2018

第壱話 再会と初夏 (2018.07.19)

2018.07.19 

 うらやかな午後の陽気。七月の気温。生ぬるい初夏の風が吹き付ける。はらはらと黄緑の若葉が風に揺れる街路樹が並ぶ位置に面していたカフェテラス。雑多に並んだビルが多くあるなかでは、ビジネスマン相手にはそれなりの繁盛をみせていた。

 テイクアウトした珈琲カップを片手に初瀬はせ総野そうやは業務を抜け出して現在進行形の自主的休憩。息抜きついでにサボっていた事務仕事に戻ろうかと思い始めていた。いくら締め切りが大分先の書類でも、専務管轄の事務仕事はそのまま副社長にも迷惑がかかる案件である。初瀬は無いやる気を少しは出さなければならない状態にため息を吐いた。

「平和ボケかねぇ、」

 くだらない私情を挟んでいることは自覚済みであった。口には出さず心の中でくだらねぇなと吐き捨てた初瀬はめんどくさそうな様子を貼り付けたまま、勤務先である高層ビルに戻る。港々成みなとこうせい製薬株式会社は医療従事者なら誰もが知る業界最大手の製薬会社。そうじゃない人にとっても、約二十年前から運営しはじめた金融関係や保険事業で有名な企業だった。誰しもテレビに流れるCMで耳にしたことがあるだろう。初瀬は、自身の首に下がったパスカードを弄びつつ、一階ロビーで似た様な背格好の見知った顔を見つけた。痛んだアッシュイエローの染め髪と、左手に提げたビジネス鞄。それからフチの細い眼鏡には四角い濃色のカラーレンズが嵌っている。グラスの奥には鋭い眼光が静かに周りを見定めていた。初瀬は確信する。見たことあるツラに、覚えのある視線だと。

 うなじにラリアットする勢いで肩を抱えながら北里龍きたり りゅうに話しかける。前のめりで倒れかけた北里は、衝撃の原因である初瀬を見つめた。

「七年ぶり、元気していたか?」

「お久しぶりです、先輩こそお元気そうで何よりです」

 はずれかけたサングラスを右手で直す。へらりと笑った北里の顔には声の主に少しの驚きがあった。

「もう先輩じゃねぇよ」

「人生の先輩ってことで慕ってるんですよ」

「嘘付け、そんな事一ミリも思っていないクセに」

 落ち着いた様子で言葉を返す北里に冗談めかしに毒づく初瀬。臆する事も無く北里は肩を竦ませ笑っていた。

「まさか。取引先の常務にあえて光栄です。御社との付き合いは健全な取引のみで終わる予定はございませんので」

 この男は初瀬総野が請け負っていた業務のほとんどを知っている人間だった。――人殺しと金貸し、裏金のプールを請け負っている、本業を。

「お前も恐ろしい言葉を口にするようになったな」

「支店長業務は零次れいじさんに叩き込まれましたから」

 ブラックな冗談にも取れない発言に、初瀬は半ば引き気味だった。元支店長に仕込まれたやり口は想像できる。苦笑気味で自分の立場を思い返していたのだろう。

「まぁここじゃ何だ、ちょっと付き合え」

 表に出てビル横の陰に入る。初瀬はコンクリートの壁に寄りかかる。それに倣うように北里は向かい合う距離を保ったまま、アスファルトに鞄を置き、セーフティフェンスに寄りかかった。すかさず初瀬はポケットから四角い小さな箱から白い細長い棒を口に咥えた。気を使って北里にも箱ごと差し出した。

「タバコはちょっと、」

 片手で押しのける素振りを見せると初瀬は「バーカ、よく見ろよ」とパッケージを見せ付けるように差し出す。先入観に捕らわれたままの北里は不思議そうに差し出された箱を受け取った。ビニールのラベルが中途半端に包んである紺色の箱にプリントされていたのは、商品名のココアシガレットという文字。最近はめっきり見なくなった古い駄菓子は、一世代前からあるロングセラー商品の薄荷味のラムネ菓子だった。

「禁煙しろってうるさくてね」

 そんな事を言いなが初瀬はラムネ菓子を食んでいた。北里には誰が禁煙を推進しているのかわかっていた。噛むたびに短くなっていくラムネ菓子を見つめながら北里は七年前の記憶が掠める。お互い分相応に年を取ってはいたが面影が垣間見えたのだろう。初瀬もそんな北里の顔を見て苦笑した。

「いつ頃日本に帰ってきていたんですか」

「ちょうど三年前だよ。連絡しなくて悪かったな。アメリカ行ったりフィリピン行ったり中国行ったりで。それに俺からは連絡できる状態じゃなかったし」

 そう言って自身の心臓あたりを軽く叩いた。

「移植した後も日本に帰ってきて色々ごたごたしてたから、忙しくてね」

「前々件の買収からは情報屋から聞いていましたよ」

 殺しの仕事の事も、東間あずま組から咎められることもなく他へ出向した事も、外国へ飛んだ事も。――ほとぼりが冷めて帰ってきた後に、名前も戸籍も他人のモノを有償で買った事も。

 一方北里も北里で身の回りが変わっていた。ビジネスヤクザの名を欲しいがままにしている、若き支店長はダテに腰を下ろしているわけではない。すべては七年という月日の実績と、蒔いた種が育った結果に過ぎなかった。

「マジで? いやはや、末恐ろしい世の中だ。まーた個人情報が洩れてるなんて」

「まったくです」

 北里は肩をすくめて笑った。もっとも、ここまで目立っている自分も、裏ではどのように個人情報を売買されているのかわかったもんではない。

「ところで、大学卒業してすぐ支店長って目の敵にされないのか?」

 初瀬が疑問で返す。〝情報はナマモノでイキモノ、口に戸は立てられない〟北里の志である男が説いたセリフが、自分も例外はないと理解している。犯罪行為を自分の手で下している以上、いつどうなるかなんてわかったものじゃなかった。

「俺の事、知っているんですね」

「お前が副社長のところに顔出してるからねぇ、話はそこらへんから聞いている」

「元から敵は多かったすよ、バイトの時からみんな俺の事嫌いでしたから」

「嫉妬だよ、いい意味で捉えな」

 もっともかつては初瀬という男も、北里に対して親の七光りや上司のお気に入りだの言った男だった。

「でも、前よりマシです。監督班としての指示出しもバイトの時は遂行班の人たちが一向に従ってくれなかったけど役職ついてからは態度がガラッと変わりました。……それに逆境は馴れてますんで、ご心配なく」

「そんなもんか」

「そんなもんです」

 クリアな仕事は一切していない。闇取引での仲間意識など所詮は利害関係。傭兵と雇い主みたいなものである。理解のある傭兵は金に見合うだけの働きをし、また雇い主もむやみにそれを値切らない。裏社会における健全など、忖度と推し量り。むしろ、仁義があるだけマシかもしれないと錯覚するほどだった。

