第参話 厳冬に注ぐ月光 (2018.12.03) PM10:00

2018.12.03

PM10:00


 厳冬に差し掛かる時期、夜の空は都会とあってまだ明るい。電飾の光が煌々と照らしている中、巌川零次は歩きなれた道から外れて裏路地へ。ブラックレーベルのトレンチコートを嫌味なく着る風体で、そう安くもないダブルのスーツを着崩している。煙草のヤニ臭さがどこか漂う、四十代半ばの割には白髪も見えない。クセ毛の強い天パを除けば至ってどこにでもいる時期幹部クラスの会社員だと見て取れる。年相応も相まって、その雰囲気からは温厚さは一切うかがえない。鷹のような鋭い眼光と眉間に浮いた皺。――彼、こと巌川零次いわかわれいじは、ICDeグループ、東海金融照会とうかいきんゆうしょうかいの専務取締役だった。癒着に癒着を重ねた結果、社会に溶け込んだビジネスヤクザ。今は解体してしまった比賀会ひぃがかいの分家が関西圏から流れて、東間組としてそのまま定着した。バレていない違法行為は裁判では裁けない、独自の手法によって暴力団対策法の抜け穴を掻い潜っている。現在の東間組はビジネスヤクザの名前を欲しいがまま、不動産業と輸出業、保険業兼金融業の企業がこの組の幹部とよろしくやっているズブズブの関係だ。三社の筆頭株主が〝血族〟を通し、グループに関わる全ての利権に絡んでいる。

「例の件、返事を頂けますか」

 問いかける男性の声に足を止める。その声は、巌川も当然既知の人間の者だった。

「直接会わない約束ではなかったか」

「そうは言っても、電子端末でやり取りが残る方がやっかいですから」

 ポケットの中から携帯電話を触れる。それから手さぐりで、ライターとラークの箱へ指先を伸ばした。――振り返るまでもない、巌川はそう思っていたが、念のため、問いかけた主を見据える。煙草に火を付け、自身が火をつけた煙草の明かりが仄かな灯火となって路地を照らす。その微々たる明かりで見えるのは、薄幸そうに笑う〝仕掛人〟だった。

「こっちは一銭も動いていない。そちらは潤沢にある資金の半分くらいを手放して、様々な意図を張り巡らせているようだが、火の粉は困る。内輪で済むなら内々で決着をつけて欲しいのが正直だ」

「それは当方だって同じ気持ちですよ、利害関係にて調停していただいているのは承知の上です」

 現在、巌川の知るところで金を絡めずに取引をしているのはもう二件ある。レールの存在を知っている〝知ら亡い問屋〟しらないとんやと、昼時に連絡を入れた〝逃がした猫〟のらねこだった。そのうち、暫定的に厄介なのは、駒としてカウントできない仕掛人との取引。無駄な会話をしないのが巌川の持論であった。なんせ〝情報はナマモノでイキモノ、口に戸は立てられない〟のだから。

「金で動いているタイプの方がやりやすい」

「裏切りませんよ、少なくとも今の段階では」

 人並み以上に見る目が肥えている巌川は、仕掛人の仕草や挙動を注視する。涼やかに言い放つ仕掛人の目は本心であった。嘘偽りを見抜くことは長けていると自負している。そうじゃなきゃ食い物にされるのは自分の方だと、誰よりも巌川は知っているからだ。

「前から思っていたが、〝烏丸検事官カラス〟といい仕掛人といい、そっち側は何が目的なんだ」

 煙草に口を付けたまま「ヤクザ者に関わるのはどうかと思うぞ」と自身の置かれた立場を棚に上げた発言をする。

「不適切な連中を全員、鉄格子に送れるものなら楽なんですが。そうも言ってられないので」

「なるほど、巨悪の根源から片付ける算段か」

「あくまで性善説を信じたいですからね、指図されて犯罪行為を行うタイプを減らしたいのが望みです」

 仕掛人がはぁーっと息を吐くと、白い煙のように寒気へ温かい呼気が霧散した。彼は煙草を吸わない、吸う気も無い。今にも雪が降りそうな空を見上げ「そうすれば少しはマシになるでしょう」と付け足した。

