3 過去を知る別の男

榊守さかきまもるは交通事故の現場取材が終わり、ニュースも終わったあと、久しぶりに一人で酒を飲んでいた。東里市内の小さな居酒屋で一人、好きなウイスキーの薄い水割りを飲んでいた。


「よぉ、榊じゃねえか?」


懐かしい声に榊が振り返るとそこには元海原うなばらテレビの記者戸田とだがいた。

「ああ、戸田さん。お久しぶりです」

「隣、良いかな?」


戸田はマスターに軽く断りを入れると榊の左隣に座った。

「相変わらず薄い水割りが好きだな。私にも同じのを」

戸田はマスターに注文をする。

天玄山てんげんさん事件はあれから進展はありませんよ。」

「全く犯人は見つからずか。」

「ええ。」


 元記者の戸田が聞いてきた天玄山の事件とは、定年前の2005年に起こった女子大生バラバラ殺人事件のことだ。榊はその事件を戸田の定年退職前だった2007年に引き継いでいた。戸田は最後の事件としてこの事件の真相を取材していた。しかし、犯人の手がかりはなく、警察の捜査も初動から遅れていたため、5年経過した現在もまだ犯人は捕まっておらず解決には至っていない。その結果を見届けないまま、戸田は定年退職となった。その引継に関しては戸田自身が自ら上司に榊を勧めたのだという。それまで榊は営業部署にいて、コマーシャルのスポンサー探し等に追われ、花形の報道職ではあるものの、何故事件記者から勧められたのかはよくわからなかった。榊が担当になって以降、捜査の進展は特になかった。


「やはり進展なしか…。」

「ですね。警察は全く進展はありません。」

「そうか、まぁこれ以上は出てこないだろうな。」

戸田は水割りを一口飲む。

「このまま迷宮入りなんでしょうかね…」

榊も水割りを飲む。戸田と違いちびちびと飲んでいた。

「迷宮入りにはならんよ。ここまで経過すると犯人も生きているのかわからんけどな…。」


「目立たずに死んでいるということが…」

榊は戸田を見る。

「あるかもな。」

氷に注がれた酒によって、氷が乾いた音をたて動く。

「あの事件は計画的な物でもなければ衝動的な動きが強すぎる。その分犯人は常習犯でもなければ初めて殺しをやったような奴だろう。そんなやつが図太く生きていけるほどこの世はそうそう廃れちゃいない。」

氷を鳴らしながら戸田は榊と同じ薄い水割りを飲む。

「さらに関係や関連性が皆無に等しい。その分手がかりががわからなくなる。」

戸田はため息をつきながら話す。


被害者と犯人の関係が掴めないことによって、防犯カメラの事実は存在していても、表面上の更に薄皮の様な部分だけでしかない。薄皮のつながりを見つけるには根気よく時間をかけて突き詰めるのが警察の本領だとすれば、報道はその薄皮を見つけてもらえなければ、関連性を見つけられることもできず、成立していかない。そんな非情ともいえる現状が戸田にとって、悔やみきれない話なのだとも思える。


「そういえば、まだ思い出せないのか?」

戸田がふと榊に尋ねた。

「何をですか?」

「その天玄山事件の頃、俺が現場取材していた時に、現場の近くで君が気を失っていたのはなんでだったんだろうな…」

「それですか。よく言われていますけど、本当に覚えていないんですよね…。」


それは榊が営業にいた頃だった。事件発生当時、榊は事件の興味半分の野次馬根性で天玄山に登っていたらしいのだ。そこで足を踏み外して山を転げ落ちてけがをしていたところを、ちょうど取材をしていた戸田に助けられたということなのだ。

しかし榊にはその時何故天玄山に登っていたのかが思い出せないのと、普段のスーツという軽装どころか山登りには似合わない格好で山を登っていた。そして気絶していた榊は、戸田に助けられたのだ。

「そうか、結局覚えてはいないのか」

戸田の質問に榊は首をかしげる。

「相変わらず、そのこと訊きますよね?事あるごとに」

「そうか?まぁ、何かの手がかりでもあったのかな、とも思ってね」

戸田は納得したような感じだった。


その後、戸田は榊と少し話をして席を離れた。

「じゃ、嫁さんと仲良くしなさいよ」

戸田の茶化しに榊はにやりと笑うとまた飲み始めた。


戸田が一人店を出るとタクシーが拾える通りまで歩き始めた。


――まだ思い出していないようだな。


戸田は榊を見ながら思っていた。それは天玄山の事件の時、まだ営業に居た榊守という男が起こした事件を覚えていたからだ。


――ここまで来たらこの事件のもやもやと鬱憤を私はどうにかしたいんだ


戸田は5年前天玄山事件の取材の時に言った言葉を思い出していた。

そして同時にあの時、


犯人の名前、性別、所在の事、

そして犯人が事件が判明した後、もうこの世にいなかった事、


だからもう事件は『あれ以上』進行しない事を、戸田は知っていた。


いや、戸田だけではない。


事件の事は知らないと語ったあの榊守はそのことを調べ知っていた張本人だった。


――私の話には確証もなければ、確実ともいえる証拠はないです。


5年前、事件が発覚し遺体が見つかり最悪の事件と化したあの時、戸田と榊守はある関係者のインタビューから、『土地神』を通じて女子大生の亡霊を追いかけ、犯人の身元をつかんでいた。しかし、すでに犯人は他県で起こった交通事故で自ら命を落としており、生きている内に捕まえる事はできなかった。


