第205話 三人娘

「ほら、急げ急げ!」


 一人先に階段を降り終えた神無が、その場足踏みをしながら階上の二人に声をかける。

 呼ばれたふらんとメルの二人は、それに応えるように一段飛ばしで階段を降りて来た。


「もーうっ! 早くしないと遅れちゃうよ!!」


「分かってるって! 場所は駅前から少し行った大通りだって言ってたよな?」


「うん。確かにメールにはそう書いてあった」


「なら、俺が二人を抱えて飛べば学校ここから五分とかからないな」


 そんな会話を交わしながら、三人は昇降口を目指して足を速める。

 暁から『仕事』の連絡があったのは、つい数分前のことだった。

 幸い、三人は帰るでもなく自販機の立ち並ぶオープンスペースで談話している最中だったため特に慌てるということもなかった。

 しかし、ふと動き出そうとした時、いつもとは違う、何かが欠けたような感覚に一瞬足が止まりそうになった。

 三人が帰らずに学校で談話していたのも、その違和感が関係していた。


「ねぇ、本当に姫ちゃんに声をかけなくてよかったのかな…………」


 階段を降りたふらんが、不安げにポツリと呟く。

 事実、ふらんは不安だった。

 今まで何をするにも自分の傍には姫乃がいた。

 傍にいて、見守っていてくれたし、助けてもくれた。

 それこそ、実の姉のようにふらんを支えてくれていた。

 しかし、今はその姫乃はいない。

 自分を支えてくれていた姫乃は、もうここにはいないのだ。

 その事実を突きつけるようなふらんの呟きに、先を行っていた神無も足を止める。

 幼なじみである神無も、ふらんと同様だった。

 今まで背を預けていたモノが、突然なくなる。

 その不安感と寂寥せきりょう感が、二人の足を重くした。


「…………いいんだよ。アイツはもう関係ないんだから」


 ただ一人、まだ付き合いの浅いメルはぶっきらぼうに言う。

 メルとて、付き合いが浅いにしても不安や寂しさを感じていないわけでは決してない。

 だが、その付き合いの浅さ故に、この現状を客観的に見ていた。

 今のこの状態は、他ならぬ姫乃が考え、選択し、たどり着いた結論なのだ。

 だから、その結論をどうこうできるのは、姫乃ただ一人をおいて他にはいない。

 要するに、自分たちが右往左往しても仕方がない。

 現状を変えたいのであれば、姫乃自身が変わるしかないのだ。

 それも、現状で満足していると語る姫乃であるのだから望みは薄そうだが。

 ふと、メルが意識を前方に向けると、惚けたように遠くを見つめ、神無が固まっていた。

 急に固まった神無を見て、メルは首を傾げながら神無の視線の先を見る。

「あっ…………」と小さく呟いたメルに釣られて、下を向いていたふらんも二人の視線の先をを追った。

 普段はクリーム色の廊下の壁が、射し込む夕陽でオレンジ色に変わろうとしている中、見慣れた群青色が小さく奥の方で揺れていた。

 小さく見えるその後ろ姿が、姫乃であることに三人はすぐ気づいた。


「姫ちんっ!」


「おいばっ…………!」


 メルの制止も間に合わず、ほぼ条件反射のように神無が姫乃の名を呼ぶ。

 こちらも条件反射だったのだろう。

 長く艶やかな髪を翻し、姫乃が三人の方に振り向いた。

 振り向いた姫乃の顔を見た瞬間、三人は言葉を失い固まる。

 赤くなった目元に、頬に引かれた雫の痕。

 明らかに泣き腫らした顔をしている。

 言葉を失い固まった三人の反応を見て、姫乃は「しまった」というような表情をする。

 そして、隠すように慌てて顔を背けると、逃げるように廊下を駆けて行った。


「姫ちゃんっ!!」


「姫ちん!!」


 ふらんと神無の二人が、走り去る姫乃を追いかけようとする。

 しかし、駆け出そうとした二人の首根っこを掴み、メルが寸でのところでそれを阻止した。


「メルちんっ!」


「お願い離して! 姫ちゃんを追いかけないと…………」


「追いかけて、そしてどうするつもりだよ」


「そりゃあ…………」


「問い詰めるのか? そんなことしてアイツが話すと思ってんのか?」


「思わないけどっ!」


 ふらんが声を荒げ、メルの腕を払う。

 人造人間の力で思いっきり払われた腕は、渇いた音と共に弾かれる。

 メルでなければ、肩が外れていたかもしれない。

 ふらんは、思わず感情的になってしまったことに、ふらんは一瞬ハッとした顔をするが、すぐにメルを睨みつけた。


「思わないけど…………放っておくこともできないよ…………」


「行って何ができるよ?今、俺たちが姫乃にしてやれることなんてない。逆に姫乃を辛くさせるだけだ」


「そんなのっ…………わかんないじゃ…………」


「わかるよ。少なくともお前たちよりは」


「っ…………!?」


 ふらんは悔しげに、唇を噛む。

 メルの真剣な目に、ふらんは言い返すことができなかった。

 その目が、「とにかく何とかしなくては」と浮き足立つ自分よりも説得力があるように感じたからだ。

 一応、落ち着きはしたふらんを見て、メルはため息をつく。


「勘違いするなよ。俺たちにできることがないってだけさ。いずれ、姫乃が必要としてくるよ。必ずな。だから、今は待とう。その時が来るのを」


「…………うん」


「ふらんちん…………」


「さ、俺たちは今できることをやらなきゃな。急ぐぞ」


 そう言うと、メルは二人の背を押した。

 二人の背を押しながら、メルは姫乃が立ち去った方を見る。

 先ほど、メルは姫乃が『絶対に』自分たちを必要とする時が来ると言ったが、正直確信はなかった。

 その姫乃が自分たちを必要とするのも、結局のところ姫乃次第だったからだ。

 しかし、それでもメルは『絶対に』その時が来ると思わずにいられなかった。

 現状をどうにかしたいと思っているのは、メルも同じだからだ。


(泣いてるんじゃねぇよ…………早く気づけ馬鹿)


 心の中で独り言ちたメルは、急いで校舎の外に飛び出す。

 今、自分のすべきことは、他にあるのだ。

 迷い、立ち止まっている暇などない。

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