夏の扉をノックする

鍵錠 開

まるで夢のようだった一ページ

「なんでこんな暑い日に大掃除なんてするの?」

「グチグチ言わずにさっさと運べ! 遅せぇぞ!」

「怒鳴るなよ、そんなことで!」


 燦然さんぜんと照らす太陽を睨みつけながら、僕は詰め込みすぎて中身が出てきそうなダンボールを倉庫に運び入れる。ひまわり畑が近いせいか、余計に暑く感じてしまう。

 どうしてこんなクソ暑い日に大掃除をするのか、僕には皆目見当もつかないけれど、それを言ったら父さんは何故かキレる。理不尽にも程があるだろ。

 頭に巻いたタオルを首に巻き直し、僕は顔の汗を拭き取った。


「ん? なんだこりゃ?」


 家の方から父さんの疑問符が見える。多分また使い道のないものでも見つけたのだろう。


「どうかした? 珍しいものでもあったの?」

「……お前のじゃねーか、これ」

「?」


 近づく僕に、乱暴に持っていたものを投げてくる。どうやら小学生時代の夏休み日記だったようだ。使い道はないけれど、どこか懐かしい。僕は受け取り、一ページ目を開いてみる。


「…………懐かしいな」

「お、何か書いてんのか? 一丁前に」

「悪いかよ。いやほら、前に話したろ? 夏休みの思い出」

「そりゃあ覚えてるぜ? 何せお前が泣きながら話したことだからよォ」

「酷いな。あんた本当に僕の親か?」


 クソ親父は置いて二ページ、三ページと続きをめくる。我ながら下手な絵だったけれど、どんなことを思いながら描いていたのか、今でもハッキリ覚えている。


「確かこの五ページ目だったよな? お前の初恋相手」

「初恋じゃないから! てかそんなに見るなよ、恥ずかしい」

「減るもんじゃねーだろ? 名前はなんて言ったか。……ありゃ?」


 思い出せないのか、首を傾げる父さんの間抜けな顔が見れたのでよしとしよう。


「……ワタリ

「ああそうそう! いきなりでびっくりしたけど、あの子はいい嫁になるぞ〜?」

「ジジくさいこと言うなよ」


 僕の助け舟に心底嬉しそうにガハハと豪快な笑いを飛ばす。本当に子供がそのまま成長したような性格をした父さんを羨ましく思う。

 まあ、でも。会いたくないって言ったら嘘になるよな。



 気付くと僕は、またページをめくっていた。

 それは確か小学五年生頃の日記。

 七月二十七日。僕の人生を大いに狂わせた一日だった。やかましい蝉の声が、夏の猛暑を更にヒートアップさせていたことを覚えてる。


 今でこそ消えてしまったけれど、七月の二十七日まではしっかり存在していた僕の〝チカラ〟。僕はそれが大っ嫌いで、今まで人とコミュニケーションを取らなかった理由がそれである。


 母さんにおつかいを頼まれた僕は近所のスーパーまで向かい、何事もなく買い物を済ませた。そして、家の玄関の扉を開ける。


「ただい……」

「あれ? いつもと雰囲気が違うような……」


 「「……へ?」」


 会ったこともない同年代ぐらいの女の子が、焦った様子で僕の家から出てきた。

 目が合った。声が重なった。手が触れ合った。


 瞬間ーー僕の身体からだは文字通り、別の世界に飛ばされていた。しかも、空の上に。


「ーーーーはぁぁぁぁぁあああああああ!? やばいマジやばい!」

(にゃはは! 失敗しちゃったかな?)

「失敗で済むかよ! 死ぬってこれ! 確実に!」


 地面との距離が急速に近づいていく。

 死を予感していたからかもしれない。僕は咄嗟に〝チカラ〟を使ったことなんて気付かずにいた。


「なんでわかったの!?」

「……な」

「私喋ってないのに!」

「あぁ……」

「すごい!」

「……は?」


 バレてないのか? この子、意外にも頭弱い?


「私とおんなじだ!」


 バレてた。ドヤ顔で『バレていない』なんて言った自分を殴ってやりたい。

 いや待て。それよりも『おんなじ』って。

 やっぱりこの子がやったんだ。上空突然転移の犯人が目の前にいる。笑顔で、僕の戸惑った顔を。


「そ、それより! はやく助けてぇぇぇ!」


 目の前には雲があった。

 紐なしバンジージャンプ?

 パラシュートなしのスカイダイビング?