戸田はその後、彼を事件の犯人として追いかける事はできなかった。退職したという事が理由ではなく、榊と共に見つけ出した彼が犯人だという確証もなければ、確実ともいえる証拠はない。関わりのある人物が線上には出てきたが、それを知る関係者は人ではなく、だれにも見えない訳のわからないもの。なので情報に証拠能力はない。さらに追い詰めたとしても被疑者死亡の可能性もあれば、ここまでたどった結論を証明させるだけの手立てはなかったのだ。


途中の公園に入ると、戸田はたばこを口にくわえ火をつけようとライターを持つ手を止めた。


「――あんたを見たのは、後にも先にも……あの時だけだったな。」


戸田が振り向くとそこには銀髪の紳士が立っていた。

「確か、佐山さやまだったかな……」

佐山はじっと戸田を黙って見ていた。

「君が見えるという事は警告だろうかね。」

「まあ、君が見えたからと言って、別に驚く事もない。」


5年前の話には続きがあった。


あの日、情報提供者から天玄山の事故現場で起こった強い反応を知り、現場に向かうと、天玄山の山の一部が光に覆われていた。その光は白く明るい光ではなく、黒い筋が物質に当たり発光している光が筋を黒い光に見せていた。その光が雷光のように空気を切り裂くように蠢いたそれは、亡くなった犯人の怨念ではないかと言う事になっている。


榊はそのことをアイツにとって一番インパクトの強い場所といっていた。自分の手で殺めた、人から見れば歪んじまった愛の相手がいると思っていたが、彼女にとってインパクトの強い場所は異なった。その間違えを認められず人生最大のインパクトになった天玄山で暴れてるんだと。


榊守はその怨念と対峙し、見事に破壊したが、その部分は目の前にいる佐山によって記憶を抹消されていた。


「君の目的は知らんが、あの時の事は今も戯言だと思っているし、あの女子大生とのつながりが見えない以上、榊君の消された記憶にも興味はない。せっかく得た真実が報道できなければ、会社の為だとか誰かの為とかでは無かった。この事件のもやもやと鬱憤を解決したいという、他ならぬ自分の為だ。」


佐山は無言で動じる事はなかった。


「君が現れたという事は、いまも続いているみたいだな?やはりか……。」

「――」

「私も噂に聞いている部分はあってな……。ここ最近榊君が昔と似たような事をしていると言う事を聞いたんだ」

「――」

佐山の表情は動かなかった。

「君が現れると言う事は、榊君が『向こう』に向かう事を阻止するために動いているんだろうな。あくまで予想だ」

「――」

「そしてのそのことで、もしまた戯言と言う事で記憶をいじるというのであれば、それは無駄な事だやめておけ。」

一瞬だったが、佐山の表情が動くのを戸田は感じた。思いもよらない回答に驚いた感じだろう。

「あの時の榊君が何者かは別にして、あいつが真実を知るにはもう歳を食いすぎとる。だから――」


戸田の言葉の途中で佐山は消えていた。戸田はため息をつくと、手に持っていた火をつけていないたばこをじっと見ると、吸わずに箱に入れ直した。


――まだ吸わせてくれないんだな。


他の事件がある度に気を紛らわすために吸っていたたばこだったが、たばこは持ち歩いていたが、吸おうとすると一瞬立ち止まり、吸うのをやめてしまう。そんな状態が5年続いている。5年前の事件の印象が強かったせいなのか、あの時以降吸えない状態になっていた。


