4 不動産屋の娘
平成の町村合併以降行政区画の拡大とともにさらに大きな町にはなったが、住所に書いてある地域は古くからの寺社がひしめき合う場所でもある。
住所の指す場所は
「でかいな……」
玄条寺は特にその中でも一番の勢力を誇っていた寺社だった。幕末近代と時代の流れとともにその力は衰えている。しかし不動産屋はどこだ?
辺りを見回してみるとちょうど玄条寺の境内で箒を掃いている住職を見つけた。
「あの、すいません。」
「何かご用ですかな?」
袈裟着たいかにも普通の住職だ。
「このあたりに神楽不動産ってありませんか?」
「不動産ですか」
住職はじろじろと榊を見る。
「この住所ってこのあたりでしょ?」名刺を見せる。
住職の目の色が変わった。榊はこの瞬間を見逃さなかった。
「……あなた、なにか良からぬ物でもみたのですか」
住職は聞き返した。その目の色は鋭いままだ。
「みているかもな」
榊は表情変えずにかえした。
「……裏です」
「え?」
「神楽不動産はこの寺の裏にありますよ。一旦ここを出てもらって路地裏をぐるっと回ってください」
「ありがとうございます」
……嫌な予感がした。あの名刺を見せた途端に顔色を変えたと言うことは、何か裏がありそうだ。
「……ひとつ」
「はい?」住職が榊に訊いてきた。
「今の自分は好きか?」
同じようなことを誰かに訊かれた気がする。
「なぜそんなことを?」
「いえ、特に気にしないでください」
寺の裏手に回ると、不動産の建物を見つけた。小さなプレハブ小屋に毛筆の字で『神楽不動産』という看板が立てられている。
「不動産にしてはずいぶん小さいな……」
不動産業はメインでもなさそうだ。とするとこれはただの世を忍ぶ仮の姿なのかもしれない
プレハブの扉を開けるとそこには、中年の男性がパソコンに向かって書類を作成しているところだった。
「いらっしゃい。何かお探しですか?」
「ミキさんにお会いしたいのですが。」
「娘に何か?」
「知り合いです。彼女から呼ばれたのですが。」
「まだ学校です。」
あの制服はコスプレではなかったと言う事か。
「……授業中か参ったな。」
「待たれても邪魔ですが。」
男性は野暮ったい表情を浮かべている。
「18時とは言われていたのですが、では出直します。ところで、あなたは……ミキさんの?」
「父親ですが何か?」
確かにうざったい表情もわかる。どう見てもただのオッサンが年相応の娘に会いに来たと言う状況はやはり不自然だ。
「彼女何か変わったものが見えたりするのですか?」
「……帰ってきたら電話するよう伝えます。」
父親の前に神楽ミキが渡した名刺を置く。
「羨ましいと言われましてね……」
男の腕が止まり、榊を見た。
「別に興味本意で来たわけではありません。特別交渉担当などという言葉にも興味はない。良からぬモノが見えて、聞こえると言うことに対して羨ましいと言われたのは初めてです。この能力に良い思い出も無いんですよ」
神楽の父親は榊を見る。榊は左腕を擦りながら話している。
「……あなた、物の怪の類いは信じていますか?」
「ウザいです。信じる信じない以前に」
神楽の父親は編集中の書類の画面を閉じるとそばにあったたばこを持って、立ち上がった。
「少し話しますか。」
その目は鋭かった。
神楽の父親は神楽不動産事務所の外にある所員用喫煙所に行くと、古風な銘柄の煙草に火を付けて煙を楽しんでいた。鋭かった目は一度落ち着いてはいたがまた榊に向けると鋭くなった。
「名前を聞いていなかったが……、」
父親は榊に訊いた。
「榊です、榊守と申します。」
榊が名刺を渡した。
「海原テレビ?テレビ局の記者が娘に何か?」
名刺を渡したことで更に疑ってかかってくる。名刺を渡したのは失敗したかもしれない……。
「いえ、取材目的ではありません。」
榊は手ぶらの自分に対して両手を広げてカメラは持っていない意思のジェスチャーをした。
「単純に今日、あなたの娘さんに呼ばれましてね。」
「そうでしたね。物の怪の類が見えることを羨ましいと……」
「聴こえることが羨ましいとね」
榊は軽く訂正した。神楽は煙草を深く吸うと、残りを灰皿に捨てた。
榊の訂正を聞いた寛三は納得した顔だった。
「紹介が遅れました。私はミキの父親で神楽
遅れての紹介だった。訊けばこの父親は神楽不動産の社長だという。榊は煙草を吸わない。ずっと腕組みをしながら寛三をじっと観察している。
「まぁ、娘がそう言っていたのも無理はない。娘の場合は見えるという能力のみが長けているが、聴くという能力はほぼありません。本来なら両方持っていれば、に越したことはないんですがね……。こればっかりは」
2本目の煙草を燻らしながら寛三は続けた。
「あなたが見えているものは何かご存知ですか?」
寛三は榊に訊く。
「いいえ」
神楽は短くなった煙草を消すと榊をじっと見た。
「娘と同じものが見えているのであれば、それは『迷い神』です。」
「迷い神?なんですか?それ」
榊は訊いてきた。
「まぁ、神様です。」
「のっぺらぼうが神様?」
