5 「ふうじ」を司る者

「どうしたんだ?榊君」寛三が榊に聞きこむ。

「……」

榊の顔は真っ青だった。悪寒に震えている様子が不思議な状況だった。

「榊君、とりあえず車に……」

「久我山さん!!」藤本が叫ぶ。


それは榊たちの周りにいた多数の迷い神達だ。それぞれが脅えている。

「まずいな……」久我山が呟く。

「何これ……こんなみんな急に……」ミキが驚く。

「地震だ。さっきの地震に脅えてるんだ」寛三が呟く。

「このままだと迷い神が暴れる!!」藤本が心配していた。


 その横で榊は、まだ虚ろな状況だった。眼は泳ぎ、狼狽の色は隠せない。体は震えていた。

……体調不良ではない。

 榊は身体の内から感じる不思議な感覚が体内を駆け巡っていた。

 更に榊の周りでは、さっき見つけた迷い神たちがさっきの地震に反応して、狼狽している。榊の悪寒と迷い神の狼狽はほとんど同じタイミングだった。この一致が意味するのは何かはわからない。


「榊は無理だ。お父さん榊をお願い!」ミキが叫ぶ。

 榊の眼の前では狼狽した迷い神が時間の経つにつれて大きくなっていた。地震に対する不安感からか彼らは呻き叫びながらどんどん大きくなっている。その声は榊に更に不安感を持ち込ませている。彼らの恐怖が大きくなればなるほど、榊は更にうなされている。


――なんでこんな状況で。


 榊は深く息を吸った。そんなことで体調が変わるわけではないが、気持ちを落ち着かせようとする。しかし状況は変わらない。

「久我山さん、これ以上の軸移しは無理です。防御に入りましょう」

 藤本が久我山に言うとこじれた時のガジェットをスタンバイしていた。

 藤本が背負っていたハードシェルのリュックのカバーを開けると、こぎれいに並んだ防御装備が出てきた。樫の繊維を編んだロープと電磁プロテクタを取り出すと、榊を含めた場所に杭を打つ。藤本とミキがロープを杭にまわして、榊達を囲む輪を作る。更に二人はプロテクタを嵌めて構えている。久我山も手にプロテクタとステンレス警棒を伸ばしていた。その警棒は警官が持つようながっしりとしたものだ。


 榊はまだ震えたままだった。神楽たちにとっては完全に戦力外扱いとなっているようだ。

『悪いことしたな……』榊は思っていた。しかし榊の中では悔やみの色だけではなく疑念もあった。

榊自身も地震の経験はあるが、ここまで狼狽するようなことはほとんどなかった。

ほとんどという言葉の中には少なからず気分が変わることがあったからだ。地震が起こると周りの気配が変わる。それは幼少のころからだった。しかしその状況は物の一瞬で、次の瞬間にはけろっとした顔で平気になるのだった。


しかし今回は違う。榊は左腕の痙攣している事に気付いた。榊の左腕にある幼少時代のころの古傷が疼いている。


『なんだこれは……』そう思ったその時だった。


榊の眼前の木々が燃えていた。


――火事か?と思って周りを見渡すが、神楽たちの姿や防御のために張っていた結界も無い。

しかし榊の周りを僧侶が取り囲んでいた。ガタイの良い彼らは僧侶というか山伏のようだった。

誰?と思っていた榊はそれが東里の工事現場とは全く違うことに気付いた。工事機材のない開けた森の広場みたいなところだった。この場所には何か覚えがある……。


その記憶をさかのぼる前に、左腕の痙攣が突然強くなった。左腕から指先までの感覚がなくなってくる。勝手に動き出すこの違和感に恐怖を覚えた榊は右手で抑える。榊の中に別の声が聴こえてくる。


――オモイダセ。


……何をだ?何を思い出せというのだ?