戸田はまた歩き始めた。


戸田と別れた榊は、一人ゆっくりと飲んでいると、すぐそばで声を掛けられた。


「すいません、お隣よろしいですか?」


振り向くとスーツを着た男が立っていた。

「あなたは確か…」

「その節はどうも」

その客は以前神楽ミキと行った古道具屋『無縁屋むえんや』の店主だった。


彼は榊守の隣に座ろうとしていたが、空いていた榊の左側に座ろうとはしない。

「――」

榊はそのことに気付くと無言で左にずれて右側を店主に譲った。

「すいませんね」

「良いですよ、別に…」


榊は店主の行動に苛つくことはなかった。それは以前の無縁屋でのやり取りから、榊の持つ奇妙な存在に気付いていると感じているからだと、何となく榊は察している。

「マスター、ビールをください。」

注文をそこそこに、店主は話を切り出した。

「この間の大工町の件は大変だったようですね。」

突然の質問に榊は思わず厳しい顔で店主を見た。店主はマスターが出した、ビールをうまそうに飲み出した。

「さぁ、どうなんでしょうね?」

榊は薄い水割りを飲む。戸田の時ほど会話は続かない。


「…そういえば自己紹介が遅れましたな、無縁屋の店主というのはご存じの通りで、私は伊野宮恭介いのみやきょうすけといいます。」

伊野宮いのみやが名刺を取り出す。榊も名刺を出す。榊のテレビ局の名刺に対して、伊野宮の名刺には名前が書いてあるだけだった。会社名も無ければ肩書きも住所もない。

一方伊野宮は、榊守と書かれた名刺を見て表情が厳しくなった。その表情の意味を榊はこの時はまだ解らなかった。


「無縁屋のことは名刺に書かないんですか?」

榊の質問に伊野宮は我に返った。

「…あの店は単なる手伝いみたいな物です。本業は魔封師まふうじになりますので」

「特別交渉係みたいなもので?」

神楽アレは単なる遊びの範囲でしょうね」

伊野宮は鼻で笑う。実際に見下しているというわけではないようだが、洒落を効かせたつもりの肩書に辟易しているのであろう。

「さすが本業、言うことが違う」

「あなたもじゃないんですか?」

伊野宮が手厳しくツッコむ。そのままビールのおかわりを頼む。

「私のは本業ではありませんよ。テレビの名刺渡したじゃないですか?神還師の免許のないただの見習いです。」

「見習いが怨念をあそこまで封じたりはしませんよ。」

榊は若干押されたような状況に薄い水割りを飲む。


「しかし、あなたみたいな人も珍しいですな。」

「と言いますと?」

榊は落ち着いて様子で伊野宮を見る。

「あなたの能力だけで見ると、不思議なものも見えていて、聴こえている。更にこの間のように結構強い力を持っているじゃないですか?」

「強い力という意味はよく分かりませんな。自分でも何をしているのかはわかりませんので。」

「わからない?その力を堂々と使っているのに?」

「堂々となんて思ってはいません。別にこんな力持っていたって、嬉しくもなんともないです。若干の迷惑でしかない。」

伊野宮は榊の疑問の返しに若干の苛つきも感じていた。大工町の件を含めて考えれば、榊の言葉の意味が解らない。それは冗談なのか、隠しているのかもだ。榊は影をちらつかせながらしゃべる。


「こっちから訊きますけど、あなたも審議会しんぎかいか何か?」

榊が伊野宮に問う。

「いえ、東里ここの審議会は神還師かみかえし向けの物であって、われわれとは関係ありません。それに…」

「それに?」

「あの審議会にはそういう力はありません」

「そういう力とは?」

榊の回答に伊野宮はまた疑問を持った。若干のもやもや感がある回答だ。

「特に何もありません。あの審議会というのは調べたり管理をしたがるものの、直接的な力を全く持っていません。あの辺りの寺社集団の寄合程度の力しかありません。単独で動くフリーランスの方がまだ仕事をする。」

伊野宮は半分笑いながらしゃべる。その口調には少し小馬鹿にしたような感じを榊は感じていた。

「聴いている話だけだと神還師は嫌いなんですか?」

「気を悪くしてしまったなら申し訳ない。」

「いいえ、別にそういうわけではないんです。この間の工事現場でのこともあったから」

榊は東里横断道路の工事現場で行った神戻しの作業のことを思い出していた。迷い神を還すことが出来ず、魔封師に殺されてしまった事に悔し涙を流していた神楽の印象が榊には強かった。『神還師にとって敗北を意味し、迷い神を守れなかったことは屈辱』という藤本の言葉の印象も更に強めている。あとは結界につぶされかけたという経緯もあるのだが。


「…まぁ、よくあることではあるんですけどね。」

伊野宮はビールのおかわりをして、残ったビールを飲み干す。

「わずかな交渉の綻びから一気に破綻して迷い神は暴走します。あの時の場合は地震も発生してかなり危うい状況になっていましたからね。我々としてもそんな状況は避けたい」

伊野宮は若干厳しい顔をした榊の表情に対してフォローを掛ける。

「あそこまで神楽たちが毛嫌いするのも、神を殺すという残忍さによるものですか?」

「残忍かどうかは…、あそこまでの場合は、藤本さんなんかは…、まぁ、この話はよしましょう。」

榊の問いに少し伊野宮が戸惑った。藤本の場合という話には些かの疑問を感じてはいた。

「それよりかは、我々としても本当は魔封師という仕事の領域をもう少し知ってもらいたいという気持ちはありますね。そうだ、榊さん、もしよろしければ…」

伊野宮は榊をじっと見た。


「少し観られてみますか?我々の仕事を」

榊は伊野宮の誘いに対して若干の間を持たせつつ、少し考えてはいるようだった。


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