第六章 誰が為に鉄槌を振るか

1 悪夢の連鎖

――寝覚めの悪い夢だ。


榊守はまたひどい夢から目覚めていた。

ひどい寝汗と共に、たまにうなされることがある。そして見る夢は決まっているのだという。


「――」


時計は午前3時を指している。隣では妻の理彩が眠っている。榊の夢うなされは、今に始まったところではない。結婚した今では慣れきってしまっているようだ。

榊はそのまま布団から出ると。冷蔵庫から水を取り出して一息で飲み込む。

気分を落ち着かせると榊は左腕の傷跡を眺めた。

見る夢は変わらない内容で、眼前の木々が燃え、周りを僧侶が取り囲むというものだった。この夢には覚えがある。以前の東里横断道路で見たものと同じだ。

森の広場みたいなところで、周りは炎に囲まれたその場所で榊はどす黒い血に染まった左手を見ていた。そこに痛みがないのは、それが自分の血ではないという事なのだろうか、夢なのだろうかはわからない。


そしてその側には血に染まった人が倒れている。


それが何者かはわからないが、榊はその人に対して後悔なのか懺悔なのか震えていた。榊を囲むのは僧侶と言ったが、どちらかというとこの間の天玄山てんげんさんの時に会った魔封師まふうじ達の様な山伏スタイルの方が近い。山伏の中には佐山もいて具体的な内容は解らないが、榊にとって印象のいい夢ではない。


この間の天玄山の事も変な闇に体を飛ばされて気を失って以降、殆ど覚えていなかった。後日佐山から起こった事の概要は聞いていた。


佐山からの報告は、あの後何とか伊野宮率いる魔封師の一団によってあの闇は封じ込められたというものだった。


榊はその報告に関しては信頼していない。榊は天玄山でも左腕がまた暴発したのでは?と考えていた。

そんな後味の悪い夢を見た日の朝、榊は神楽不動産の社長神楽寛三かぐらかんぞうに呼ばれた。


「東里横断道路の工事事故ですか?」


不動産事務所で榊は寛三の質問に思い当たる件を思い出していたが、該当するネタはなかった。榊は無いと答えると、寛三は少し首を傾げた。

「…お断りしておきますけど」榊は寛三の反応を見る。

「あんまり仕事で受けたネタは口外できませんからね」

榊は寛三の反応にあらかじめ訂正を入れておく。

「つまりそれは……」寛三の反応に榊は手を差し出す。それは榊にとって『先に話をしてくれ』という意思表示だ。報道記者である榊にとって、先に得た特ダネ的ニュースはみだりに公表はしない。そのため訊かれたことに関しては、ほとんど答えられないのが現状だ。逆に視聴者から得る情報に関してはいくらでも歓迎している。聞いた情報が特ダネだろうが、若干遅い情報だろうが、自分の持っている情報と比べて有利であろうがなかろうが、相手の話から先にくみ取る必要がある。相手にとっては腹の立つ場合もあるがこの辺りをうまく話してもらうことも報道記者としてのうまいやり方ではある。

「ああ、そういうことか」寛三も榊の立場を納得してくれた。


寛三の話としてはここ最近、東里横断道路の工事現場で若干の事故が発生しているということ。さらにその事故の原因は何か見えないものの仕業ではないかというのだ。事件自体は榊もまだ情報は受けていない。そのあたりの情報は正式に警察なりが発表するが、そういった情報はない場合がある。その場合は特に視聴者情報などでしか受ける方法はない。近年は警察無線などの情報は傍受もできなければ、ドラマのようにその情報で追いかけるということはない。


しかし榊は気になることもあった。

「以前神移しをやったのではないのか?」

前に久我山らと行った―というか地震で失敗した工事現場の案件を思い出した。


「この間のとはまた場所も違うのよ」

同席していた藤本由美が榊の疑問に答える。

「我々のやったことは一部の限定的かつ一時的なところだけど」

神楽は吸っていたたばこを灰皿で消す

「今回はあの場所ではなく別の場所で起こっているんだ」

榊はその情報に関してはやはりまだないとだけ伝える。

「そうか」寛三は納得はしていた。

「ただ、もし何かあれば教えてほしい。我々がその要因のために力をかける必要がある。」

寛三は一息置くと榊たちを見直した。



その言葉を聞いた後、海原テレビでは視聴者からの情報が入った。

その情報というのが、東里横断道路工事現場での事故の件だ。

榊がカメラマンの高山と合流して向かったのは以前行った場所とは異なる東里市気山町の工事現場だった。

気山町は東里市の西側にある街で、平成の大合併によって東里市に編入された町である。東里横断道路は県東部の東里市と県西部の西米にしよね市とを結ぶ山陰横断自動車道の一部として整備が進んでいる。

事故現場そのものは既に警察による検証が進められていた。現場の状況を榊は『記者ではない』視点から見回していたが、これといった目立つ物はなく、迷い神が起こした残渣的な物も見受けられない。


特に事故のほとんどは工事進捗の遅れを取り戻そうとした作業のスピードアップから生じた人為的な物であった。


「工事現場での作業事故に、周辺道路の交通事故が数日の間に起こるとか…なんか気味悪いじゃないですか?」


少し感度の悪いラジオのコミュニティFMからの落ち着いた女性DJの声をききながら、助手席のカメラマン高山がぼやいた。運転席の榊は運転に集中しているのか曖昧あいまいな感じだった。

榊としても特段迷い神が影響した事件でもないと考えていた。


「何かあの辺りには何かあるんですかねぇ、例えば掘ってはいけない何かとか、それか狸か狐の妖術か…一度や二度ならまずしも、こう何度もあっては何か不思議な物を感じますけど、考えてしまいますよ何かマヤカシみたいな物を……、聞いてます?榊さん?」

