第玖話 妖怪サトリを垣間見る (2018.12.11) AM:午前

2018.12.11 AM:午前


 雨が降り出しそうな曇り空。湿度を含んだ鈍色が空を覆う。仕掛人はタブレット端末に映した写真を頼りに、ある女性を探していた。秋葉原、防犯・監視カメラ販売の専門店。アーケード街になっている店はアウトレット、安価の量販店は比較的明るい内装で繁盛している。通りを抜けると路地になっている。昭和の骨とう品屋を思わせるような古い外装に、小さいサイズの電化製品がところ狭しと陳列されていた。護身用グッズ専門店などを中心に三件目。タブレットと身分証明書を片手に、たいして収穫がないまま。手元に持っていた手帳を二つ折りにして胸ポケットにしまった。

タブレットの画面を操作して地図を確認する、時折、経路図を表示して青色の線を指でなぞった。

「あら、ヤマアラシさん」

 透き通った女性の声に仕掛人は顔をあげる。振り返ると、長い髪の毛を数本のヘアピンで留めた壮年女性が仕掛人のことを見据えていた。

「わざわざ私を探し回っていたのね」

「あなたに連絡を取るのはルール違反なので」

仕掛人が悪びれた態度を取ると、女性は面白おかしく笑っていた。秋津あきつ菜那ななは元情報屋の数番であった。名井逸弥とは旧知の仲であり、逸弥の兄にあたる玲の遺女忘れ形見。数年前、反社会的勢力の恨みを買って、危機的状況に陥ったことをきっかけに、一部の記憶を失った。情報屋としての仕事に差し障りが出ることを懸念した名井逸弥は、彼女を解雇し、現在に至るまでその縁を断ち切っている。

「そう。立場を偽ってここまでいらしたのね。なら、私もなにか別な呼び方が欲しいね」

 ルール違反の意味を聞かなくても菜那は想像に容易かった。仕掛人にとって、菜那を探して回ることは、リスクが伴う行為と、違法行為を背反で抱えている状況化であった。

「過去のあなたは質権と呼ばれたそうですよ」

「なら、その呼び方で構わないよ」

 菜那は情報屋に関する記憶が欠損していても、自分の立場を完全に理解していた。菜那はニコニコと笑い、仕掛人も表情だけは晴れやかに微笑んでいた。仕掛人が口を開く。

「折り入ってご相談がありまして」

「相談ではないのでしょう? 初めから決まっている事柄ならそういえばいのに」

軽い口調で指摘する。仕掛人は口元の笑みは崩さず、目を細めた。

「……妖怪サトリのようですね、」

「よく言われるの、でも目は口ほどにものをいうからおしゃべりなのはみんなのほうよ?」

「さようでございますか」

 秋津菜那の能力を知る者は少ない。人の視線、行動、仕草を正確にとらえ、心情をくみ取る。他人が無意識に発しているシグナルを受け、気持ちを言語化できる人間だった。似たような共感や共鳴は誰でも出来うる事柄ではあるが、秋津菜那は他人の心情を推し量ることに長けている。それは一般的に想像できうる範疇を超えているほど、正確で精度が高いものだった。たとえて言うなら、人の心を完全に読み解くことができるかのように。

「鳥は空を羽ばたくものだから遠くへと行けるでしょうけれど、あなたはとてもツラいでしょうね。薄明薄暮の逸弥と違って、」

 他人の心へ土足で上がり込むことができる菜那は、容易に仕掛人の気持ちを推し量った。しかし妖怪サトリの発言に、仕掛人は「ヤマアラシは元来、夜行性です」と言いかけていたセリフを緩やかに断ち切った。

「そういうところを言っているのよ」

 歩みを進めて、菜那は仕掛人の前に立った。菜那の着ている白いカシミアコートがひらりと揺れる。ポケットに手を入れて、小首をかしげて宣言した。

「申し訳ないんだけど、私、猫が好きなのでお力添えはできそうに無いよ」

ヘアピンで留まっていない部分の髪の毛が、厳冬の風に当てられてふわりと舞う。続けて「もちろん知ってはいると思うけど、今の私は情報屋数番ではないの。けれど、私にとって逸弥はまだ特別だから、その提案には乗って上げられない。私は野良猫が好きだから」と、菜那は断った。

