第5話 ブランコ

 街灯で照らされた深夜の公園は、静かな住宅街の中にあって、不自然なほどに明るさを持っていた。つい最近、二人でご飯を食べたりする機会もあったのに、なぜか僕は緊張していた。それは普段のハツキが持っている、硬質なやさしさとでも呼ぶべきものが、どこかに消失していたからだ。いつもならどこか達観しているハツキが、今日は緊張しているように見えた。その緊張は僕にまで及んでいた。


 ハツキといることは好きだったから、深夜に突然、公園に行こうと言われても、何も言わずについてきてしまった。大学の同級で、ただの友達。いつも男みたいな口調でしゃべる女友達。美人で、目つきが鋭くて、どこか怖い感じがするけれど、とても寛容な女の子だ。


 そのハツキが、なんというか、恥ずかしがっている。女性としては短い髪をいじったり、下を向いたりしている。


 何だろう、もしかして好きな男ができたとかだろうか。それだったら嫌だな、と思った時にハツキが話しかけてきた。


「こういう公園に来るのってさ、結構久しぶりかも」

「僕もだよ。友達なんかは飲みに行った後に公園でひと騒ぎしてから、また飲みに行く、みたいなことを言っていたけれど」

「君は結構おとなしいのに、友達は騒がしそうだな」

「まあ、僕があまりお酒を飲んでも酔わないってだけなのかもしれないけれど」


 ハツキはブランコに近づき、足をかけた。勢いをつけて地面を蹴ってブランコをこぐ。勢いがつきすぎて、ハツキはバランスを崩しそうになった。ブランコを降りてハツキは言う。


「子供の時に乗って以来だけれど、やはり怖いものだな」


 そして寂しそうに付け加えた。


「子供の時は、大人になればブランコも怖くなくなるなんて思ってたのに」


 やはり、今日のハツキは少し変だと思った。僕は彼女の優しい言葉は、たびたび聞いたことがあったが、弱音を聞いたことはなかった。


 少し元気づけようと思って、僕もブランコに近づき、思いっきり漕ぎ出す。


「僕はブランコ、結構得意だったよ。でもさ、これが得意でも、どこにも遠くへ行けないよ。鎖でつながっているもの。だったら、ブランコから降りた方が、遠くへ行けるよ。多分みんなができないのは、ブランコに乗るより、遠くへいくことだと思う」


 ハツキは笑った。さっきまでの恥ずかしそうな、弱気になっているハツキはいなくなっていた。


「ばかみたい。君は、本当にばかだな」

「でも真実の一面でもある」

「格好つけたって、ばかはばかだよ」


 そこまで言われると僕が恥ずかしくなってきた。それを誤魔化すためではないけど、ハツキに文句を言った。


「弱気なことを言うからだよ。励まそうとしたのに」


 今度は微笑んでハツキが言う。


「わかってる。ありがとう」


 素直に礼を言われて少し拍子抜けする。ハツキは続けて言った。


「今日来てもらったのはさ、君に言いたいことがあったから」


 僕は少しぎくりとする。


 とても正直に言えば、僕はハツキに好意を持っていた。だから、急に深夜の公園に誘われても、特に疑問を持たずついてきてしまった。一方ハツキの方は、誰にでも公平で優しくはあるけれど、特に僕に好意を持っているとは思えなかった。


 もしかして、今日言いたいことっていうのは、僕がハツキを好きだってことがばれていて、先回りして牽制しようとしているのではないか。やはり、好きな男でもできたのか。そんな考えが脳裏をよぎった。だから、この後ハツキが言ったことが信じられなかった。


「私は、君のことが好きなんだ。良ければ、君の時間を、私にくれないかな。私の心をあげるから」


 僕は驚いたが、僕が驚く以上に、ハツキは自分の言ったことに驚いていた。そして、さっき落ち着いたと思った、髪をいじる恥ずかしそうな仕草が、目に見えて大きくなった。



「あなた、鈍いんだね。そこまで聞かないとわかんないものかなー」


 ヒカルはビールを飲みほして、カクテルを注文した。僕はビールの次にまたビールを頼んだ。


「いや、わかんないもんだよ、ほんと」


 ヒカルはものすごいあきれ顔をしていた。僕自身、確かに恋の機微に敏感というわけではないが、だからと言って、責められるほどではないと思う。


 一通り僕をにらんだ後で、ヒカルは言った。


「奥さん、かわいい人だね。ていうかかっこいい。私の心をあげるからって…。どんな美男子?って思うね」

「そうなんだ。かわいいんだよ。見た目も喋り方も怖く見えるんだけれど、ものすごくかわいい。でも初対面だととっつきにくいんだ。僕は最初、彼女にきっと嫌われているんだと思ったくらいだから」

「でも、本当はあなたのことが最初から大好きだったんでしょう。どうせ」

「その通り」

「犬も食わないってこのことだね。まったく」


 ヒカルはそう言いながらも、どこか楽しそうだった。


「それにしてもさ、あなたは奥さんのことが好きだったんでしょう?なんで自分から告白しなかったの」

「言ってもいいのかわかんなかったんだ」


 ヒカルは首を傾げた。


「どういうこと?」

「言葉にしたら、思っていることが軽くなっちゃいそうだって感じたから。口に出すと言葉はどんどん力を失っていく。真剣な気持ち程、その声はどんどん嘘みたいになっていく」


 どこか得心いったようにヒカルは言った。心なしか、優しい声だった。


「それ、言わなきゃだめだよ。どんなに嘘みたいになったって、どんなに言いづらくたって。だって、言わなきゃ伝わらないよ」

「そう、かな」

「それにね、何かを伝えるのってすごく難しいかもしれないけどさ、それって当たり前なんだ。コミュニケーションだって技術なんだよ?ちゃんと練習したり、実践したりしないと身につかない。真剣な言葉ほど、ちゃんと伝えなきゃ。場数大事だよ」

「この歳になって、大学生の女の子にコミュニケーションのことで叱られるとは思わなかった」


 ヒカルは僕の愚痴に笑いながら返す。


「少年老い易く学成り難し?」

「せめて、老若男女に学の別なし、じゃない?」

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