6 見せしめの対価
「伊野宮さん、あんた人が悪いことしてくれるじゃねえか?」
榊は結界の中から伊野宮に尋ねる。
「人が悪い?それはあなたの方だ」
伊野宮が結界に叫ぶ。
「なんだと?」
榊が伊野宮に問う.。
「あなたほどの人間が何も知らないなんて事はないでしょう?若干馬鹿にされたと感じましたので少し懲らしめようと思いましてね」
伊野宮は周囲に合図を送る。榊を包んでい結界の勢いが増した。
榊は表情を変えない。持っていた錫杖を側に突き刺した。
「しらばっくれるのはやめましょうよ。私もお伽噺でしか訊いたことはなかった、あなたの一族のことを」
「一族?あなた何か勘違いをしていないか?」
榊は表情を変えずに伊野宮に叫ぶ。
「何をですかね?五年前この場所で起こったことを忘れたなんて言わせませんよ」
「五年前…天玄山」榊はほとんど覚えていない五年前の天玄山の事故のことがよぎる。とはいえ何も思い出せないのが現実だ。
「久し振りに見させてもらいましたよ、あなたがさっき放ったあの怨霊潰しは、昔ただ一つの流派が編み出した禁忌の技だ。」
伊野宮が人差し指で榊を指さしながら言い放つ。まるで証拠を見つけて謎解きを行う探偵の様なシチュエーションだ。
「怨霊潰し?流派?禁忌?だからどうしたんだ?それが何の意味になる?」
榊は狭まる結界の中で伊野宮に問うた。
「その流派はその昔、異端とされ滅びた。」
伊野宮は探偵ポーズをやめると、呪詛を唱えるときの型に戻った。
「榊さん、アンタみたいなのは滅ばさないとならないんですよ。」
「何?」
結界の中で榊は怪訝な顔をした。
「あなたは神を生かすことも、殺すこともどちらも出来る」
「神の上にでも立っているような例えだな」
「貴様は神ではない!!」
伊野宮はさらに結界を強めるとさらに結界を外側に増やす。
「アンタのような
「……!」
突然張っていた攻撃結界が内側から光に包まれた。ガラスのように結界にヒビが入り割れていく。伊野宮達が張った結界はすべて壊れて防備が失われていく。
「伊野宮さん、あんたの考え間違いではないがやめといたほうがいい」
榊は伊野宮をじっと見つめる。その目は最初の時と同様静かなものだった。
「そして我々に構うな。我々は意味のない戦いも、偏見の押し合いは正直好かん」
榊はゆっくりとしゃべる。
「すまないが、我々的にもこういう危険は除去しておきたい。」
伊野宮の言葉に他の山伏達も構える。
「そうか、忠告はした。」
榊の言葉に呼応して、魔封師は攻撃型結界を展開する。
「やはり同調はできないか…」
榊はつぶやくと右手の人差し指と中指を出して指先を唇に当てる。
『
榊が自ら防御結界を展開する。展開速度は伊野宮達ほど速くはないが、榊を守るだけの十分な結界だ。
「やはり自分から展開できるじゃないですか」
伊野宮がにやりとつぶやくと、合図を送り攻撃結界を榊に向けて展開した。
結界は榊の結界にぶつかるが、榊の結界に弾かれた。しかし更に別の攻撃結界が榊に迫る。
「波状型…。」
「我々も同じ術は二度は使いません」
榊の防御結界にヒビが入り始める。数回の攻撃には持たないようだ。
「であれば…」
榊はまた唇に指をあてると、ブツブツと唱え始めた。
攻撃結界は内部で弾かれていた。榊は新たな結界を張り始めたのだ。
「高速詠唱か、何も知らないのは嘘のようだな」
「そうだな、あいつは何も知らん」
榊はその状況でも落ち着いていた。
「なぜアンタは神楽にその力を教えない?」
伊野宮が厳しく問うた。
「神楽?誰だ、そいつは」
「何?」
伊野宮が違和感に気づいたのはその時だった。
「展開中止だ!防御結界を!」
伊野宮が怒鳴るが手遅れでもあり判断ミスだった。魔封師が放つ波状型の攻撃結界を最初は榊自身が術を唱えて自ら結界を張り対応していた。しかしいつの間にか榊は何も唱えてはいない状態で悠然と伊野宮と会話をしていた。
榊は相手の攻撃結界を逆手に取っていたのだ。高速詠唱と思われた榊の法術は結界の反射だった。榊に向かって波状的に放たれた攻撃型結界は反射され、伊野宮たち魔封師が放った結界同士が打ち消し合う状況を作っていた。その攻撃を止めてしまえば魔封師側に攻撃結界が襲ってくる。防御結界を構築する時間もないので、結果他の魔封師達は自らの攻撃結界に押されてしまいその体制を崩された。