――オモイダセ。


繰り返し榊に聞こえてくる。その声はどんどん大きくなってくる。しかし榊には思い出す記憶がない。


『やめてくれ、もうやめてくれ……』


叫び続けていたその時だった。


「封じろ。」


結界の外の空気の流れが変わった。

「なに?これ」ミキがその変化に気付く。

「これって……」藤本が何かに気付く。

「来ましたね」久我山が落ち着いた声で言う。

迷い神たちの圧力のようなものから守る流れが急に変わった。


榊が声のした方を向くと高台に山伏がいた。それもひとりではなく数人の集団だった。

迷い神が暴走したことにより、神楽たちは簡易的に結界を張っていたが、その結界の外では、山伏姿の集団が呪文のような言葉を唱えながら、念仏による防御結界を展開していた。その展開のスピードは速く、神楽たちの簡易結界も巻き込んだ。

迷い神たちは結界の圧に押され始めていた。さらに形勢は迷い神を取り囲むように変形していき。物の数秒で神楽たちが集めた迷い神を押さえつけていた。


「やれ。」


山伏たちの念仏が強くなる。迷い神たちは山伏の結界と神楽の簡易結界のあいだに挟まれる状態になっていた。

「このまま迷い神を押し潰す気?」ミキが言う。

「おそらく」久我山は落ち着いている。

「相変わらずね……」藤本も落ち着いていた。

神楽たちの目の前で迷い神は無残に潰れていく。人のように血反吐を吐いて事絶える神もいれば、ただつぶれるだけの神もいて、その墜ち方は様々だった。

神楽はその姿から眼をそむいていた。藤本や久我山達はその叫び声も聞こえている。

「どうなってるんだ?」寛三が尋ねる。力を持たない寛三には何が起こっているのかわからないからだ。

「潰れた。間もなく結界も解く」藤本が答える。


ところがすべての迷い神が潰されたものの、山伏の結界は弱まらない。そのまま簡易結界を押しつぶそうとしていた。神楽たちの周りの杭が圧に押されて動きはじめると、寛三もその現状を理解した。