「神は神でも正しくは
「土地神ということは地鎮祭で予め断っておく神様の事ですか?」
「間違いではないです。」
神楽は境内にある墓を見まわしながら言った。
「日本には
「事情というのは?」榊が訊く。
「人間の勝手ともいいますか……、その手の信仰心のない人の手によって土地神が脅かされているものです。」
その言葉には少し気になるものがあった。
「本来の土地を何らかの形で失った土地神が暴れるのです。彼らのことを私たちの間では『迷い神』と呼んでいるのです」
「迷い神ね……。なぜそいつらは人間を襲うんですか?」
寛三は長くなった煙草の灰を落とすと軽く吸って、3本目に替えた。
「先ほどもおっしゃったとおり人間が土地神の怒りを買うようなことをするからです。」
「具体的には?」
「色々な理由があります。」
「で、何でそれを私が見えているのかは問題ですが、」
「わかりません。家族の中で見える人がいますか?」
「今は誰も。」
「今は?」
榊の返しに寛三が食い付いた。
「いえ、誰もいません。」
「そうですか。その能力は遺伝であることがほとんどですが、突然見えだしたというのは不思議な話です。しかし、珍しいですね、自分の能力を否定されるとは。」
榊はため息をついた。
「見たくて見ている物でもありませんから……。」
左手首をさすりながら榊は過去のトラウマを考えることをやめていた。物の怪が見える以上信じるという考え方は生まれなかった。人によく超常現象の類について聞かれると信じたくないというのも、その手のインチキがよく解るからだ。
大概の雑誌やテレビで扱われる超常現象と霊能の類は殆どがインチキに等しい。映像で見る限りではそれらしく見えているが、榊の目で見れば見当外れのところで祈祷をしていれば、祈祷しようとして逆に取り憑かれているオチだったりもする。
ただしそんなことを言っても信じてはもらえないので大人になってからは発言はなるべく控えているし、幼少時代の超常現象ブームはすでに去っているのでそういった話をネタに振ることもない。
「もしかして、あなたミステリーハンターと呼ばれていた方ですか?」
寛三が突然訊いてきた。
「懐かしい呼び名ですな。」
「以前、ある寺の歴史講釈について学者とトークされていましたね?」
「ええ、色々と怒られましたが。」
榊は以前ある寺の由縁や成り立ちについて反論したことがあった。住職には嫌な顔をされて学者からも顔に泥を塗ったと後でねちねちと言われていた。『所詮素人が』と言う扱いでその時は咎められなかったが、その後ロクな撮れ高がなかったため、半分ボツになっていた。
「でもその後で、色々と裏付けがされたようですが。」
「はい。」
数日後には学者達の調査によって榊の反論がほぼ正しかった事がわかり、再度の調査報告の際には反論も検証の一つですからとニヤつかれながら礼を言われていた。
「あそこまでの研究をされているとは……。」
寛三はニコリと笑っていたが、その眼を見ている限りは笑ってはいない。
「解っているんでしょう?」
榊は寛三の表情を察するとため息と共に笑っていた。
「はい?」
「意地が悪いですよ。それが専門家かどうかではなく、何故そのことを知っているのか?と言いたいんですよね?」
「ほぉ。」
寛三も笑った。
「単なる調査だけであそこまで追求できません。」
「教えてもらったんですか?」
「ええ。信頼できる情報源がいますので」
その情報源が何者であるかは追々話す事になるが、榊と神楽はまた事務所に入った。
「ところで娘とはどこで?」
「夜の県境です。のっぺらぼうと相手していましたけど。」
「県境…、ああ、くぬぎ山の坊主ですな。」
「坊主?」
確かに坊主だったな…。
「中心街から山超えてニュータウンに向かうあたりは昔からその坊主が住んでいたので。たまに人のいるところに出ては迷子になるんですよ。特にいじめたりとはしないんですけどね。」
「ニュータウンって、確か
「よく迷うんですよ。」
「なるほどね。」
寛三が時計を見ていた。
「そろそろ娘が帰ってくると思いますよ。」
ふと榊は話題を変えた。
「失礼ですが、あなたは見えるんですか、その、迷い神が。」
「私は見えません。兄弟で唯一そのような存在が見えなかったので私はしがない不動産屋をやっているのです。」
「兄弟?」
「先ほど境内にいた我が弟の
「そうですか。うらやましい。」
「そうですか、見えて当たり前の家庭の中でははじかれ物ですよ。」
「……。」
はじかれ物と言う表現に少し引っ掛かった。似たような言葉は榊にも経験はあった。訳のわからないものを見る能力は普通の人にとっては尊敬よりも畏怖の目でしか見られなかった。
だからといって見られることが羨ましいと言った神楽に好意を持つわけではない。
「ただいま…」
プレハブの入り口を見ると制服を着た女子高生の姿があった。
近くの私立の女子校の制服を着た少女は先客をみて一瞬とまどった。
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