第■⁸話 宙に舞ったコイン (2018.12.10)PM:夜間
2018.12.10 PM:夜間
仕掛人は冬の風に吹かれ、茶色いオーバーコートが翻る。ビルの屋上の立ち入り禁止のチェーンを越えた向こう。フェンス越しに下界を見渡す。時折、月光がチラつく曇り空の下。ハンズフリーイヤホンに片手をあてて、聞き入る。足元には鞄といくつかの電子機器。アプリケーションソフトの不正ログインを駆使したノートパソコン。多少の改造を施したタブレット端末を片手に、仕掛人はビルの屋上で望遠鏡を覗いていた。レンズ越しに眺めるのは巌川零次と布留川霧流のやり取り。会話の内容こそ聞こえないが、予測はついていた。
「まったく、酷い話ですね。どこからが信用できる案件で、どこからが裏切り行為なんでしょう」
仕掛人は吐き捨てる。通話越しの男性は「まぁ、あちらはあちらで事情があるだろう」と答えた。
「まぁいいです。こちらの依頼は一部を除いて完遂ですし。――五反田健一にトドメが刺されなかったことが唯一の心残りですが、」
「下手に藪蛇になるよりは、一人ぐらい証言台に立っているほうが都合いい」
面倒事を避けたい仕掛人は皮肉交じりで「それは職業的な意味で言っているんですか?」と煽った。しかし通話の主は聞きなれた台詞だったのか、鼻で笑って聞き流す。
「冗談はさておき、ハイリスクを選ぶ必要性は感じられませんが、どうしますか?」
問いかけた仕掛人へ答える。通話の主は「俺は手を出さなくてもいいと考える。しかし、これは俺の都合だ」とストレートな見解を述べる。仕掛人は不愉快で表情が曇る。
「……どういう依頼が通っているか、私は存じ上げませんが。ここで死ぬわけにはいかない」
仕掛人が怪訝を隠す気がないのは、張り合う相手ではないと知っているからだ。通話の主はいたって軽い口調で答えた。
「俺だってお前が死んだら困る」
「私もあなたが死んだら思うところはありますよ。多少ですが」
当然の様に仕掛人も通話の主と同じ調子で、軽い口を叩いた。
「嬉しい事いってくれるね、本当はつゆほども思っていなんだろう?」
「さぁどうでしょう。少なくともこうしてお喋りするほどには仲がいいと自負しておりますよ」
「お前は愛想だけはいい。心の中で斜に構えるクセを直したらどうだ?」
「ご指摘ありがとうございます、参考にして、見当させて頂きますよ」
聞く気も無いアドバイスを聞き流す。中身のない会話だとお互いに思う。気を許した事もない、合理的な契約上で成り立っている関係。通話の主は同類だと思ってやまないが、仕掛人は同類であることを認めない。上澄みだけで成り立つ関係性は、どこか薄い氷の張った泉に立っているのと同義であった。水面下では様々な思惑がやり取りしている。当然、通話主も、仕掛人も同じ穴のムジナであった。
「話は変わりますが、使い捨てにされる殺し屋という職業は可哀そうですね。用が済めば殺される、失敗すれば殺される、なんて」
――人殺し自体が日本では大罪であるにも関わらず。口には出さず、仕掛人は心の中で反芻した。この話題は通話の主にとって地雷に近しい発言になると知っていたからだ。
「この社会の仕組みと大差ないだろう。搾取されるか、搾取するか」
続けて「無論、搾取される方が悪いとは言いたくない」と通話の主は低い声で唸る様に宣言する。かつて搾取される側を見てきたタイプとして、一番許せない行為を思い出してやまなかった。――同等、弱いものが叩きのめされることも知っている。だからこそ、どちらが本当の弱者だったのか、己の目で見極める必要があった。
「しかし違法行為は許せません。私は彼に警告しますよ、――
仕掛人の通話の相手。仕掛人の報告と意見へ耳を傾けていたのは、烏丸麻貴だった。烏丸は自宅の書斎でこの通話をマイク付きイヤホンで応答していた。妻の烏丸梓沙は早めの就寝している。この件の本質を知るが、まったくもって、関わり合いが無い女。梓沙がスヤスヤと眠いっているのを確認した後、烏丸は電話を取っていた。
「私には彼らを赦す道理はありません」
仕掛人がそう宣告すると「構わない、そっちのテリトリーと言われればそれまでだ」と深くは否定しなかった。烏丸が思うに、自身の管轄する公判となりうるか、いささか難しいラインであった。ある程度は妥協も関係を長続きする上では必要だと認識しているため、烏丸は無碍に提案をおろさなかった。
「それではまた後日」