伊野宮は寸出の所で防御結界を展開して難を逃れた。
「攻撃結界を逆方向に回すとは…。」
「……」
榊は沈黙していた。その沈黙は何かに憑りつかれている状態だ。
「お前に問う、その身体に憑く理由は何か?なぜそいつに付きまとう」
「――忠告はしたはずだ。これ以上波風は立てるな」
榊の言葉と同時に伊野宮は突然強い衝撃を受けた。振り返るまもなく伊野宮が崩れる。
「無茶しないでください」
伊野宮の後ろには佐山が立っていた。他の魔封師は榊の攻撃結界返しで伸びていた。
「悪いね。いいタイミングだ」
榊は計画通りと言った顔をした。ここまでの流れがすべて榊ではなく、榊もどきが起こしたことだ。
「人数が多いですね」佐山はため息を付いた。この手の後始末は佐山の仕事だ。関わる人が多ければ多いほど佐山の負担は増える。
「佐山、伊野宮の記憶は消すな。」
伊野宮に寄りかかっていた佐山に榊もどきが指示した。
「危険じゃありませんか?」
「問題無い。」
榊は表情を変えずにつぶやいた。
「何故ですか?」
「見せしめと警告だ。」
信用していないとはいえ、伊野宮は榊達を排除しようとしたが、すべての記憶を消してしまうよりもただ一人残しておく方が効果は大きい。
「この現状を自分一人だけが受け入れるんだ。必然的に勝手に怯えるだけだから、何の影響もない」
「戯言にするわけですね」
「ああ。お前の得意な戯言だ」
「帰りますか?」
「ああ」
榊は携帯を出すと、妻の理彩に電話を掛けた。既に理彩は佐山の手配によって近くの駐車場まで来ていた。
「お前の手配か?」
そこに佐山の姿は無かった。
――一週間後、無縁屋では伊野宮が天玄山で起こったことを様々な角度から思考し続けていた。
異端とした榊は魔封師達の記憶をすべて消してしまっていた。誰もあの夜のことも覚えていないと言った。
そのことが完全に本当のようになっており、伊野宮の言葉の方が嘘になっていた。
何だったのかよくわからない一週間がすぎる頃ドアのベルが鳴った。
「いらっしゃいま……」
目の前には榊守が理彩を連れて立っていた。伊野宮の表情がこわばる。
「何か用ですか?」
「コーヒーカップのセットはないかな。家で使っていたのを割っちゃって……」
「でしたらそちらですよ」
伊野宮が指さす方にこぎれいなコーヒーカップが数点並んでいた。
「どれにしようかな…」理彩はカップを一つずつじっくりと見て種類を選ぶ。
3点選ぶと伊野宮の目の前に持って行った。
「これください」
伊野宮はレジを打ち静かに金額を言った。
「二千円です」
榊は財布から千円札を二枚出すと伊野宮に渡した。
「どうも、箱に入れますか?」
「ええ、お願いします」
理沙が
伊野宮は近くにあったチラシを使ってカップと皿を割れないように包んだ。
「どういうつもりだ?」
包みながら伊野宮は先週のことを榊に訊こうとした。
「言っただろう」
さっきとは違うトーンの声で榊は伊野宮に語る。
「これ以上波風立てるなと」
榊は理彩と共に振り向くことなく店を出た。えもいわれぬ空気感に圧倒された伊野宮はそのままうなだれ崩れた。
帰る榊の横に佐山が並んで歩く。
「あなたも人が悪いですね」
佐山が榊に語りかけた。
「別に私は何もしていないよ。向こうがふっかけただけだ」
榊もどきは普通にしゃべる。
「当面は何もしませんかね?」
「そこは問題ないだろう、審議会は?」
「特には何もない感じでした。この間のは魔封師の伊野宮単独の行動として処理されたみたいですし。神楽側も同様です」
佐山は落ち着いてしゃべった。
「そうか……。」
榊の反応に佐山はそのまま消えた。
榊は瞬間的に戻った後に持っていたコーヒーカップをしっかり持っていることを確認した。
「大丈夫?」理彩が何気なく訊いてくる。
「ああ。大丈夫だ。」榊はそのまま歩き始めた。
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