第146話 『命』を持つ者

(何が……『冷静になれ』だ)


 暁はクロウリーに背を向け、屋敷に戻りながら唇を噛んだ。

 自分がクロウリーに向けた言葉が、まさに今の自分に返ってくる言葉ではないか。

 暁は己れの中で、感情的になることを良しとしない。

 感情的になることは、自らの未熟を露呈することに他ならない。

 何より激しい情動は正確な判断力を鈍らせる。

 一人の『人間』としてならともかく、一人の『魔王』としてそれは致命的だ。

 暁もそのことを十分承知していた。

 しかし、暁は声を荒げることを止められなかった。

 『人造人間』という造られた命であるイヴに、いくら一時の感情だとしても、クロウリーが言葉を看過することは、暁には出来なかった。

 それは、自分の極身近に、がいるからであった。


「…………不思議だな」


「え?」


 突然、背にいるイヴが暁の耳元でポツリと溢す。

 暁は、肩越しにイヴの顔に視線を向けた。


「交感神経の働きによる体温の上昇、拍動の活発化、明らかな『怒り』の情動をお前から感知した。何をそんなに怒っている? これまでの状況でお前に興奮を促す事象があったとは思えないが…………」


「それは…………」


 暁は言葉尻を濁す。

 肩越しに自分を見るイヴの目は、心底不思議なモノを見る目をしていた。

 イヴは『人造人間』として、物事を合理的にしか判断出来ないのだろう。

 だから、暁の怒りの根元に自分に対する『気遣い』があることをイヴは理解出来なかった。


「何故、戦いを止めた? そして、何故お前が私の心配をする? 私には理解出来ない…………」


「そうだね……僕は『魔王』だから、時には誰かを傷つけることもあるし、場合によっては命を奪うことさえある。でもね、だからと言って、僕はそれらを肯定することは出来ない」


「…………」


「傷つけずに済む、命を奪わずに済むなら、それに越したことはない。僕はね、イヴちゃん…………ありきたりな言い方かもしれないけど、『命』っていうのはかけがえのないモノだと思ってるんだ。だから、誰にも命を否定して欲しくない。あの時、クロウリーさんは一時の気の迷いかもしれないけど、君の命を否定しようとした。僕が怒ったのは、それが理由だよ」


「私の命を造ったのは、主だ。だから、私の命をどう扱おうと、それは主の自由だ」


「ついでに言うと、僕は君にも少し怒ってるんだよ。『命』っていうのは他人に委ねるものじゃない。『命』はどこまでも、いつまでも自分だけのものだ。だからこそ、『命』を持つ者は自分を労る義務がある。それが『命』を持つ者の責任だ」


「『命』を持つ者の……責任…………」


「誰に造られたとかは関係ない。それはもう君の『命』だ。だから、もっと自分を大切にしてくれ。痛かったら『痛い』、辛かったら『辛い』って言ってくれ。そうすれば、クロウリーさんもきっと君を助けてくれるから」


「…………お前は言わなくても助けてくれた」


「『助けてくれた』って……やっぱり痛かったんだ」


「他の機能を圧迫するため、痛覚遮断機能は搭載されていないからな…………」


「さいですか」


 暁と会話を終えると、イヴは暁の背中に顔を埋める。

 人工皮膚越しでも確かに伝わる人の温もりを、イヴは自然と瞳を閉じて全身で感受する。

 イヴは、温もりから感じるえもいえぬ安心感に包まれていた。



 ※



「クロウリーさん…………」


 残されたクロウリーに、ふらんが心配そうに声をかける。

 クロウリーの横顔は思い詰めたような、苦々しい色を浮かばせていた。

 その表情を見て、ふらんは声をかけたはいいが、次にどんな言葉をかければいいのか分からなかった。

 ふらんが考えあぐねていると、クロウリーはフラフラと覚束ない足取りでゆっくりと歩み出す。

 ふらんは慌ててその後を追おうとしたが、すぐに追う足を止めた。

「一人にしてくれ」――――――そう、背中から言われたような気がしたからだ。


「クロウリーさん…………」


 ふらんは再びポツリと錬金術師の名を呼ぶ。

 クロウリーはその呟きにも全く反応を示さず、林の中に消えていく。

 空は、日も傾き、仄かな茜化粧に彩られ始めていた。

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