「確かに好きでこの商売をやっている奴と、そうじゃない奴がいる」

 巌川も肯定的に答えた。もしも、とありえない未来を想像しなかったわけではない。実母が政治家の男と色情に血迷う心さえなければ、離婚したのにもかかわらず迷惑行為と風評工作さえなければ。――そんな事が無ければ、家庭を保つために実父が過労死するなんてことも無かっただろう。

 わざわざ好き好んで犯罪行為をしているわけではない。合法的である事が好ましい性格、リスクを冒してまでハイリターンを求めるタイプではない。はじめから身の丈に合った暮らしができる環境にあれば、それに越した事はなかったのだ。

「それに法廷で有罪を獲得しない限りは推定無罪ですし」

「それは〝カラス〟がよく言うセリフだな」

「あなたの方が身近なんじゃないですか? 悪によって歪められた人間をよく見て来たと思うのですが」

 仕掛人はわざと気に障る言い方をした。一通り知っていると言葉尻から察した巌川は「……子供は生まれる親を選べはしないからな」と言葉を返した。それに対してまたやんわりとした笑みを浮かべる仕掛人を、巌川は値踏んで見つめた。――もしかしたら、近辺の事を調べ上げてから来たのか。と邪推せざるを得ない。巌川が信頼を置く駒は、決まって両親との関係が機能不全で環境がそうさせているタイプの人間に偏っていたからだった。

「人が人を殺す動機に論理的答えは無い。だったら同等に、論理的に施行される正義に人間的な悪意を処罰しきれない、そうは思いませんか調停者。人は憎しみを抱く生き物です、ただ一方的に押し付けられるルールを理解しろと言う方が無理な話です」

「同感だが、俺は別に善悪の是非を問うつもりはない。当社はあくまでもビジネス、私情を汲んだとしても俺個人の復讐にすぎない」

「正義で裁くことができるのは法律上での違反のみ。では、我々のような潜在的な悪意はどうやって罪と認定されるのでしょうか」


 月明かりが照らす路地は暗色の陰を落としたまま。一瞬だけ冬の空から月光が覗いた。仕掛人の茶色いオーバーコートと黒灰色のスーツ生地がぼんやりとうかがえる。明かりの具合のせいだろうか、――彼の首から上は、考えあぐねいた後の酷く疲れきったような表情だった。


「正しくない行いをした結果として、訴えられる問題を罪と定義するならば、現在進行における罪などない。すべては日本の司法が決めることだろう」

自分が動揺している事に、巌川自身が驚いた。てっきり、金か名誉かプライドか。あるいはただの正義ごっこの末の討伐か。エゴが孕んだなにかとばかり決めつけていた。心から唾棄して揶揄して甘い汁だけ吸って便乗できればいい物件だとばかり思っていた。――この職業タイプの人間が、それも、自分より十歳は確実に若いだろう人間が、自己矛盾の末に自分を殺したようなツラをするなんて見た事がなかった。

「それ故に、致し方が無く、我々が動いているんです」

「なるほど、そういう風に聞けば理解もできる」

「いささか無駄な議論でしたね。なにぶん立場に惑わされるところがありまして」

 射し込んだ光が途絶える。周囲はよくある薄暗さに戻るが、巌川には先ほどの仕掛人の表情が瞼に張り付いてしょうがなかった。

「単刀直入にお尋ねするが、仕掛人。お前自身は何が望みなんだ」

 ――私情。

 巌川は自分が聞かなくてもいいラインへと足を踏み込んだ事を自覚する。

「それを言うならあなたと同じ指針ですよ。私は悪党、それでいてこの正義に復讐がしたい。それだけです」

 対して仕掛人は先ほどと調子を変えずに答えた。復讐、という言葉を反芻する。巌川にとってはこの世の中の気に入らない事へ復讐するために余生を生きている身。ふと、「正義に復讐、か。わからなくもないな」と口から零れていた。

