2 気山町の大楠
『…こちらはレディオ
少し感度の悪いラジオのコミュニティFMからの落ち着いた女性DJの声が流れる。
「しかし同じような事故が立て続けだなんて。」
助手席のカメラマン高山がぼやいた。
「そうだな……」
運転席の榊守は運転に集中しているのか
報道取材の場合、基本は
「工事現場での作業事故に、周辺道路の交通事故が数日の間に起こるとか…なんか気味悪いじゃないですか?」
「ああ」
今回の取材は一部で工事が始まったの
「何かあの辺りには何かあるんですかねぇ、例えば掘ってはいけない何かとか、それか狸か狐の妖術か……」
「さあ……」曖昧である。
「一度や二度ならまずしも、こう何度もあっては何か不思議な物を感じますけど、考えてしまいますよ何かマヤカシみたいな物を……、」
「……」
「聞いてます?榊さん?」
「……」
榊は殆ど聞かずに運転している。
高山はため息をついた。
「どう思われますか?ミステリーハンター!!」
高山の大声に榊は驚いてブレーキを踏んで減速してしまった。
「え?何?何か
「ちょっと、また考え事しながら運転ですか……、勘弁して下さいよ」
高山は呆れた仕草を見せる。
「悪い悪い、まぁ慣れた道だし。で、何だって?」
「……
高山はカメラのマイクを取材のように榊に向けた。
「……そんなの人為的ミスだろう、前数件の事故と今回の事故、どちらも注意を怠っていたというのが警察の報告だろ。」
「……夢がないですね。」
高山は呆れた。
「半分不謹慎だな、人の不幸をそんなことで笑うなんてさ」
榊は眉をひそめる。
「……冗談ですよ。例えばこれが何かの妖術とかだったらそれはそれでおもしろいと」
「おもしろいという判断はどうかと……」
榊が言葉を途中で辞めた。何かを見つけたようだ。
「何ですか?あんまり時間ないんですけど…」
取材で長引いた分ニュースまでも余り時間もない状態なのだ。
「……なぁ、あの寺」榊が道の先を指さす。
榊が指さした先には、寺らしき物—それよりもその建物よりも大きな木の方が目立つ。
「あれ寺ですか?大きな木しか解りませんけど…」
「行ってみよう」榊は何かに言われるがままのような感じで言った。
「ちょっと、夕方のニュースに。全く……間に合わなかったらどうなっても知りませんよ」
高山が言う前に榊は車を降りると境内に向かって歩いていた。カメラマンは榊の行動はいつものことだったので特段不思議に思ってはいない。運転中も何を考えているか解らない。ブツブツとたまに何かつぶやきながら走っているがそれでも怖いと言えばその通りで、不思議なところがある。
「……」
榊は歩きながら辺りを見回していた。ちょうど現在建設中の東里横断道路の高架橋部分に当たるところで、周辺を巨大な橋脚が形作り始めている。その下をくぐるかのように境内のそばには大きな木が生えていた。多分
榊は楠に手を当てる。
すると、さっきまで何を考えているか解らなかった眼が急に鋭くなった。
榊の身体を電気のような感覚が走る。榊は誰かに見られていることを悟った。お堂に目を向けるが、お堂には誰もいない。
「どちら様ですかな?」
突然聞こえた声に、触れていた楠から手を離した。厳しい顔のまま声のする、見られていたと感じた逆の方を振り向く。ほうきを持った初老の男性が榊をじっと見ていた。
「失礼、立派な木だと思いまして……」
「この辺りでは一番の大木です、この社と共にこの辺り一帯を守っていたんですがね。」
「こちらの寺の?」
榊はまた幹を触りながら訊いた。
「いえ、今はこの寺には誰も住んでおりません。代わりに近所の者で管理しているんです」
「なるほど、守っていたというのは?この木もしかして…」
「今度伐採します」
男性はため息をついた。
「別の場所に移植とはされないのですか?」
「ええ。そこまでの費用もありませんし、この大きさだと難しい。本来ならばこの辺りの事情も考えてもらいたいところですが、東里横断道路は市民の長い間の悲願でもありますから」
男性の話をさらに聞くと元の住職が亡くなった際に世継ぎがおらず、墓はその後各所に動かしたあと公園になったという。
「そこの小さな公園が元々お墓だったところですか?」
「ええ。しかしこの木には色々と厄介な噂がありましてな」
榊の眼に少し光る物があった。
「厄介……というのは?」
「昔からこの木を切ろうとして何度か手を出そうとしても、そのたびにケガや事故が絶えません……。ここ最近道路工事に関わっている人が事故に遭ったとか聞くでしょう?……この手の災いのような気もしてなりません」
管理人らしき人は冗談めいたような事を言っている。
「噂、ですか……」
「それはないでしょう?」
カメラを持った高山が境内に入ってきて一言言った。
「単なる事故でしかありませんよ」車で待ちぼうけを食らっていたのか、さっきの反応とは違っていた。
「テレビ局ですか?」
男性はカメラを見て少し警戒した。
「ええ、その事件を取材していた帰りだったので。結局伐採についての周辺住民の反応は?」
「殆どあきらめている感はあります。現状先祖のお墓も移している以上この場所にはこれ以上機能は果たせません。これという物もないので、このまま境内ごと取り壊されていくのを待つだけですね。」
「なるほど、もし取り壊すというのであれば、取材をさせて下さい」
榊は名刺を渡した。名刺には『海原テレビ 記者 榊守』と書かれていた。
「何カ所か撮影させてもらってもいいですか?」
「いいですよ、特に何かの許可がいるわけじゃありませんので」
男性はほうきを持ってそのままほかの場所の掃除を始めた。
「どう撮影しますか?」
「一通り」
「解りました」
「ああ、お寺は全体だけでお堂はやめといて。この大楠を中心に撮影しといて」