烏丸との通話が切れてから、電話回線のノイズに気づく。仕掛人はあらかじめ調べておいた携帯電話番号へ掛ける。三コールもなるまでもなく、繋がった。
「まさかこの会話が傍受されるなんて思っても居ませんでしたよ。ここにもネズミが居るもんです。さしずめ情報問屋というところでしょうか」
通話の向こうで問屋は黙る。――よりによって、
問屋の表の顔を知っている者は少ない。裏では情報問屋として独自のネットワークを築き上げているが、表社会で使用している名義は個人経営のコンサルタント業だった。と、いっても長期取引はデイトレーダー一件のみ。他は数年前に満了している。名井逸弥という名前に曰くが付いている以上、表社会で振った仕事が出来ない。過去にあった出来事はいつまでも風化しないほどのインパクトを孕んでいた。時がたてば解決すると言われる事柄も、近隣住民の話となると別だった。汚職政治家と名高い事実が露呈し、秘書とその妻を死に至らしめた父親。その父親を斬殺した兄を持つ自分には、社会的に死んでいるも同然だった。どこへ行っても所詮は犯罪一家の末裔。自分が何をしたわけでもないのに降りかかる様々な事を回避するため、情報問屋などという不真面目な仕事を生業にしていた。
「度々、私の話をつまんでいるのは存じております。――私はあなたへ個人的な恨みを抱いてもいい立場にいる事を知っていて、このような行動をとっている、ということですか?」
いくら表の電話番号に掛かってきたからといって、易々吐くわけにはいかない。問屋は「さて、僕の知りえない話だ」としらばっくれた。
「なるほど。それでは私から言えることはひとつです。恨みはしませんが、邪魔をしたら、赦しませんよ」
仕掛人は牽制する。問屋は素直に思っている心境を告げた。
「僕としたら計画自体は万々歳、だが。――俺としては、困る話だ。止めて頂きたい事が山ほどある」
「それでは精々、〝自分自身〟と戦い下さい。そこに私の計画を織り交ぜられると困るのです」
誤算が産まれる事だけは避けたいと仕掛人は煽り文句を言う。
「正義を語る表の顔、そのままお辞めになった方が幸せですよ」
「そっくりそのままお返しするよ、仕掛人」
負けじと問屋も悪意を込めて返答した。釘を刺した仕掛人は通話を切る。仕掛人は夜風に当てられ、恨んでいいのか悪いのか、未だに悩む人の事へ思いを馳せる。
「いつも
仕掛人にとってすべての始まりというわけではないが、もしも、この名井玲という男が最後、乱心しなかったとしたら。もしも秘書を殺害する命令を出した名井貴登が生きていたら。――そんな有りもしない現実によっては、自身も初めから、問屋と同じ立場に立っていたかもしれない。
「どうか渦中の巨悪を仕留めてくださいね」
正義の正義足らしめる要素など他人には量れない。そして、それをきちんと、かつ公正に量る者など居るのだろうか。仕掛人は一人思った。
「正しい道理は託しましたよ、――八丈島松希」
――過剰な期待をしているだろうか、いやまさか。自覚しはじめている気持ちを否定する。仕掛人は達観した自分自身を鼻で笑った。自分が正義のヒーローに成れない事は、初めから自覚していた。くだらない感情を抱えている自分の憶測は、どこまでも愚かで純粋だっただろう。自分も悪意に対して、正義を振りかざす事ができる立場にいると思っていた。しかし現実はそう甘くない。犯罪行為に走る者も、未必の故意で犯行に及ぶ者や、実行犯として検挙される者もいる。――しかし決まって、その後ろに潜む巨悪へとたどり着けない事もある。信じるべき正義を掲げている連中も、自身がそう望んでいなかったとしても、悲劇的な要因を誘う一部となり果てる事だってあった。
屋上に吹く風はフェンスの隙間を通り抜け、ヒュウヒュウと風鳴りを響かせる。仕掛人は後片付けし、証拠が一切残らないようにする。曇り空は暗澹としているが、この街の光は眠る事を知らない。地上の一つ一つの光は、夜景をつくる一端を担う。それが幸福なモノなのか、不幸なモノなのか。見ている者は幸福で、明かりの下で働く者は不幸なのか。これまた主観的な要因で決着がつかない議論であたった。仕掛人はそんな夜景へ背にして、ビルの非常階段を下る。下へ下へ伸びる螺旋階段をひとり、茶色いコートの裾を揺らして降りるのだった。
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