3 あのときの少女

「榊君か?」

電話を切った娘に父親が声を掛ける。


「ええ、最近起こっている事故の原因は『迷い神』の仕業じゃないか、ってね。多分ちゃんとした装備が必要になると思う。」

藤本ふじもと君に装備のバージョンアップを依頼するか?」

「お願い出来る?」


父親が頷くと電話を掛けた。


「もしもし神楽かぐらです。由美さんは?…ミキ?防御だけじゃなく…」

父親が電話の送話口を抑えながら訊いた。

「調査だけだからまだ必要ないと思う…。それよりも…」

「なんだ?」


「聞いているだけだと、かなり、こじれるかも。」

「わかった。…ああ、どうも神楽です。実はちょっと装備について相談が」

神楽ミキは電話をしている父親から、窓の外を見ていた。


『満月か……』


「どうした?ミキ」

父親の寛三かんぞうが月にため息をつく娘を見て声を掛けた。

「ううん、何でもない。アイツよりにもよってこんな月の綺麗な夜を選ぶ事もないのに……。」

神楽ミキはため息をつく。満月は『交渉』には良くない。月の光に自分の心が相手に見透かされる気持ちからだろうか、過去を振り返っても月との相性は悪い。



仕事が終わり、榊守さかきまもるは家路を歩いていた。最近は多少の運動と言うことで歩くことを多くしている。海原テレビから会社までは1キロ程度とそう遠いわけではないが、緊急性などを含めると車で行きやすい。更に言えば中心街から離れた場所にあるテレビ局の為か周りに飲み屋街などもなく、ちょっと通りを外れると街灯すらもなくなってしまう。そんな田舎町である。その癖、交通機関も8時以降になると揃って最終便になるという街なので自ずと車社会になっている。