「ところで元支店長はいまどこの役職? 帰ってきてからは現場で名前聞いた事無いし、かと言って俺は表の取引にゃさっぱりで」

「零次さんはあれから主任に食い込んで、今は表も裏も統括している専務のポストですよ」

「へぇ、出世したもんだな。是非、狙い目が当たった感想を聞きたいもんだな」

霧流きりゅう先輩だって今じゃ御社の副社長じゃないですか」

「あいつは分配された遺産の関係で副社長になっただけだ。取引においても根が甘いから周りの食い物にされなきゃいいけど」

 初瀬は軽く笑っていたが、心配ごとは本心だった。察した北里は苦笑いで言葉を返す。

「まぁ確かに、この間も先行投資の件でお話させて頂きましたけど相変わらずって感じでしたしね。初瀬常務が心配するのも無理ないです」

「総野でいいよ。この苗字、魚みたいで嫌いなんだ」

 不機嫌そうに初瀬は口にする。北里はすこし考え込み「総野さんは、……やっぱり先輩って呼んでいいっすか? 慣れないんですけど」と言いなれない違和感が先んじた。

「はは、ウケる。仮にも取引先の人間なのに」

「それだったら、初瀬常務って呼んだほうが適切なんですけれど」

「はいはい、支店長様の仰せのままに」

 冗談めかした初瀬にかつての面影がよぎる。本当は口にしてはいけない事柄のハズなのに、北里は自然と訊ねてしまった。

「――総野先輩は、嘘を吐いた、罪滅ぼしですか」

「考えすぎさ。俺は置いてもらってるに過ぎない」

 察した初瀬は答えを告げる。

「結局、俺がやってることはなにひとつ変わっていないからね。今も昔も」

 気を許しているわけではない。憎むべきかもわからない人間へ、それでも初瀬は顛末を知っている北里へは言わねばならないと思っていた。

 北里が言葉を選んでいると遠くで初瀬を呼び上げる声が響いていた。

「初瀬さん、初瀬さん、こんなところで油売ってていいんですか!」

 現在の後輩、こと部下の相川あいかわ奈津なつに呼び止められるが初瀬は驚いた様子も無い。いつもの業務のだいたいが大声で呼び止められる。基本的に自らのテキトウさが招いた結果故、初瀬にとっては思い当る節しかないタイプだった。

「どうした相川、そんなに慌てて」

「この間、提出した書類。初瀬さんのせいで社長がカンカンでしたよ。どこの世界に書類の文言ひらがなで書くバカがいるかって」

「あぁ、表の書類だったんだ」

「そういう問題じゃありませんよ! 報告書類のサインまでひらがなで書くなんて、自分の名前じゃないですか」

「初瀬って画数多いし漢字も難しいんだよ」

 ごねる初瀬へ心底めんどくさそうに相川は「知りませんよそんなの」と冷たく返した。

 北里は相川へ愛想笑いを浮かべる。サングラスを取って「株式会社ICDeグループ駅裏支店の北里です」と軽く挨拶した。イマイチ、ピンとこなかった相川は「あぁ、東海金融照会とうかいきんゆうしょうかいの」と初瀬へ確認の意をこめて目配せした。

「取引先の若き支店長様だよ。頭下げな相川君」

 見かねた初瀬がそう言うと、途端焦って「えっ、あっ、これは失礼致しました」と頭を下げた。

「気になさらずに」

 北里は軽く笑い余所行きの表情をつくった。生粋の表側しか知らないタイプに凄む意味も価値も無い。自分の立ち位置と、身の振り方をきちんと理解していた北里は静かに対応した。

「とにかく、お伝えいたしましたので後で必ず監理に訂正に行って下さいね」

「はいはい、わかりましたよ」

 バタバタと必要事項を告げた相川はまた急いで上の階へと戻っていった。

「いいスタッフがついて、うらやましいです」

 そう北里は告げるが、初瀬はひらひらと片手を下げてめんどくさとうに振った。

「うるさい後輩さ、やたらと口が過ぎるし」

「でも先輩の事、慕ってるようでしたよ」

ケロッと顔をあげて「まさか、気のせいだろ」心底嫌そうな表情で否定した。そこまで言われると北里も困った顔で「そうでしょうか?」と言うくらいしかなかった。

不意に初瀬の携帯電話が鳴る。「ちょっと失礼」と断りを入れると「はい、初瀬。あ、霧流?」、と北里にも聞き覚えのある名前が話題に上がっていた。程なくして言い争いじみた「はいはいはいはい、わかった、わかったから。すぐ行く」の一言で通話が切れる。通話の相手が初瀬に対して気を許している仲と知っていも、そのやり取りには不安を覚える程ぞんざいだった。思わず北里も「先輩?」と覗き込むとテキトウに笑って切り上げた。

「副社長からご指名頂いたので名残惜しいがこれにてお別れだ」

 初瀬は簡単に告げてポケットへ手を突っ込んだ。北里も自分の鞄を持ち直し「お気をつけて、」と軽く笑った。初瀬も「お前もな」と返事をする。ひらひらと手を振る初瀬はいつもと変わらない調子。

空は、汗ばむほどの日差しが照りつけていた。

「次ぎ会うときは、前みたいな殺しの依頼かもしれませんが」

 上階へ向かう初瀬を見送る、北里の表情はさっきとは打って変わって暗かった。初夏の生温い湿度に満ちた風の中に、ぽつりと零した声色は冷酷そのものだった。北里は自分がいかに汚い人間であると再確認したようだった。今度は喰い物にする方である事実、それから下手をしたら噛み付かれるかも知れない恐怖。仲間であれば心強いが、それはもうすでに過去の話。現状を確認した今、北里はそっと傾倒する上司、巌川いわかわ零次れいじへ架電した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る