第207話 何をやっているんだ
「それで、結局お前は了承したのか?」
夕食後、灰魔館の談話室のソファーに寝転ぶ暁に対して、メルは馬乗りになりながら詰め寄る。
険しい表情で自分を睨むメルに対し、暁は携帯の画面を見たまま「ああ……」と生返事を返すだけだった。
メルは暁の手から携帯を奪うと、その辺の床に放り投げた。
「ちょっと! 今大事なガチャイベントの最中なんだけど?」
「本気で言ってんならぶっ殺すぞ」
牙を剥き出し、唸るメルを見て暁は溜息をつく。
「実力的には何も問題はないんだ。他に彼を採用しない理由があるかい?」
「アイツは信用ならない」
「根拠は?」
「俺の勘だ」
「ふむ……」
暁は体を起こし、腹の上にいるメルの細腰を掴むと、抱え上げ横にどかす。
ドラゴンとは思えないほど軽いメルをソファーに座らせると、自分はその横に座り直し、深く背もたれに背中を預けた。
「彼の身元はムクロに調べてもらってしっかり裏が取れてる。僕だってきちんと目を通した。怪しいところはどこもないよ」
「俺が言いたいのはそんなことじゃねぇ。何て言うか……
「メルちゃん……」
「んだよ?」
「自分が来る前に事件を解決されたから怒ってるの?」
「ぶっ殺すぞテメェ!」
メルは眉間の皺を深くすると、右手で拳を作り暁に向かって振り上げる。
暁は慌てて近くのクッションを盾にし、構えた。
「じゃあ、何でそんなに頑なに彼を拒むんだい? 今日実際に彼の実力を見たけど、『
「むしろこっちが聞きてぇよ。何でお前はそんな簡単にアイツを受け入れられてるんだ?」
「……排他的な考え方は、『王』としてどうかと思うよ、我が弟子」
「誤魔化すな。お前だってアイツに対する違和感を感じ取ってるはずだ」
メルの言葉に暁は少し考えながら、困ったように鼻頭を掻く。
明らかに様子が変わった暁を見て、メルは訝し気に眉を
思案していた暁だったが、何か諦めたように溜息をつくと、手にしていたクッションを膝元に置いた。
「そういう契約なんだ。彼と僕の間での」
「契約?」
暁は、メルに緋彩との契約のことを話した。
自分の過去と『黒い目』との出来事、緋彩との関係、そして交換条件のこと。
始めは大人しく暁の話に耳を傾けていたメルだったが、話を聞いていくうちに、どんどんと表情を曇らせていった。
暁が全てを話し終えた頃には、ワナワナと体を震わせていた。
「一つ……確認させてくれ……」
絞り出したかのような震えた声で、メルが尋ねる。
暁は静かに頷いた。
「……いいよ」
「その……契約のこと……姫乃は知ってるのか?」
「……知ってるよ。僕が話したからね」
暁の返事を聞いた瞬間、メルは暁の両肩を掴むと、背中を大きく仰け反らせながら首を後方に振り上げる。
そして、自分の額を暁の額に目一杯打ちつけた。
「っっっ痛ってええええええぇぇぇぇぇぇ!!!」
「っの馬鹿野郎! んなこと話したら、
「いや……ちょっと待って……今マジでやばい……血が出てきたかも……」
「知るかボケっ! 出血多量でくたばれ!!……ったく……」
「?」
「お前がそんなんでどうすんだよ……何やってんだよ……!」
メルは苛つきながら、足音を大きくして談話室を後にする。
一人残された暁は、フラフラと上体を起こすと、何とかソファーの
額を擦りながら、暁はメルの去り際の言葉を思い出し、頭の中で
「本当にね……何やっているんだ、僕」
一人ポツリと呟いた暁の言葉に、答えを返す者は誰もいない。
ただ、額のヒリヒリとした痛みが自分を責めているような気がした。
※
大きな窓から望む第七区の街並みを見て、姫乃は静かに溜息をついた。
徐々に茜色から濃紺に変わっていくその風景に、姫乃は得も言えぬ寂しさを感じていた。
姫乃がいるのは、とあるビルの最上階にある一室である。
『紅神』の名は、表向きは複数企業の親会社を務める日本有数の大企業として有名で、姫乃がいるビルも数ある子会社のうちの一つであった。
ワンフロアを丸々住居にしたこの場所が、灰魔館を出て行った姫乃の今の住まいである。
白を基調とした清潔感溢れる壁、体を預ければどこまでも沈んでいきそうな柔らかいベッド、世界で有名なデザイナーの手がけたお洒落なソファー、一日の疲れを根こそぎ落としてくれる最新式のジェットバス。
この部屋は、豊かな安らぎを提供してくれるもので溢れ返っている。
しかし、そんな空間に身を置いても、姫乃の気持ちが安らぐことはなかった。
古臭く、どこもかしこもガタがきていて、お世辞にも綺麗とは言い難い灰魔館の方が、姫乃にとっては安らげる場所なのだ。
灰魔館を離れてから数日、姫乃はそのことを改めて痛感していた。
「……何をやっているんだ、私は」
姫乃は窓に額をつけ、項垂れながら昼間のことを思い出す。
澪夢を相手に、なぜあそこまで感情的になってしまったのか。
答えは、自分自身分かり切っている。
嫉妬だ。
可能性がある澪夢に対する、醜い嫉妬心。
それが、昼間の涙の理由だ。
分かり切っているからこそ、姫乃は嫉妬する自分が許せなった。
自ら選んだことに、後悔している自分が腹立たしかった。
寂しさに押し潰されそうになっている自分を軽蔑せずにはいられなかった。
嫉妬することも、後悔することも、寂しがることも。
そのどれもが、自分に許されることではない。
そんな資格は、自分にはない。
姫乃はそう考えていた。
ひんやりとした窓の冷たさで頭を冷やしていた姫乃の耳に、背後から静かなノックの音が聞こえる。
姫乃は顔を上げると、訝し気に音がする扉の方を見た。
この住まいには、姫乃以外に雇いのハウスキーパーがいるが、今日は既に帰ったはずだ。
つまり、自分以外誰もいないはずである。
姫乃は身構えながら、ゆっくりと扉に近づく。
そして、ドアノブに手で触れようとした瞬間、ドアノブが一人でに回り、静かに扉が開けられた。
「……貴方は………」
「こんばんは。一応チャイムは鳴らしたんだけど、誰も出て来ないからさ。いないのかと思ったけど、鍵が開いていたもんでね。勝手に入らせてもらったよ」
驚いた姫乃は、ゆっくりと後ずさりをする。
それに構うことなく、緋彩はいつも通りの人の良さそうな笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「ほぉー……流石は『紅神コンツェルン』のご息女の部屋……こりゃあ豪華だ」
「何の用ですか? 女性の部屋にいきなり押し入ってくるぐらいですから、余程の用事があるんですよね?」
ズカズカと入り込んできた緋彩に、姫乃は皮肉を込めて問いかける。
姫乃のトゲのある物言いに、緋彩は苦笑しつつも、自分の非を詫びた。
「それは失敬。でも、姫乃さんの言う通り大事な用があるから、俺はここに来たんだ」
「大事な用?」
首を傾げる姫乃に、緋彩は頷きながら近づいてくる。
そして、優しく姫乃の手を取ると、耳元に口を近づけ囁いた。
「今晩、俺とデートしてくれませんか?」
「はぁ?」
緋彩の思いがけない誘いに、姫乃は思わず素っ頓狂な声を出す。
緋彩は、姫乃の手を取ったまま変わらず笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます