第苦話 鈍色のパズルピース(2018.12.11) AM:午前
口を噤んでしまった仕掛人の顔を覗き込んだ。
「相手のことを思って手放すことは悪いことではないけれど、自分も幸せになったっていいんじゃない?」
菜那は問いかける。仕掛人は深く息を吸って言葉を選んでいた。しかしその返事も聞かず、菜那は「私が味方でありたいと思うのは、それでも幸せだと思っているから。だから、ごめんなさいね、ヤマアラシさんの考え方は好きになれない。力になれないの」と、どこか不思議なものを見るかのような表情。仕掛人は理解されない気持ちを前に「それでも私がやらなければいけない、」と言いかける。自分にとっての幸せが、他人が思う幸せとイコールであることは限らない。自分は納得したつもりでいるけれど、本当に心から納得しているのだろうか? 迷うことを已めたつもりだった。それなのに、仕掛人は菜那の問いかけが気に障った。
「東の専務はヤマアラシさんみたいなタイプをほっとけないでしょうね」
「ほっとけないというのは標的として命を狙うという意味でしょうか。でしたら、ぜひともほっといて欲しいですね」
つまらない冗談を重ねる。しかし菜那は真面目に取り合った。
「ヤマアラシさんが描く筋書きが、東の専務の思っているシナリオと違うストーリーだからよ」
「そうでしょうね。私も多方向と解釈が一致せず苦労しております」
理解者だと思っていた相手でも、利害関係を突き詰めた結果、殺されても文句を並べるのは、筋違いであると、態度で示す。冗談ではないやり取りを、まるで冗談みたいな軽い調子で言う。少なくとも、仕掛人は烏丸検察官のことを悪く思わなかった。当然、烏丸も仕掛人とはよろしくしている仲である。共通の目的意識のなか、目指しているは同じ結果。しかし、その過程までもが同一だとは限らない。結果が同じだからといって、過程や背景が一致していなければ、それは大きなすれ違いへと発展する。お互い、早いうちから気づいていた。思考回路が違うことを。リスク回避するため、先に手を打ってきたのが烏丸だったに過ぎない。お互い立場を隠して遂行する計画。共犯する気がないのであれば、共同体とも言えず。あるのはただの障害というリスクだった。
「……やっぱり、ヤマアラシさんはヤマアラシだね」
事件の背景など、菜那には知る由もない。しかしこの街について、若干の知識がある彼女には想像に容易い話だった。仕掛人の背景から推測するのは、捜査第二課管轄までも巻き込んだ裏金にまつわる話。そして、巷を騒がせている、元暴力団組員が起こした銃殺事件。渦中をよく知る情報問屋が気にかけた野良猫と呼ばれた殺し屋と、元飼い主であった東海金融照会の専務、巌川零次が描く結末。指定暴力団東間組の息がかかっている烏丸麻貴が裏切った末のストーリー。
「代替案。私、東の専務の筋書きなら、詳しいよ?」
――そして、仕掛人の心情を察した秋津菜那は確信する。ラストのピースが揃ったと言わんばかりの笑みを浮かべ、菜那は一つ提案した。
「お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
いぶかしげに、しかし、咎めるような焦りはなく、落ち着いた様子で仕掛人は問いかける。仕掛人が肯定することを前提に、菜那は仕掛人の疑問に問いかけを被せた。
「その代わり約束してくれる?」
「内容にもよりますね」
決まり文句のように仕掛人は答える。渋っているようにも取れる様子で立っていたが、菜那にはすべて読めていた。
「そう。でも、ヤマアラシさんは優しいから、約束守ってくれる」
藁にも縋る思いで情報を集めていることも、自分の―思惑通りに事を進めようとしている努力も見透かしている。その性格上、仕掛人は約束を律儀に守るタイプ。契約不履行を嫌うのは仕掛人の性質だった。
「どうでしょう。人の気持ちは移ろいやすいものですよ」
仕掛人は冷ややかに指摘するが、菜那は「移ろうだけの覚悟はないでしょう。ヤマアラシさんはもう決めてしまっているから」と断定づけた。言うだけ無駄な議論だと、悟った仕掛人は「わかりました。条件を呑みましょう。なるだけ努力はいたしますが、難しい場合はその限りではありません」と不測の事態には出来かねる、と保険を掛けるような言葉を口にした。
「〝警告〟はしてもいいですけど、〝刑罰〟だけはやめて欲しいんです」
透き通る声で菜那は含みのある言い方をした。
「その言い方ですと、私が直接手を下さなければ免責される約束ですよね?」
すかさず仕掛人は考えられる抜け道を提示する。しかし菜那は「押さえたデータを横流しすることは構いません。ただそれだけで上手くいくと言うのであれば、それまでなので。ただ、私は、ヤマアラシさんがそんな酷いことはできないと思っているの」と言った。言葉の意図をくみ取ると、仕掛人は「……質権さんも私が目障りだと言いたいんですね」と言うしかなかった。遠まわしに邪魔をするなと咎められているも同然だと解釈する。しかし菜那は不思議そうな顔をして否定した。
「目障りじゃないよ? ただ、生きていくのが大変そうねって思っているだけ」
まぁいいよ、と菜那は切り上げた。仕掛人は耳を傾ける。これから菜那が語る言葉の一字一句を取り違えないように。彼女が語ったのは自分には知りようがなかった、周りの思惑だった。
(続く)
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