第199話 対立

「僕は認めないぞ」


 執務室の椅子に座り、険しい表情をした暁はキッパリと言い切った。

 その対面に立つ姫乃は、目を伏せたまま何も言わない。

 ただ黙って、暁の言葉を受け止めていた。

 そんな二人の様子を端で見ていた他の灰魔館の面々は、不安げな表情をする。

 ここまでハッキリと意見の対立した二人の姿を、今まで見たことがなかったからだ。

 そもそも、いつもなんやかんやで姫乃の方が暁の意見に従うため、このような対立が起こること自体初めてのことである。

 それは、幼い頃からの付き合いである神無やふらんにしても同様であった。


「君は勘違いをしてないか? 『魔王の配下』は個人の意思でおいそれと辞めることはできない。それだけの責任や覚悟が伴う役割だ。しかも、主である『魔王』の預かり知らぬところで交わされた口約で決められたとなれば、尚更だ」


「もし父とのことを話していれば、お前は私を止めただろう?」


「当然だ」


「だから、言わなかった」


「何だって?」


「今、この形は、私がある意味望んだことだという意味だ」


 姫乃は伏せていた目を開き、真っ直ぐ暁を見る。

 暁は、思わず言葉を失う。

 自分を見つめる姫乃の目が、今まで見たことがない様子だったからだ。

 溢れそうな涙をこらえ、潤んでいるようにも、強く固い意思を持った光で満ちているようにも見える。

 このような目をしている者を、暁は他に知らなかった。


「前々から思っていた。お前が突拍子もない行動をする度、その真意を理解できない自分がいる。お前が無茶をする度、それを諫めることができない自分がいる。何か事件が起こるごとに、一人で何でも考え、解決してしまうお前をただ見ているだけの自分がいる。果たして私は、『灰色の魔王』に必要なのか、必要たり得る存在なのか…………とね」


「…………ワンマンが過ぎるのなら謝る」


「違う。暁を責めたわけじゃない。私自身に『魔王の配下ヴァーサル』になるだけの力があるのか疑問に思っていたという話だ」


「少なくとも、僕は『ある』と判断した。だから、君を『魔王の配下』に選んだんだからな」


「…………じゃあ、一つ聞く」


「ん?」


「その判断に…………全くの私的な情がないと、暁は言い切れるか?」


「………………」


「正直に答えてくれ」


 姫乃の問いかけに、暁はしばらく押し黙る。

 その場にいる全員が固唾を飲み二人を見守る中、暫しの熟慮の末、暁は静かに口を開いた。


「僕の判断に、幼なじみである君に対しての情は全くない…………とは言い切れない」


「………………」


「だけど、それは些細なことだ。それが僕の判断を狂わせたということは、誓ってない」


 暁はハッキリと断言し、真っ直ぐと姫乃を見つめる。

 その視線に対し、姫乃も暁を真っ直ぐ見つめる。

 揺らぐことのない視線同士が真正面からぶつかり合い、再び沈黙を作り出す。

 その沈黙を破ったのも、視線を逸らしたのも、暁の方からだった。


「僕が…………萌葱もえぎさんとのことを話したからか?」


「ん…………?」


「僕に『黒い目』の情報を手に入れさせるために、負けるとわかってる決闘を受けたのか?」


「………………」


「僕は君の質問に答えた。次は僕の質問に君が答える番だ」


 暁は椅子から立ち上がり、机越しに姫乃の前に立つ。

 頭一つ分違う二人の身長差から、姫乃が暁の顔を見上げる形になった。


「…………暁は『黒い目』の情報が手に入る、私は一人の吸血鬼ヴァンパイアとして、種族の未来に貢献できる。良いことづくめじゃないか」


「それを本気で言っているのなら、僕は怒るよ」


 ずっと険しかった暁の表情が、より一層深くなる。

 若干の怒気すら孕んだその表情を前にしても、姫乃は臆する素振りすら見せない。

 むしろ、一歩も引かないという意思をさらに強固にさせたような様子だった。


「僕がいつ君にそんなことを頼んだ? 望まない婚約までさせるような真似を」


「暁の方こそ勘違いしていないか? 私がいつ萌葱さんとの婚約を望まないと言った?」


「何だと?」


「確かに、私は自らの試金石として父との決闘を受け入れた。だが、その結果がどうにしろ私は最初から『魔王の配下』を辞め、彼との婚約を結ぶつもりだった。私の意思で、そう選択していたんだ」


「全て自分の意思だって言うんだな?」


「そうだ。私がそうしたいと思ったから、この道を選んだ。一点の後悔もない。おかげで今は清々しい気持ちだ」


 そこまで言うと、姫乃は暁に背を向ける。

 これ以上は、どんな対話も受け付けない。

 そんなことを暗に暁に示していた。


「後のことは萌葱さんに任せてある。父が選んだ男だ。きっと上手くやってくれるさ。私も荷物をまとめたらすぐに灰魔館ここを出ていく。手伝いは不要だ。私一人で十分事足りるからな」


「待て! まだ話の途中だ!!」


 部屋を後にしようとする姫乃の手を、暁は掴む。

 思わず強めに掴んでしまったのか、姫乃の口から短い呻きが漏れた。


「さっきも言っただろ。『魔王の配下』は個人の意思で簡単に辞めれるものじゃないって。僕は絶対に認めないからな」


「…………私だって譲るつもりはない。もう、決めたんだ」


「だからっ…………!」


 暁が語気を荒げそうになった瞬間、姫乃は掴まれていた腕を力任せに振りほどく。

 無理矢理振りほどいたせいだろうか、振りほどいた拍子に、姫乃の手の甲を暁の爪が引っ掻いてしまい、赤く小さい傷が白い肌に刻まれた。


「あっ………………」


「………………」


「その…………ごめん…………」


 姫乃は傷を押さえるが何も言わない。

 視線すら暁と合わせようとしないまま、足早に部屋を後にする。


「姫ちゃん!」


 部屋を出ていく姫乃を、神無やふらん、メルやイヴたちは慌てて追いかける。

 部屋には、前髪をかきあげと立ち尽くす暁と、それを悲しげな表情で見つめるムクロだけが残っていた。

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