 それらはもう死だった。


 白い雲をくぐった。初めての体験だが、別にどうということはない。なんというか、無。


「はい、着いたよ!」


 その一言で僕は意識を戻す。

 少女は地面に立っていた。つまり、僕も両の足で突っ立っているわけであり、先までの出来事が嘘のように彼女は笑っている。


 着地したのは、僕の家の、玄関前。


「あれ!? え……生きてる?」

「うんうん。生きてるよ?」

「スカイダイビングは?」

「さっき終わっちゃったね〜」


 至極楽しそうににゃはは! と口を開けて笑う。


「あ! ところで君、名前は!?」


 グイッと急に顔が近づく。近い。いい匂いがする。不純な感想が芽生えるが、それらを振り切って僕は答えた。


「シン……羽々那はばな信介しんすけ

「シンくんね! 私、おおとりわたり! すごいね、私の思ったことが読まれちゃったみたいだった!」

「読まれたみたい……あ」


 忘れようとしていたことを思い出してしまった。

 そうだ。僕はあの時、使ったんだ。

 この子の心をーー勝手に読んだんだ。


「すごいね!」


 曇りもない、純粋な、嘘偽りのない『本音』。

 〝チカラ〟を使わなくてもわかる。

 ワタリはそう言ってくれた。「すごい」なんて初めて言われた。

 親からは心配され、同級生からは羨ましがられ……軽蔑された。そりゃあそうだ。この〝チカラ〟を自由にコントロールできれば、。プライバシーなんてあったもんじゃない。


 僕はこの能力がーー大っ嫌いなんだ。


「ーーすごくなんかないっ」


 気づいたら僕は。

 親にも話したことがない『本音』を。

 目の前の、初対面の少女にぶつけていた。


「こんなの、すごくもなんともない! ただの犯罪だ……僕は犯罪者なんだよ! わかるか? お前に! チカラを制御コントロールできないんだ。感情がたかぶったり少しでも気を抜いちゃうと聞こえて……。!」


 ほぼ絶叫に近い声で。

 顔はぐちゃぐちゃだったと思う。あまり思い出したくはない顔で、胸を抑え、感情を吐き捨てた。

 ワタリは、静かに目を閉じ、僕の声を聞いている。何も言わず、何もせず。しかし、僕が丁度落ち着いたところを見計らって、言葉を繋いだ。


「それでも、すごいよ」


 胸が熱くなる。顔が、頭が、全身が。

 なんで……? なんで、僕がを、こうも簡単に言うんだ?


「まだ心配だったら、連れてってあげる! 私のとっておきの場所!」

「ちょ!」


 強引に手を引っ張られ、ワタリは扉を開いた。

 僕の両親を前にして「この人、ちょっと借ります!」なんてバカげたことを言うと、再び玄関へ直行。


 扉を開きーーくぐった。

 くぐった先の世界はーー今まで見たこともない幻想的な、例えるならばウユニ塩湖のように、地面が世界を反射させていた。ここに居るのは後ろの扉と、僕ら二人だけ。


「ーーーー」


 言葉がでない。なんと表現しようか迷う。

 ただ、ずっと見ていたい。


「不安なのはすごくわかる」


 ワタリが寂しげに呟く。それは、さっきまで笑顔だった彼女の見せる弱い部分なようで、直視することを躊躇ってしまった。


「私は……何かにくぐっちゃえば、任意でいろんな場所にワープできるの。すごいでしょ? でも、お母さんからすごく嫌な顔をされたことがあってね?」

「…………」


 ……わかるよ。


「今はまだいいの。いっぱい練習して、コントロールできるようになったから。でも昔は全然だめ。気付いたら違うところで一人ぼっち。『こんな奇妙な子供は、私のじゃない』って言われて、お父さんとお母さんが大喧嘩しちゃったんだ……」


 すごく、わかる。


「離婚まではいかなかったけど、二人が喧嘩するところなんて見たくないからさ、逃げてきたの。家出少女って言うのかな〜? そしたらーー」

「ーー僕に出会った」

「ふふん、正解!」


 指をパチンと鳴らして、彼女は笑顔を見せた。

 僕は、不覚にも安心して笑ってしまった。


「良かった、笑ってくれて」

「へ? あ、いや、別にこれは……」

「にゃはは! わかってるよ。わかってる。なんていうか、シンくんの本音? 聞いたら勇気でてきた! 私は一人ぼっちじゃないんだって!」

「……うん。僕も、他人事じゃないって気付いた。安心したよ、ワタリに会えて」

「ぅ……ん〜、へへっ」


 照れるようにはにかんだ。


「帰ろっか。突然だったからね。さすがに君のお父さんとお母さんが心配していると思うよ?」

「半分以上お前が悪いけどな? でもまあ、楽しかったよ。ありがとう」

「うん! どういたしまして!」


 そう言って、扉をくぐり、元の世界へと戻った。

 でも、最後の最後になってワタリは、僕の耳元でこう言った。


 ーーまた会おうね。


 立ち尽くす僕だけが、玄関にいた。扉を開くと、毎日見る景色。

 きっと彼女は、自分の家に帰ったんだと思う。

 さようなら、とも。バイバイ、とも言わず。



「ーーまた会いましょうってか? くぅ! 妬かせてくれるな!」

「うぅ。うっせ! 仕事に戻れよ、母さんに怒鳴られるぞ!」


 気付いたら僕は日記を父と一緒に読んでいたらしい。恥ずかしくなり、手でしっしっとダメ親父を作業に戻す。

 あまり覚えていなかったのか、要所要所しか書かれていない絵日記を、僕は宝物のようにして撫でる。


 すると、父さんがまた変なものでも見つけたのか。

 プチ騒ぎを始めた。


「父さん! そろそろ近所迷惑だよ!」

「信介……。あ、あのあああ、あの子」

「なんだよ、壊れたラジオみたいになってる、ぞ……」


 小学生の頃出会ったことのある、同年代の女の子がそこにいた。

 今度は焦った様子もなく、柔らかい笑顔で僕を見つめる。


「また会おうね、だったな」


 照れ隠しに絵日記を閉じる。脇に抱えて、僕も成長した自然な笑顔で彼女の元へと向かう。

 手を振る君に共鳴するように。背にしたひまわりが風で揺れる。


 話したいことが山ほどあるんだ。


 これは蝉の煩い夏の頃。

 確かに体験した、小学五年生の夏休み。

 まるで夢のようだった体験が。忘れることのない体験が。ある夏の一ページが。僕らの絵日記に刻まれる。


 燦然と照らす太陽が、僕らを優しく包み込む。


「ーーおかえり」

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