5 「闇」の記憶と暗部
――二日後、寛三たちの不安をほとんど気にしていない榊守は、伊野宮の運転する車で東里市街から離れていた。他の魔封師とは現地集合ということで車内は榊と伊野宮しかいなかった。
「この方向は天玄山ですか?」
「流石記者ですね。地理がよく解っていらっしゃる」伊野宮は運転しながら、榊の質問に答える。
榊は何処へ連れて行くのかわからない伊野宮をかなり怪しんでいた。単純に車で連れて行っている体であればまだましだと思っていたが、ハンドルを握っている伊野宮は鈴懸と結袈裟を着込みほぼほぼ山伏の格好だからである。榊はいつもと変わらない、ジーンズとヒッコリーシャツという軽いいでたちに対して、山伏姿が伊野宮だけの格好なのか、この後会う予定としている魔封師たちの標準的な格好なのかどうかも気になる。普通に見れば、神還師としての
そんなことを思いながらもハンドルを操作する山伏は、格好から発生する面倒くささを的確に解決しながら器用にハンドルを操っていたので、その辺りの違和感は不思議と無かった。
「ところで、何で天玄山なんですか?」
榊が伊野宮に訊いた。
「まぁ、特段の理由はないのですが、榊さんの場合は関係があるのではと思いましてね。」
「関係ですか?」
榊の脳裏にこの間の戸田の話が横切った。五年前の天玄山での迷子のことを何らかの形で知ったのだろうか?そんな突飛なことを思ったが多分関係ないだろうと言い聞かせる。
「関係はないですよ。ただ…。」
「ただ?」伊野宮が反応する。榊はその圧に押されながらため息をつく。
「夜の天玄山というのは何かと気味が悪い。まだあの事件も解決したわけじゃない」
あの事件とは五年前の女子大生殺人事件であり、その事件はまだ犯人も捕まっていないからだ。
「…確かに解決はしていません。」
伊野宮は静かに言う。
「だが、解決しても、犯人は現れない」
伊野宮はそこまで言うと、榊の反応を横目に見る。
榊は伊野宮の言葉に引っかかった。まるで何かを知っているようだ。
「何か知っているのか?」榊の眼が記者の目になり鋭くなる。
「いいえ、知りません」
伊野宮はつぶやくと、アクセルを踏み込む。榊はそれ以上を訊かなかった。
関係者かもしれない情報で重要ではあるものの、その言葉には何か確証的な物を感じられない。
この手の話はもやもやしたものが残る後味の悪い感じではある。しかし断定する為の証拠と、確定する為の根拠が同時にない以上、どちらか、あるいはどちらもかけてしまえば、その言葉には確証をもたない。
これらの話はきっかけにはなるかもしれないが、そのきっかけは常に視聴者に当たらないふわふわとした風船のようなものだ。特に事件物については警察も確証を付けない限りどうしようもない。それは当たり前の様に榊は感じていた。そのあたりのことはよくOBだった戸田も言っていた。
「キチット足を使って証拠と確証のある情報を探せ」
という報道のイロハを教えてくれたのも戸田だった。榊の様に佐山を使って情報を探しても情報源が榊ぐらいしか見られない物の怪の類だったらそれこそ確証にもならない。そのことが少しでもわかるようなら、何があろうと価値ゼロの烙印を押されることになる。しかし榊は、戸田の言うことも理解しつつ、佐山の情報をうまく使う事を考えている。不可怪事件に関しても佐山の情報をきっかけに間接的に裏付けを行い、警察でも見つけられなかった情報をタイミングよく探し出すことにしていた。そのことがミステリーハンターのきっかけにもなっているのも理由の一つだ。
そんなことを榊は思い出しながら車は天玄山の登山道入口の駐車場に停まった。深夜にもかかわらず、何台か車が止まっている。伊野宮の車が停まると、停まっていた車から山伏姿の男たちが何人か出てきた。全員仲間か…と思っていると伊野宮の車を囲った。伊野宮が降りると、榊も後に続いた。