「まぁ本音を言うのなら、適正でかつあるべき姿にしたい事が望みです」

「それ故に今は不適正に手を染める、と?」

 棘を持った巌川の言葉へ「そういう言い方をされると少々困るのですが、」と仕掛人は首をすくめた。

「〝カラス〟の答えの方がシンプルだったな」

「私は聞いた事ありませんね、なにぶんそっちは別に人を立てています故」

と仕掛人は言うものの、全くの無知というわけではないようだ。

「奴は〝背景〟を鑑みる。自身の天秤で情状酌量を推し量る」

「なるほど、道理で合いいれない」

同じ派閥として動いているあたり、そちらはそちらの利害関係があるのだと巌川は邪推した。

「会話がすぎた。正式に手を貸そう、ただし東間組ヒガシの取り決めには従ってもらうことになるだろう」

 そう言って巌川は深く息を吐いた。煙草の煙が呼気に残っている、――部下に文句の一つでも言われるだろうか。そんな事がふと頭をよぎったが、頭を振って打ち消した。

「易しい性格なんですね、こんな商売しているクセに」

 懐から携帯灰皿を取り出す。吸い殻をそのまま納めて「買い被りすぎている。見る目がない」と否定した。仕掛人は「またまたご冗談を」と軽く笑っていた。

「それに俺はただ勝手がよく使い走りにされているだけだ。調停者なんて仰々しい者ではない。あくまで俺は一部の人間を監督するだけに過ぎない」

 巌川は自分が呼ばれている呼称を否定した。すると仕掛人も急に改まった声色で「さようでございますか、それなら私も仕掛人なんて言葉では不釣り合いです」と告げた。

「ほぅ、では自身ではなんと呼称する」

 強気の姿勢で巌川はそう問うと「そうですね。強いて言うなら、」と仕掛人は口を開きかける。

「――やめときます、お連れ様がいるところでそういう事を言うだけの神経は持ち合わせていないもので」

と急に会話を打ち切った。

 路地の死角になる壁際で情報問屋、こと名井逸弥ない いつやが口笛を吹くマネをした。心の中で――盗聴器にすればよかった、と後悔するも、時遅しであった。

「連れじゃないかもしれないだろう、」

 特に驚いた様子もなく、シレッと巌川は取り繕うが「だったらそちらの方が処分に詳しいはずでしょう」と仕掛人は反論した。そう言われると巌川も納得した様子で「なるほど、馬鹿ではないようだ」と独り言ちた。

「それでは、失礼します」

 頭を下げるわけでもなく仕掛人は踵を返して立ち去った。その姿を追おうにも一度大通りへ出てしまえば人通りの多い交差点へと紛れてしまう。人を隠すなら雑踏へ、なんて言わんばかりであった。

「〝ゴドーを待ちながら〟ですか、零にぃさん」

 年甲斐もないからかい口調。仕掛人が完全にこの場を去ったのを確認すると、問屋は陰から顔を出した。

「待っていたのはあっちだ。あと、その呼び方は辞めろと言っただろう、問屋」

 さっきとは打って変わってやる気のない迷惑そうな声色で巌川は文句を並べた。しかし問屋は相手にせず「今日は七が居ないんです、いいじゃないですか、ふざけたって」とケタケタ笑っていた。

「……質権は、二年前から居ないだろう」

 現実逃避を続ける異父弟いふていを前に正気を説いてしまった。――急に眼の色、表情を変えて問屋は口を開く。冷たい言いぐさで「……そう言う事を言うから、俺だって、そう言わざるを得ないんですよ」と反論した。


「まぁいい、そんな事話している場合じゃない」


 巌川はテキトウに話を流して、新しい煙草に火をつけた。

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