暗い家路をトボトボと歩いていると寺町のそばに出た。この辺りは古くからの寺が多く、そばには墓地が存在している。


「今回はお勧めしませんよ」

背後から声がした。相手は榊を知っているようだ。


「『大物』……だからか?」榊も相手を知っているようだ。


榊が振り向くと銀髪が似合う背広の男性が立っていた。

榊と同じ年格好のように見えるが、言葉遣いには少し風格がある。


「そういったところです」

銀髪紳士は答えた。


「だが佐山さやま、その大物の手悪さ程度の施しがあの事故って言うのは…」


「その点は仰る通りです。」

佐山と呼ばれた青年は榊の言葉に反論せず返した。

「ただ警告とでも言いましょうか。今のあなた達では交渉は出来ないと思って下さい」


「何か嫌なことでも?」

「私は守様の意志に逆らう気はありません。だがあなたが…」

佐山は榊に近づいて言ったが、言葉尻が強くなった佐山の言葉を榊はそこで止めた。榊はため息を吐いて言った。


「……その時はお前が私を止めてくれ。それはお前のお役目なんだろう?」


「失礼しました」

榊はまた帰路に向けると、そのまま歩き出した。

佐山は立ち止まったままだった。


「それと……、」榊が立ち止まった。

「その『守様』って言うの、もうそろそろ辞めてくれないか?いい歳なんだから」


「失礼しました」

佐山はニコリとして謝った。

榊はそのまま歩き始めた。


家に着くと、妻の理彩が食事を作って待っていた。

「すまない。ちょっと佐山と帰りに話していた。」

「あんまり無茶なことはしないでください」

「わかってる。」

榊は部屋着に着替えている。


理彩がテーブルに食事を準備しながら訊いてきた。

「佐山さんの心配は『そこ』なんでしょ?お義父とうさんもその点は心配されて……」


「なぁ、理彩は…、そのことを親父から訊いているのか?」

着替え終わった榊が理彩に訊いた。

「……どんなことがあったか、という話は聞いていないわ。そういう話は誰も教えてくれなかったから」

「だよな」

榊の妻、理彩は同い年の妻である。榊とは大学時代に知り合い数年後に結婚した。東里市育ちで県外出身者の榊としては何かと便りにしている感もある。

榊はTシャツの上から薄手のフリースを羽織った。榊の左腕には大きな古い火傷跡が見えていた。それを隠すように羽織ると、理彩とのささやかな食事を楽しんだ。


無茶なこと……榊にとってそのキーワードには特別な印象がある。しかしそのことを思い出す事は出来ない。いつもそのことを思い出す度に恐怖感に襲われるのも事実だ。


食事を終えて風呂に入りながら榊は左腕の火傷跡を見ていた。

幼少の頃に起こしたある事故が理由でこの痕が出来て、それ以来何かと身の回りでおかしなことが起こっていた。

榊本人はこの傷の理由からおかしなことに関してはほとんどと言っていいほど記憶がない。親や親戚からは『憶えがない方が幸せだ』と言われ続けて機会を逃し、数年前にそのことをよく知っていたらしい祖父も亡くなり、祖母はその後認知症を患い、そのことに関する話もできない状況だ。


ただその事故の所為かどうかは知らないが、普通の人とは全く違うある能力が備わっている。と、言って信じてもらえないので話すことはないが、その能力がここ最近かなりの頻度で使われていることに理彩も、あの佐山も心配しているのだ。


そもそもその能力を余計に引き出しているのはあの『少女』神楽かぐらミキとその周辺の人々のせいでもある。


あの少女—そう、あの夜の県境で出会った『……私があなたを還してあげる』といった深夜徘徊少女なのだ。


……事の発端は二ヶ月前に遡る。


『榊君、受付から外線』


海原テレビ報道部の榊守に外線が入ったのは昼のローカルニュースが終わってすぐのことだった。ローカルニュースまでのドタバタが終わり、更に夕方ニュースにめがけてドタバタが蓄積されようとする丁度中休みの時間帯だった。

スタッフから電話を回されて対応すると、若い女性の声だった。


「お久しぶり、やっと見つけたわ」


心当たりが……ない、はず、はず、はず?


取材等で顔を出しているとこの手の電話も掛かりやすい。でもどっかで聞いたことのある声だったりもするので何とも言えない……。


「どなたですか?」

とはいえ特に何もないので普通に対応していた。

「忘れたの?私の事?」


「忘れたというわけではありませんが名乗らずに言われても……」

相手は一瞬黙った。


「のっぺらぼう」


女性からの突発的な一言に榊の表情がこわばった。あの時の県境か……。一ヶ月前にあったあの出来事の事を思い出した。



『あんたの家……、知ってるよ。』


 県境辺りの夜道で出会ったのっぺらぼうに悩んでいる榊の後ろから声がした。

またなんか変なのが出てきた。坊主の仲間か?と思ってはいたが、普通の黒髪に市内でよく見かける高校の制服……、確かこの制服は市役所の近くにあった……。校名が思い出せない。


そんな事はどうでもいい。まだ市内には遠いし、この辺りには民家はそうそう少ない峠道で女子高生というのはおかしな話だ。


「……私があなたを還してあげる」


等と冷めた言葉で話してはいたが、当ののっぺらぼうはと言うとその言葉に私の後へ隠れた。この世のものと思われないものに背後に付かれては良い気もしなければ、憑かれての間違いだろう、この場合。


そして少女ものっぺらぼうに苛ついてきたようで、さっきの冷めた口調を一気に荒げた。


「あんたはここにいる子じゃないでしょ?おうちに帰るよ。」

「いや。」


さっきの口調から、一気に幼さが混じり、ああ、普通の女子高生だと、とりあえず理解は出来た。

しかしなんでこんな所で?ここには近くを汽車は通っているが駅はすぐ近くには無い。とはいえ周りに誰かがいるわけでもない。否、車の照明による幻惑によって人がいてもわからないかもしれない…。


