第204話 緋彩の力

 けたたましいパトカーや消防車のサイレンの音が、人で賑わう繁華街にいくつも鳴り響く。

 周囲は繁華街に似つかわしくない橙色の炎が至る所を駆け巡り、跳ね火を上げていた。

 人々は炎の魔の手から逃れんと、我先にと逃げ惑う。

 煌々と燃え上がる炎とサイレンに合わせて周囲の人々が喧々囂々けんけんごうごうとなる様は、一見すると炎を囲い踊り歌う祭りのようにも見えた。

 その祭りの中心にいるのは、皆が崇め奉る偶像などではなく、周囲を走る炎と同様揺ら揺らと燃え揺らぐ一つの巨大な炎だった。

 ただ、その炎は周囲の炎とは違い、頭部があり、二本四対の手足があり、意思を持つかのように動き回っている。

 要するに、人の形を成した炎が辺りを燃やしながら繁華街を闊歩しているのだ。

 組み立て式の防火壁の隙間から歩き回る炎を遠目に見た暁は、顎をさすると横目で隣にいる新妻に視線を送る。

 その視線に新妻も気づいてはいたが、あえて無視をした。

 今の彼はすこぶる機嫌が悪い。

 不機嫌の原因である焦げたスーツの煤を手で払いながら、苦々し気に新妻は舌打ちをした。


「まだ日も長いってのに、よくもまあ頼んでもないのに明るくしてくれたもんだぜ。おかげで折角のスーツが台無しだ」


「丁度いいんじゃない? 前から言おうと思ってたけど、そのスーツ似合ってなかったし」


「お前俺のかみさんが選んでくれたんだぞこの野郎」


「しかし、発火人パイロニアンか……こんな町中で暴れられたら堪ったもんじゃないデモニアの筆頭じゃないか。身元は?」


「冴島 慶介。すぐそこの保険会社に勤める営業マンだ。前科はない」


「何か様子がおかしいね」


「ああ。どうやら意識はないようだ。ただ、ああやって歩き回りながら辺りを無差別に焼き払ってる」


 新妻が指を指すと、丁度冴島は街路樹に腕を伸ばし、掌から炎を火炎放射器のように勢いよく浴びせかけていた。

 炎を浴びた街路樹はたちまち燃え盛り、あっという間に黒々とした一本の巨大な木炭に変わってしまっていた。


「目撃者の話では急に白目を剥いて失神したかと思うと、すぐに立ち上がって体が燃え上がったらしい。それからはずっとあんな調子だ」


「被害は? 新妻さんのスーツ以外で」


「ぶっとばすぞお前……避難が早かったおかげで幸い死者は出ていない。しかし、火傷や二次被害での負傷者は十五人……パトカーを含む車両が五台爆発炎上、器物損壊は数え切れないほど……ってところか」


「なら、早く取り押さえて被害を最小限に抑えなきゃな」


 二人の間に割って入った緋彩ひいろはゆっくり立ち上がると、準備運動をするかのように首を鳴らす。

 初対面の新妻は、暁と共に現れた見ず知らずの男を訝しげに見つめた。


「……誰?」


「んー…まぁ、ちょっとね」


「それじゃあ、陛下。約束通り手を出さないでくださいね。じゃないと、意味がありませんから」


「わかってます。でも……」


「『場合によっては…』ですか? 大丈夫。それは、絶対あり得ませんから」


 そう言うと、緋彩は防火壁を軽々跳び越え、ゆっくりと燃え盛る大通りを歩いていく。

 その悠々と落ち着いた歩きぶりは、周囲の剣呑な雰囲気にまるで似つかわしくなく、まるで午後の穏やかな散歩を楽しんでいるように見えた。

 緋彩の異様なまでの落ち着きぶりに、訝しんでいた新妻もすぐに表情を変える。


「何者だあいつ? ただ歩いているだけなのに、隙が全くない。まるで剥き身の刀が歩いているみたいだ。平然とあんな雰囲気を纏えるのは並大抵のもんじゃないぞ」


「そうだね……僕も、それを今から見極めるつもりだ」


(あの亜咬さんが認めるほどの男……果たして如何なるものか……)


 暁が固唾を飲む中、緋彩は耳にぶら下がった薔薇と十字架を象ったピアスに指先で触れる。

 すると、薔薇の花弁の奥から細く鋭利な鉄針が飛び出し、その指先に小さな傷をつける。

 指先から溢れた血を見て、緋彩は笑みを浮かべると、スーツのポケットからを取り出した。

 遠くから見ていた新妻は、緋彩が何を取り出したのかわからなかったが、事前に話を聞いていた暁は、それが何なのかを知っていた。

 ポケットから取り出したそれを、緋彩は掌に広げる。

 そして、掌に広げたそれに指先から流れる血を振りかけた。

 緋彩の不可解な行動に、新妻は首を傾げるしかなかった。


「一体ヤツは何をしてんだ?」


「すぐにわかりますよ……ほら」


 暁に促され、新妻が視線を前方に向けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 燃え盛る炎の中、緋彩の体を包み込むかのように紅色の紐が伸びている。

 目を凝らした新妻は、それが紐でないことにすぐ気づく。

 つるだ。

 植物の蔓が、緋彩の掌から次々伸びてきているのだ。

 植物の生育の早回し映像を見ているかのような光景に、新妻は思わず目を何度もこすっていた。


「何だありゃ……? 何でアイツの手から蔓が生えてきてんだ?」


「彼がさっきポケットから取り出したもの……それは何てことはない、ただのサルナシの種なんです」


「さるなし……? ってことは、アレは植物なのか?」


「ええ。彼は、自らの血を養分に植物を操る吸血鬼ヴァンパイアなんです。僕も初めて見ました」


(確かに、吸血鬼の能力としては珍しい……しかし、実力はどうだ?)


 暁は防火壁から身を乗り出さん勢いで緋彩の方に見入る。

 その視線に応えたかは定かではないが、緋彩は得意げに笑みを浮かべると、掌から伸びる蔓を勢いよく周囲に張り巡らせ始めた。

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