「なぜ、そこまで庇うのですか?」

 仕掛人は素朴な疑問を述べる。きょとんとした表情を張り付けた菜那はくるりと踵を返して、半歩距離を取ってから、仕掛人に向き直る。

「別に庇ってはいないよ? 私はただ、情報屋をやめたのに逸弥の手伝いをしたり、邪魔をしたりしたくないだけ。それに逸弥も野良猫が好きだった。そうじゃなくても、同業の信録しんろくちゃんズは引退しちゃたし、私の出る幕じゃないかなって。世論の味方はハチ公ちゃんとかが担当している案件で、横取りするのは逸弥に怒られちゃう」

 菜那は口軽く自分の立場を明らかにする。後半の名前はさておき、情報屋数番の発信のと、記録のは仕掛人の耳にも入っていた。様々な噂の真偽判断はさておき、発信の四は横領や不正献金についての情報を主に取り扱っている黒髪の女性で、過去に多額の違法献金を摘発するきっかけを自ら垂れ込んできたとのこと。記録の六は外資系企業や金融の動向について裏社会的つながりに精通していると同等に、ロシアで指名手配されている産業スパイ・国家機密情報漏洩の容疑が掛かっているロシア国籍の女性だった。詳しい管轄は多岐にわたり、公正取引委員会、検察庁特別捜査部、警視庁捜査第二課とそれぞれに応じる、重要参考人であることは確かであった。

「あくまでも問屋の意思から外れる気がない、ということでよろしいでしょうか」

 一縷の希望で交渉の余地を探すが、仕掛人はすでに菜那が首を縦に振らないことを悟っていた。

「そうね。……でも、相談ではないってことは、無理やりにでも聞き出したいんでしょう?」

 手の取るように仕掛人の気持ちが読める菜那は、自分が酷い目にあう可能性を視野にいれる。返事を聞くまでないが疑問形で返したが故、仕掛人は「否定はできませんね」と冷たく言い放つ。

 たいして困ってもなさそうな軽い雰囲気で、菜那は右手の人差し指を顎に当て「んー、それは困ったわ」と悩むような仕草をした。硬直化した会話を回避するため菜那はわざと関係のない話を持ち出した。

「妥協案として提示するのは、あなたが崩している資金の出どころ。そのうち摘発されてしまうと思うけど、いいのかしら?」

 仕掛人が動かしている大金の末路について菜那は訊ねる。仕掛人は「そうですね、」と一瞬だけ言葉を選んだ後「ご安心ください。摘発はできません。私のことを引きずりだすとしたら、積み上げた大金の出所を改めなくてはなりません。上層部は保身に走って、そもそも〝違法献金は無かった〟と表明するのが自然な流れです」と落ち着いた様子で返答した。

 覚悟を決めた瞳をのぞき込み、菜那は「自己犠牲は褒められたことじゃないと私は思うんだけどなぁ」と仕掛人が言っていない言葉の向こう側をくみ取った。

「…………何を、言っているんですか?」

 仕掛人は軽く顎を引く。図星をつかれたときじみた仕草で菜那のことを睨むように見据えた。

「ヤマアラシが自分の鋭い針毛で刺されて血だらけになっている社会が〝正しい〟ことだとは思わないって話」

 誰にも言えない筋書きを読まれ、仕掛人は強気で愛想笑みを浮かべる。

「質権さんはなんでもお見通しなんですね」

 仮面の裏側では心底、嫌なことを言われたときと同じ心境で、心臓がチクリと痛んだ。

「ヤマアラシさんが自分でおっしゃってますよ」

 重たい鈍色の空に映える白いカシミアコートをまとった女は、仕掛人に屈託ない言葉を返す。それが当人にとって、酷く辛辣なセリフであることも、無邪気な彼女に知る由もなかった。


(続く)

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