「ハイ」
榊は掛けていた眼鏡を外すと汚れを掃除していた。外したままお堂の方を見直した。
榊はお堂に深々と一礼した。それは楠で感じた威圧感のような物に対してであろう。その鋭い目はまだ収めてはいなかった。
一通り撮影が終わり車に戻ると榊が一言言った。
「ちょっと運転してくれない?」
「時間がないなら何でここに立ち寄ったんですか?」
榊は助手席に座るとノートパソコンを開いて原稿を書き始めた。
高山が急な榊の頼みに呆れた。
榊はすでにシートベルトをしており、原稿タイトルと文章を書き始めた。
『東里横断道路工事現場の作業事故について……』
「ああ、もう」高山はそのまま運転席に座るとエンジンを掛けた。
榊は取材メモを読み返し原稿を書き出すと大まかな概要をまとめていく。
概要から更に文章に肉付けを行うと、手持ちのセイコー製ストップウォッチを取り出し、スタートの合図と共に書いた原稿を朗読した。
朗読した文章の秒数を原稿に入力するとストップウォッチのキーをたたく。100分の1秒のない秒カウンターのストップウォッチは時間計算の出来るストップウォッチと言うことでアナウンサーなどが利用するものだ。大まかな
その作業を繰り返すと、さらに榊はどこかに電話を掛けていた。
「もしもし榊です。すいませんが東里横断道路上の
高山は助手席で作業している榊を見ながらまた食い込ませる気だなと思った。
—―榊守には誰が呼んだか知らないあだ名『海原テレビのミステリーハンター』と呼ばれていた。昔の話だが……。
このあだ名は榊の取材スタイルにもよる。入社後に数年ローカル番組制作を行っていた頃、寺社関係・歴史物を取り扱う事例が多かったことから由来する。
取材しただけではなく、考古学・歴史的背景にも『かなり』長けていたことが理由だった。取材したことに対して、更に確証を肉付けされた内容はウケが良かったものの、一部の学者からは煙たがられていた。
ある時は絵空事とも言えるような内容が、その後の調査で事実になるなど『榊の歴史ネタは殆ど当たる』ということでいつの間にかミステリーハンターというあだ名もつけられた。つい先日も近くの遺跡での調査報告会で出土品の年代をほぼピタリと当てたばかりで、担当していた考古学者は榊の質問に後日丁寧に返答してくれていた。
制作から報道へ配置換えをされると、その手のネタにはあまり手を出さなくなった。だが適度なところでそれらのネタを歳時記的に仕掛けていくので、ニュース番組にとっては平和な時の尺埋めという名義では便利に使えているのも、ウケが良い点ではあると言うが……。
榊の端末には更に詳細な内容がメールで届く。榊は概要を素早く読むとまた電話を掛ける。撮影した映像とを組み合わせながら更に文と秒数を決めていく。
榊は書き上げた原稿を本社の報道デスクにメールで転送すると、パソコンを用いた仮編集による、ニュース映像作りを行っていた。
榊の携帯電話が鳴り、原稿精査の結果とオンエア予定の本編秒数を伝えられた。
「ちょっと長い、……了解あと20秒カットね」
原稿のポイントを聞きながらカットする場所を確認して原稿を実際に読み直して、再度秒数をはかる。
時間がもったいないといって榊はこれらの作業を移動中に行って本社に戻る頃には映像を調整する程度で終わらせる。東西に長く移動に時間が掛かるこの土地の性格上移動の時間がもったいないと感じるのであろう。原稿から美術に依頼するテロップもすでに先のメールで一通り終わっているので、誤字脱字の確認を行ってできあがったデータを見ながら詳細をまとめていた。
移動が長ったらしいと言わせている、この東里市は県庁所在地ではあるものの、高速道路の道路インフラに至っては県西部の
榊が取材した東里横断道路もその道の一環で県管理による建設が始まろうとしていた。
土地買収は予定通り進み工事が始まったが、なぜか細かな事故が頻発している。事故に関しては作業内容の過密さや労働環境といった点を問われていることが多く、昨日の滑落事故もその点だと思われていた。
本社に戻るとそのまま編集室に入り、撮影した映像を編集点に合わせて切り出していく。
ニュース時間もあるため、事故のニュースを先行していた。三〇分程度で済ませると、チェックを依頼して後は本番にまわす。そういう流れだった。
とはいえ寺社映像についてはこの日放送されず、別の日に取り扱う事で対応した。
ニュースが終わってミーティングの後、榊は電話を入れた。
「もしもし」女性の声が聞こえると榊は言った。
「この間言っていたアレだが、悪さしている」
「どこで?」
女性は聞き返した。
「例の東里横断道路工事現場の事故の件だけど、気山町の廃寺知ってるか?」
「廃寺……確か楠のある?……あそこ結構古いから厳しいかも」
電話の声は少し幼い感じがする。
「何とかならないか?」
「調査を入れないとわからないよ」
「そうか…。ちらっと見た感じなんだが…」
榊は電話の相手に軽く伝えた。
「なるほどね。その理由だったら確かに『迷う』のも解る気がするし…」
「悪さも…か。」
「そうね」
「ではまた近いうちに調査を」
「わかった」
「もしもの為に装備決めといて、ちょっとこじれるかもしれん」
「うん、それは解ってる…」
電話を切ると、天気予報を確認した。晴れか……。
榊は携帯電話のカメラフォルダから、問題の楠の画像を呼び出した。寺を出る前にちらっと撮影したものだ。
ただの楠ではある。しかしその楠以上に気になるモノが榊には見えている。それが何かというのは榊は語ってくれない。
その画像を見ながら榊は、ただ左腕を擦っていた。その眼の鋭さはあの時と一緒だった。
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