「もう、帰るよ。こんな気味悪いところ嫌よ」

「いーやーだー。あんたと帰りたくなーい」


「大体あんた、住んでるところ違うじゃないの」

「しらなーい。いつも帰るところ違うじゃんかぁ」


「……あ、そっか!お腹空いたんだよね」

「すいてないよぉ」


「やっぱ空いてるのかぁ、通りで嫌がるわけだ」

「すいてねぇって、おめぇ頭の中、食べ物しか考えてないだろう」


「……やっぱり子供ね、最後はお菓子か」

「こいつ人の話きかねぇな…」


明らかにのっぺらぼうは呆れつつ嫌がっている。相変わらずしがみついてるし、少女の話も途中から全然かみ合っていない。


「さぁ、行くよ。」

「いやだ」


のっぺらぼうも足掻く。


「おい、ちょっと。嫌がってるだろうがその子」


少女は無理矢理引っぱろうとする

「いいから行くよ、恥かかせないでよ!」


これはこれで長引くな……。


「おまえ、聞こえて無いんだろう?そいつの声が」


完全に無視されているが女子高生は榊の一言から、榊をジッと見ている。

「あんた、この子見えるの?」

少女の驚きは隠せていない。

「見えなきゃ停まったりしないよ。」


その事を理解したのはこの少女も一緒だろう。完全に『やってしまった…』感を漂わせた表情。わかりやすい恥ずかしさと言う物がにじんでいる。そしてこの間でさえも少女は悩んでいる様子だ。次の言葉は少女も思いつきづらいようだ。

そのまま榊は続けた。


「過去にもその子を元の場所に帰したようだけど、場所違いという事はリサーチが悪い。更に言えば話も噛み合っていないと言うことは、君はその子が見えてはいるが何も聞こえてはいない。」


少女は黙っていた。


「……君一人と言うことはないな、相方がいて、そいつは病欠って感じかな?」


少女は引っぱっていた手を離した。のっぺらぼうは榊の所に戻ることはなくじっと彼女を見ていた。

少女が榊の方を向いた。


「あなた、聞こえているの?」


「望んだわけじゃないがな……」

「羨ましい……」少女がボソッと言った。


その言葉はよく聞く言葉だが、その口調には冷やかしは無く、むしろ尊敬のようにも聞こえた。珍しいと思ったが、少女に言われると、最近よく言われている中二病的な物とも思う。


「あなた、名前は?」

「私は、榊。記者だ。」


「記者、まさかネタにするの?」

その女子高生がたじろぐ。夜遊びしているような素振りは見えない純粋な目だ。


「いや。ネタにもならない」

こんなの言ってたらコッチが恥ずかしいわ、榊は内心そう思っていた。

「そう……。」


少女はホッとした表情を浮かべた。


「あんた自分のこと嫌い?」

榊は理解できない表情をした。

「どういう意味だ?」

もう時間も時間なので帰ろうと車に向かった。


「何でもない、興味あったら電話するわ。」

「あいにく子供に興味はな…。」


振り向くと誰もいなかった。

車に戻るとワイパーに何か挟んであった。それは名刺だった。



それ以降、何の話もなく一ヶ月が経過していた。


「……で名刺だけ渡されてもね、とりあえず何か?」


「あなた、変な物が見えるわね」

「は?」

「更に聞こえる……、うらやましい」

「きいてます?……」

人の話を聞かないな、何を言っているのか判らない……。


「今日名刺の場所で会えない?」

「は?」


「……18時に」

そのまま電話が切れた。

なんなんだ一体と思いながら榊は受話器を戻した。若いせいなのか唐突すぎる展開にため息をつく。手帳をめくって一ヶ月前のエチゼンクラゲを調べると、非関係者の項目から名前を見つけた。


「『神楽かぐら』……ね。」


引き出しの名刺ケースから神楽の名前が入った名刺を探す。珍しい名前だったので調べるのは早かった。


『神楽不動産 特別交渉担当 神楽ミキ』


特別交渉担当って何だ?見た目に関して言えばただの女子高生だったが、あれがコスプレで実際はもう二十代とか……?


「……変なのと関わったか。」

嫌な能力に憑かれたもんだ。榊はまたため息をついた。

そして不幸にも彼女の指定した時間は夕方のローカルニュースに引っ掛かる時間だったが、午後からは勤務上休みなのだ。


軽い残件を片付けた榊は、名刺の住所に向かうことした。

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