「これはあなたの仲間?」榊が訊く。
「まぁ、半分は今回の件の委託ですけど」
「前よりも規模が多いな。そんなに強い迷い神なのか」
「まぁ、そうでしょうかね…」
「ふーん…」榊の受け答えに伊野宮は特に違和感を覚えなかったが、そのあっさりとした態度に若干の苛つきを感じた。
伊野宮は集団の先頭に立つと天玄山の登山コースに入った。その集団に榊もそのままついて行く。簡単な装備で出かけた榊は夜の山道を歩くことに抵抗を感じたがこの空気ではどうしょうもないので私物のLEDライト片手に山道を歩く。
伊野宮は登山道の途中から道をはずれた。その道を他の山伏たちもついて行く。
「この先って何があるんですか?」そばにいた山伏に榊が尋ねる。しかし山伏は無口だった。
榊は少し腐ると、先頭はちょっとした広場に出た。
「ここは…」榊にはあまり覚えがなかった。
伊野宮たちは広場の一角にある小さな石積みを囲むように展開する。
「榊さんは天玄山の事件をどこまで知ってますか?」
「身体の一部が遺棄されていた現場なのは知っていたが…、ここがまさか?」
「その遺棄現場です。あなたも記者ならその事は知っているはずでは?」
「引き継いだ事件なものでね。ここ数年はほとんど進捗もなかったからな」
榊はまじまじと周囲を見回す。
「法具の準備をしなさい」
伊野宮が他の山伏たちに命令する。キャンプで使われるような折りたたみ式のテーブルを広げるとその上に白布を敷いたと思うと仏教法具のような道具を整然と並べだした。
「包囲展開」
伊野宮の言葉に山伏達は四方に分かれる。この間の結界展開のようにするつもりなのかと思っていると伊野宮が榊に対して咳払いをした。何なのかと思っていると伊野宮の法具の前に立っていた榊は伊野宮達の囲む包囲の中に入っていた。コレばっかりは榊も肩をすぼめながら包囲から出ていく。
「始めよう」伊野宮が言うと法具に載せた器具を手に取ると、動作を加えて呪詛のようなものを唱え始める。
榊にとっては、何が起こるのだろうかと疑問が発生するところなのだが、伊野宮の呪詛が何を言っているのが全く分かっていないのだった。それは世に言う宗派だとか地域性などの明確なものでもない。
榊の場合はそのような下地もまったくと言っていいほどないようだ。
わかったフリも出来なさそうなので、とりあえず、厳しい顔をして榊は伊野宮の様子を見ていた。
そんな榊の無知さ加減を伊野宮も薄々とだが呪詛を唱えながら気付いていた。
――何なんだアイツは?
呪詛を唱えつつ榊がほぼほぼ考えていないことは判っていた。本当にあの男は大工町で怨霊を倒した男なのか?伊野宮の雑念の様なものが、抑揚となって呪詛に混じる。その違和感に榊は気付かなかった。
法具と共に載せた蝋燭の光が微妙に揺れて、弱い風が吹き始める。それは違和感で伊野宮が気付いた時には遅かった。魔封師が囲むエリアの中で、強い反応が発生する。
「しまった!!」
伊野宮の叫びの様な声に榊は目の前に新たな闇が発生したのを感じた。
闇はこの間の大工町の時と同様、黒い雷を放つ球体となって現れた。
その出現と同時に周囲の山伏達も呪詛を唱え始める。
「抑え込むのか?」
「……」
伊野宮は榊の質問に耳を傾けなかった。沈黙の中、周囲の山伏達の呪詛を聴いていた。
山伏達は前の時と同様に結界を武器として、闇を抑え込もうとしていた、結界はその幅を狭めていく。
「あれは亡くなった女子大生のものか?」
榊は伊野宮に尋ねる。
「いや、あれは男の方だ」
「なに?」
榊は怨念らしき固まりをみるがそこに性別の何かをみることはない。それが何かの怨嗟の固まりであることしか確認できなかった。
