれないかな」
「――その後、なんか変わったことはあるかな」
ザキはひと口コーヒーを啜って二人を見た。
あかりとみつるが顔を見合わせる。首を振った。
「特にこれといってないです。――皆さんはお変わりなく?」
少し間があった。
「ギイたち主だった連中はアメリカへ発った。こっちでの仕事は終わったからな」
あかりがあら、と言った。
「アメリカ?――何するんですか?」
「まだ今回の件は謎が多いんだよ」
椅子に背をもたせかけた。
「あかりちゃんを苛めた姉原正剛だが、もともとは南西海大学の客員教授でね。在職中にPLCという機械を開発して一時そのスジでは有名になったんだが、能力者を使った違法な人体実験を行ったのが明るみに出て免職になったんだ。もうだいぶ前の話だが」
人体実験という言葉に、ちくりと痛みがよみがえった。
「その後渡米したあと、ペルーかどっかの大学に招へいされたらしいという噂を最後に消息がわからなくなっていた。その姉原がどういう経緯であそこにいることになったのか調べなきゃならん」
ザキは両手を組んだ。
「どこかに関係者がいるかもしれない。とすると第二第三の姉原が出てこない、という保証はないことになる。OZとしてはほっておくわけにはいかないわな」
なるほど、と言ってみつるがソーダのストローを咥えた。
「ザキさんはなんで行かなかったの?」
「俺はこっちで残務処理さ。本職もあるしな」
肩をすくめた。
「こっちにもまだ問題は残ってるんだよ。姉原や取り巻きだけであれだけの組織は維持できない。インカの連中やら南米のちんぴら共との間を取り仕切っていた奴がいたはずなんだ」
「つまり、『実務者』ってこと?」
頷いた。
「聞いた話では姉原って男はいわゆる研究馬鹿で、それ以外のことには一切興味がないある種の生活破綻者だったそうだ。悪の秘密結社だって金がなければやっていけない。あそこでつぶれた連中以外で姉原の仕事を金に変えていた奴がいる。そいつを洗い出すのが当面の仕事だね」
「なんか大変そうですね」
あかりの目が丸くなった。
「まあなあ。ま、ぼちぼちやるさ。――そこで君たちにお願いがあるんだが」
ジャケットの懐に手を入れて名刺を二枚出した。
「なにか変わったことや気が付いたこと、妙なことがあったら連絡してほしいんだ」
二人に名刺を渡した。
残崎勒次、という名前に電話番号とメールアドレスだけしか書いていない。
「FSSの緊急番号はまだ生きてるけど、今度はその連絡先を使ってくれ」
「わかりました。――けど、変わったこと、ってどんなこと?」
首を傾げた。
「なんでもいいさ。胸騒ぎがする、とか頭痛がするとかでもかまわない。君たちにしか感じ取れないこともあるかもしれない」
「そんなこと言ったらザキさん大変ですよ。みつるなんか年中になっちゃうわ」
「なんであたしなのよ」唇を尖らす。
「みつるは頭痛の種を作るほうか、カラオケで」
「失礼ねー、あかりはいいわよね、お風呂入っちゃえばいいんだからさ」
「うるさいわね」
あはははと笑った。ザキが失笑する。
「まあ、気軽に連絡してくれ。暇だから、でも構わんよ」
「あら、なんか新手のナンパみたいな気がしてきたわ」
あかりが横目で見る。
「そう言えばザキさんって独身?」
みつるが身を乗り出す。まあね、と言ってザキが肩をすくめた。
「結婚しないんですか?」
「相手がいればね、と言いたいところだが無理だろうな」
「なんで?」みつるが追及する。
「能力者だからですね?」あかりが言う。ザキが口を曲げた。
「あかりちゃんにはお見通しか。ま、それだけじゃないがな」
「ギイさんとかマリアンさんなんかよさそうな気がしません?」
意地悪そうに訊く。
勘弁してくれ、と言ってザキが頭を掻いた。
「あんなタカビーな奴年中相手にしてたらもたねえよ。それにマリアンはああ見えても子持ちだぜ」
あら意外、と言って口に手を当てた。
「まだ世の中、能力者が大手を振って歩ける時代じゃないってことかな」
「いずれ、なりますよ」
あかりが微笑んだ。
ザキは苦笑しただけだ。
ザキの車でみつるを家に送り、あかりも家の近くに着けてもらった。
「送っていただいてありがとうございました。お茶ごちそうさま」
あかりが車を降りてドアを閉めた。ザキが窓を開ける。
失礼します、と言って頭を下げた。頷く。
思い出したように窓から顔を出した。
「なあ、教えてくれないか。――これから、人類はどうなるんだ?」
あかりが立ち止まった。ゆっくりと振り向く。
ふと、目を下に落とした。
道端の草が紫色の小さな花を咲かせている。
手を伸ばし、花を摘んだ。
指先で弄ぶ。
ザキの顔を見て、にっこりと微笑んだ。
その顔を見て、手元の花を見る。
ザキは無表情に手を上げた。
「すまん、忘れてくれ。――元気でな」
あかりが頭をちょっと下げて、歩きだした。
ザキは胸元から細いタバコを抜き、咥えるとマッチで火を点けた。
深々と吸って、ため息のように煙を吐き出した。
後ろ姿を見送った。
少女が歩いていく。
遥かな、果てしない道を。
その向こうに明日がある。
人類の明日が。
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