第200話 新学期

 姫乃が灰魔館を去ってから数日。

 新学期が始まり、暁たちは久しぶりに学校に登校していた。

 紅神の実家に戻った姫乃もまた学校に登校しているのだが、暁は姫乃に会おうとはしなかった。

 姫乃もまた同様である。

 今朝の校門前で生徒会の立哨りっしょう活動をしている時、二人は一度顔を合わせているのだが、二人は一言も言葉を交わさず仕舞いだった。

 無言で通り過ぎていく暁と、それを見送ることすらしない姫乃。

 その光景を見て、周囲の生徒たちは首を傾げ、事情を知る灰魔館の面々は寂しげな表情をするのだった。



 ※



「逢真先輩と何かあったんですか?」


 放課後の生徒会室で今度ある会議の資料を作成している時、同じ生徒会の志歩は姫乃に今朝の疑問を投げかけた。

 志歩の問いかけに、ホッチキスで資料を綴じていた姫乃の手が一瞬止まる。

 しかし、すぐに何事もなかったかのように再びパチッパチッと規則的な音を出し始めた。


「藪から棒にどうした?」


「だって今朝の二人の様子見てもおかしいですよ。二人のあんなに素っ気ないやり取り初めて見ました」


「なんだそれ」


 姫乃は作業を続けながら苦笑いを浮かべる。

 その笑みにすら、志歩は違和感を感じていた。


「ケンカでもしたんですか?」


「ケンカならしょっちゅうしてるだろ」


「いや、いつものはケンカというか…………逢真先輩が一方的にやられてるっていうか…………どこかじゃれあっているようにも見えるです。なんて言うか…………ケンカするほど仲がいいというか…………でも今日の二人は全然そんな風に見えなかったんです。だから何かあったのかなって…………」


「本当によく見てるな。いや、あそこまであからさまだと気づかないわけないか」


 姫乃は「ふぅ……」と一息つくと、作業用にかけていた眼鏡を外す。

 そして、体を休めるかのようにパイプ椅子に深く背もたれた。


「『何かあったか?』と聞かれれば、『yes』と答えるが…………別にケンカをしてるわけじゃない。ちょっとした意見の相違があっただけだ」


「はぁ…………それでも珍しいですね。お二人の意見が合わないなんて」


「かもしれないな。私も、そう思う」


 この言葉は、姫乃の本心だった。

 正確に言えば、二人の意見が合ったことなどほとんどない。

 いつも姫乃が暁の意見に追従し、妥協することばかりだった。

 しかし、今回は違う。

 姫乃は、暁に追従する気も、妥協する気もない。

 あれから灰魔館を出ていってからも、暁から何の連絡もないところを見ると、一応自分の意見が通ったということなのだろう。

 暁が納得しているかは別だが。

 互いの意見が交わらないまま、平行線を辿る。

 こんな経験は、暁との長い付き合いの中でも初めてのことだ。

 だからこそ、今朝暁の顔を見た時何も言えなかった。

 何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか、姫乃にはわからなかったからだ。

 そして、それは暁も同じだったのだろう。

 表情は見えなかったが(見ようとしなかったが)、何となくそんな気がした。


「でも、どんなことで揉めてるんですか?」


「それは…………」


 姫乃は言葉を濁す。

 自分が『魔王の配下ヴァーサル』を辞めたこと、新しい『魔王の配下』に緋彩が就くこと、そして、自分の婚約のこと。

 一度に話すには事があまりにも多く、大き過ぎるし、性急過ぎる。

 今日も、放課後に暁と緋彩は今後のことを話し合うとは伝え聞いている。

 事がハッキリとするまで、何も言わない方がいいだろう。

 そう考えた姫乃は、あえて内容は伏せた。


「悪いが……魔王の公務に関わることだから、今はハッキリ言えない。すまないな」


「あっ…………いえ、すいません。こちらこそ出過ぎた真似をして…………」


「いや、いいんだ。心配してくれてるのだろう? その気持ちだけで、嬉しいよ」


「…………やっぱり大変なんですね。『魔王の配下』の仕事って」


 しみじみと頷く志歩を見て、姫乃の胸の奥がズキリと痛む。

 最後の最後に、主のために自らを殺し、役立つことができた。

 『魔王の配下』として、最も誇り高く、誉れ高いことであろう。

 最早、『魔王の配下』に何の未練はないはずである。

 暁のことにしても、今回のことでいい区切りがついた。

 自分の選択に、何の後悔もない。

 ないはずなのに、胸の奥の痛みは治まらない。

 日ごとに増していく痛みに、姫乃が胸を押さえていると、突然生徒会室のドアをノックする音が部屋の中に響く。

 その音に、志歩が慌てながらドアに駆け寄った。

 姫乃の方も、気が気でなかった。

 暁は、いつも放課後の今頃、ひょっこり顔を出していた。

「まさか…………」と考えると、どのような顔をしていればいいのか、心の準備のできていない姫乃は焦った。

 しかし、不思議と胸の痛みは消えている。

 そのことに気づけないほど、姫乃は内心動揺していた。


「はぁい……っと…………貴方は…………」


 ドアを開けた志歩は、外にいた者の顔を見て首を傾げる。

 志歩の背中越しに、姫乃もその人物の顔を見て、目を丸くした。


「凛々沢くん…………」


 険しい表情で立つ澪夢れむに、姫乃は言葉を失う。

 澪夢もまた、口をつぐんだまま、何も言わず姫乃を見つめて…………否、睨んでいた。

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