「……」


高山の言うマヤカシみたいなものが本当ならば今回の件は有難いのだが、神還師的には何の成果もないという点は神楽達に安心させるべきかどうかである。取材で長引いた分ニュースまでも余り時間もない状況ではあるが、そんなことを考えていた時だった。


――あれは確か……。


「……なぁ、あの寺」

榊が道の先を指さすと、寺らしき物—それよりもその建物よりも大きな木の方が目立つ建物があった。

「あれ寺ですか?」

「行ってみよう」榊は何かに言われるがままのような感じで言った。

「全く……間に合わなかったらどうなっても知りませんよ」

高山は諦め半分に言った。榊は車を降りると境内に向かって歩いていた。


辺りを見回すと、ちょうど建設中の東里横断道路の高架橋部分に当たるところで、周辺を巨大な橋脚が形作り始めている。その下をくぐるかのように境内のそばには大きな木が生えていた。多分くすのきだろうか。榊は楠に手を当てる。


その瞬間、榊の脳裏に強い刺激が走る。残像の様なものが一瞬よぎる。その像に具体的な意味はないようだが、楠が持つ強い怨嗟えんさの様な物を感じ、榊の眼が急に鋭くなる。榊は本堂らしきところに目を向ける。


他人の眼にはがらんとした本堂である。主が不在なのであろうか、何かを奉る様子もない空間の中心に静かに座っていた。それは榊にしか見えていない迷い神だった。ただ静かに座り、榊の様子にも動じることはなくうつむいている。


「どちら様ですかな?」


ほうきを持った初老の男性が、本堂を厳しい表情で見ていた榊に声を掛けたことで、榊は本堂から眼を逸らした。男性は近所に住み、定期的に公園と化したこの寺を自主的に掃除していた。榊は楠が近々切られること、最近の工事事故にこの楠が怒っているのではないか?という男性の話を聞くと、この楠を調べることにした。


「ちょっと運転してくれない?」


榊は助手席に座るとノートパソコンを開いて原稿を書き始めた。

『東里横断道路工事現場の作業事故について…』

高山は腐った表情で運転席に座るとエンジンを掛けた。

ニュースまでに時間はない事を含めて、出来る編集を行うが、それだけが目的ではない。


『何でしょうか?』

「すいませんが東里横断道路上の気山町けやまにある廃寺についてお聴きしたいのですが…」


電話の先は佐山だった。榊の妙に下手したてに出た声を聴いた佐山は榊が仕事中だと判断した。その上で、気山町の廃寺について返答をメールにて送信する。


榊の携帯に佐山からのメールが届く。廃寺そのものの歴史を記した内容だ。特段気になる内容もない。ということは、あの中にいたのは迷い神なのかもしれない。


本社に戻ってニュースも終わりミーティングの後、榊は神楽ミキに電話を入れた。


「この間言っていたアレだが、悪さしている」

『どこで?』

「例の東里横断道路工事現場の事故、気山町の廃寺知ってるか?」

『廃寺……確か楠のある?…ちょっと厳しいかも』

ミキは電話越しに悩んでいた。


「何とかならないか?」

『調査を入れないとわからないよ』

「そうか…。ちらっと見た感じなんだが、楠も切るとのことで特にそれに対するフォローも無ければ、楠の先に高架があってかなり邪魔な状態になってる。」

榊が廃寺で見た概要を神楽に説明する。

『なるほどね。その理由だったら確かに『迷う』のも解る気がするし…』

「ではまた近いうちに調査を」

『わかった』

「もしもの為に装備決めといて、ちょっとこじれるかもしれん」


拗れるこじれるかどうかなんてものは現時点では判らない。今回の相手はかなり厄介であるということだけでどんな強さなのかもわからないからだ。


仕事が終わり、榊守は家路を歩いていた。

その時、背後から声がした。


「今回はお勧めしませんよ」

「『大物』…だからか?」

「そういったところです」


榊が振り向くと佐山が立っていた。


「だが佐山、その大物の手悪さ程度の施しがあの事故って言うのは、少し度が過ぎるんじゃないか?」

「その点は仰る通りです。そのために神還師は交渉を行うことが必要です。ただ――」

佐山は一息をついた。

「警告とでも言いましょうか。今のあなた達では交渉は出来ないと思って下さい」

榊は少し苛立ちを感じた。

「それは何か嫌なことでも?」榊は更に問いた。

「覚えているんですか?」更に訊いてくる。

「何をだ?この間から俺に覆いかぶさるこいつの事か?」

榊は左腕を佐山につきだす。

「……いや、覚えてはいないけど、佐山と話していると何かを思い出しそうになる。それに……」


佐山は榊に近づいて言った。

「私は守様の意志に逆らう気はありません。だがあなたが……」


言葉尻が強くなった佐山の言葉を榊はそこで止めた。榊はため息を吐いて言った。


「……その時はお前が私を止めてくれ。それはお前のお役目なんだろう?」


「失礼しました」

榊はまた帰路に向けると、そのまま歩き出した。

佐山は立ち止まったままだった。


佐山の忠告が今まで外れたことは無い。本筋的なところは話さず、単調なところは、余計な心配をさせまいという対応なのであろう。


――今のあなた達では、


榊が気になっていたのは、榊だけでなく神楽に対して無理だと語る佐山の反応がいつもに増して厳しい所だ。


「ヤバいのかもしれんな……」


榊は満月を見ながらつぶやいた。

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