「何のつもりなの?」ミキが叫ぶ

「――」山伏は更に念仏を唱える。更に押し潰していく。

「これ破られたらどうなるの?」

ミキの質問に藤本と久我山が顔を合わせた、その時だった。


……壊。


榊たちを囲んでいた簡易結界が瞬間的に膨らんだ。風船のように膨らんだ結界は山伏の結界を浸食し、山伏まで迫った。山伏達はその圧に押されて体勢を崩した。


「どうなってるんだ?」寛三が二人に尋ねる。

「解らない。でも内側から何かが……」

藤本が項垂れていたはずの榊を見る。榊は項垂れるどころかそのまま倒れていた。

「なんで……?」藤本とミキが呆れる。

「大丈夫だ。意識を失っているだけだ。」寛三が榊を見る。

一方久我山は黙っていた。


「相変わらず無茶だな……。」

弾かれた山伏の一人が立ち上がる。

その顔に神楽たちは驚かなかった。山伏はミキと榊が夕方に行った『無縁屋』の店主だった。

「あんな地震が起こるなんて思わなかったし……」藤本むくれて言う。

「甘すぎるな。所詮その程度のことでしかないんだろうな」店主の言葉に更に藤本は腐る。

やれやれといった顔で店主は仲間を連れてその場を去ろうとした。

「本当に申し訳ない。」寛三が言った。

「危険なところを救ってくれて助かった」榊の肩を抱えた寛三が礼をする。

店主は立ち止まった。

「いや、礼を言うならその伸びてる男に言え」店主は榊を一瞥する。

立ち上げられたせいか榊は意識を戻した。まだ朦朧としていた。

店主は仲間とともにその場を立ち去った。


「榊君、大丈夫か?」寛三が榊に語りかける。

「なんとか……、でも大丈夫だ」若干榊は呻っていた。

「何があったの?」ミキが訊いてくる。

「何というか、あの地震の後急に吐き気が来てさ、徐々に悪寒も酷くなってきたんだ」

「今は大丈夫なの?」

「何とか。若干スッキリした感じではあるんだけど……」榊の表情はあまりよろしくないようだ。


「無理もないでしょうね」久我山が口を開く。

一同が久我山を見る。榊も応じるが、表情は少し険しかった。

「恐らくですが、今回は榊さんの持つ『感度』が強すぎたんだと。」

「感度?」ミキが疑問を投げかける。


久我山の予想をまとめると、榊の迷い神を見分ける能力がミキ達よりも高かったことに起因するのでは?と言うのである。久我山はその部分を『感度』として表現していた。

「かなり遠くの迷い神でさえ何体かを見分けられるほどの能力と言うことは、一度に異変を起こした迷い神の前でかなりの負担になっていたのではと思います。特に……」

榊の表情が若干険しさを抑えて穏やかになっていることを久我山は見逃していなかった。久我山はそのまま続ける。

「さっきの地震は、致命傷だったと思います。」

「地震は土地神や迷い神にとっても不安要素だから。地震の後はキツいのよ……」藤本が肩を落とす。

「地震ねぇ……」榊は少し首をかしげている。

「今回の場合、一カ所に迷い神を集めてしまったのも問題ですね。」久我山が一息つく。

「『感度』の強い榊さんの場合、普段感じている地震程度であっても、あんな数で一度に迷い神が暴れ出したら、その感度に影響されかねません。」

「地震は迷い神の影響ではないのか?前に天変地異も起こしかねないって……」榊が藤本を見る。

「ああ、アレは例えよ。地震や噴火などの自然災害に関しては土地神の範疇ではないわ。妖怪話とは一緒にしないでね」藤本はむっとした表情で言う。

「まぁ、今回は魔封師まふうじのお陰で助かったようなもんだ」久我山はすがすがしく言う。藤本とミキは黙っていた。

「魔封師って?」榊は言った。

「迷い神を殺す人たち……。前に言った霊媒よ」藤本はぽつりと言った。

「我々神還師とは対極にいる集団だ。彼らも神還師同様、迷い神や土地神が見える。」

「私たちは迷い神を守り元の土地神に戻る努力を行うけど、それが出来なかったときは彼らによって封じられてしまう……」


そのとき榊はミキの言葉が震えているのを感じた。ミキはうなだれると大粒の涙を流していた。


「もうわかったでしょう?魔封師が出るって事は神還師にとっては敗北を意味するし、彼らを守れなかったことは後悔でもあり屈辱なのよ」泣きじゃくるミキの肩を支えながら藤本がフォローする。

「すまない……」榊はミキに謝った。

「とりあえず帰ろう」寛三は穏やかな口調で言った。


……後日榊はあの無縁屋の店主が魔封師の一人だと知った。榊が無縁屋で見た一連の疑問は、魔封師だった店主が骨董品に残る迷い神の残渣を殲滅せんめつしていたということで解決していた。


だが榊の疑問よりも、大きな疑念が残っていた。


「君は榊君を見てどう思った?」

神楽寛三は事務所に来た久我山に訊いた。

「わかりづらい人ですね」久我山は事務員が用意したコーヒーを飲む。

「あれだけの能力を持っている割には重要なところがポッカリ抜けているのは少し変です」


「あのとき結界は内側から破れたと訊いたが……」

寛三はこの間の工事現場の時の話を思い出した。

「あの結界は簡易的な物ですし。力を掛けるような余裕はありません。」

ミキは学校で、藤本は仕事中のため事務所には寛三と久我山しかいない。


「内側からの結界張り直し、且つ魔封師の攻撃型結界を使ったと言うことか?」

「そんな神還師、聞いたこともありませんよ。防御の為の結界は持っていますけど、攻撃は別の話ですし……」久我山の話に神楽はコーヒーを飲む。

「そうだな。あり得ないが……、もし……」

神楽は以前審議会幹部に言われた、迷い神を操る神還師のことを思い出していた。


「何か心当たりでも?」

「……いや、何でもない。しかし審議会には何というかな。」


神楽と久我山は大きなため息をついた。

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