「男ってことはまさか犯人なのか?」
「そうだろうな」
「じゃあ奴は……」
榊が最後まで語ろうとしたときに、山伏たちが包囲していた結界が壊れた。
その隙間を縫って闇は噴き出していく、噴き出した闇は榊や伊野宮たちに襲い掛かろうとしている。
伊野宮は傍においていた
「危ない!!」
伊野宮が榊に結界の周りから離れるように促したが、タイミングが遅かった。勢いに押された榊はそのまま闇に弾き飛ばされると。近くの木に背中をぶつけた。
「いった…」
ぶつかり所が悪かったのか、榊の意識と感覚が遠のく。
「おい、榊!」
伊野宮が叫ぶが榊は反応せず、完全に気絶していた。
「結界を再展開しろ!!」
伊野宮が倒れた榊に駆け寄る。
榊は木にもたれてうなだれていた。
「榊君、大丈夫か。」
気を失っているのだろうか反応はない。伊野宮はとりあえず部隊と合流して沈静化をせねばならない。
榊から離れようとしたその時だ、伊野宮は後ろから片腕を掴まれた。
「榊?」
伊野宮はつかまれた腕を振りほどこうとしたが、その手はガッチリと固められてほどけない。
榊はうなだれたまま何かの法術を唱え始めていた。その法術は伊野宮も聞いたことがない種類の呪詛を唱えている。榊が伊野宮の呪詛がわからなかった事と同様に伊野宮もわからなかった。その呪詛の内容も
もしかしたら、高速詠唱なのかもしれない。伊野宮には理解ができなかった。
呪詛の流れが終わると榊は伊野宮を背後に引っ張る。
強い力に押されてそのまま榊が倒れていたところに倒れ込む。
そのタイミングで手に持っていた錫杖を手放したと思ったら、榊が無言で持っていた。
「榊、お前…」
伊野宮の言葉を待たずに榊は無言のまま目の前の闇に向かって歩いていた。
闇は形を変え大きな竜のような姿になり咆哮を浴びせる。
咆哮による圧が伊野宮ほか魔封師たちを襲う。
立ち上がることも出来なければ、身動きもできない。他の魔封師達も同じだ。
「強い…」
伊野宮の足掻きを余所に、榊はその圧に動じず真っ直ぐ歩く。ただ風が吹いている程度の反応でしかない。榊は錫杖を地面に突き刺すとまた呪詛を唱えた。
『
突き刺した錫杖は光を帯び始め、その光を閃光の如く解き放った。
闇の圧は弱くなると魔封師達も自由が利くようになった。
「結界を再展開しろ!」
圧が治まった隙に伊野宮が魔封師達に指示する。魔封師達は各自で呪詛を唱え始めると攻撃結界が展開された。前に神楽達が受けたものと同じ結界だ。結界は榊と共に闇を包み込む。
闇は展開された結界にもがいていたが、榊は動じない。
榊は突き刺して光を失った錫杖を左手で抜くと、静かに右手の指二本を口に添えながら術を唱える。
『
左手で錫杖を持ち、右手の指二本で錫杖をなぞる。
錫杖は光を再び帯び始めるとその形を変える。
「あれは……。」
錫杖は槍の形に変わっていた。先端が変形し始めて刃が現れたが、独特の形状で、祭祀で使われる物に近い。
榊はその光の槍を軽やかに持つと闇に向かって思いっきり振りかざした。
光の波は闇を貫き粒状感のあった闇は悲鳴のような叫び声をあげると、一度固体化した後、ボロボロと崩れ始めた。闇が崩れても榊の表情は厳しいままだ。
闇から出てきたのは切断された人の手だった。
その手に榊は思い当たる所がある。
それは5年前に殺された女子大生のバラバラ遺体の一部だと察することが出来た。
しかしこの手は……。
榊の違和感は周囲にもあった。再展開された結界は止まっておらず、その勢いは更に強まっている。
「伊野宮さん」
榊が結界の中から振り向いた。
「あんた、人が悪いことしてくれるじゃねえか?」
伊野宮の顔は厳しいままだが笑っていた。
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