第117話 瀬戸際

 上空を見上げた姫乃はが凄まじい勢いで落下してきていることに気づいた。

 そのを正確に捉えた瞬間、真紅の虹彩に囲まれた姫乃の瞳孔が大きくなる。

 体をくの字に曲げ、失神した状態で落下しているメルを認識した姫乃の脳は、すぐに全身に指令を送った。

 姫乃が両手を落下してくるメルにかざすと、上空にいた無数の血蝶たちが一斉に動き出す。

 まるでタクトを振るう指揮者に従うオーケストラのように、動き出した蝶は一直線にメルに向かって飛んで、否

 蝶たちはメルを追い越すと、その小さな体を寄せ集め、先ほどと同様に大きな真紅の雲を作り出した。

 落下してくるメルの体は、引かれるように雲へと突き刺さり、貫通する。

 確かに勢いをぐことは出来たが、まだメルの落下を防ぐに至らない。

 姫乃は上空に向かって再び腕を振るう。

 血蝶たちは、再度体を寄せ合い、その身をクッション代わりの紅雲に変える。

 しかも、今度は一つではない。

 同じような雲が、落下するメルの先にいくつも作られ、連なっていく。

 メルは連なる紅雲を次々貫通していくと、勢いを弱めながら地上へと落ちていく。

 彼女の行き着く先は、偶然にも暁たちのいる河川敷だった。



 ※



「カイルちゃん、しっかり掴まっててね!」


「はっ……はいっ!!」


 ふらんは、自分の背に必死にしがみつくカイルに向かって叫ぶ。

 そう言った自分も、振り落とされまいと指先に力を込める。

 何せ、獣化した神無の背に乗るのは自分も久しぶりだからだ。

 ふらんたちは河川に懸けられた高架線の上を巨狼となった神無の背に股がり、駆けていた。

 対岸へと消えた暁とレナスを追ってである。

 ふらんたちにも最初何が起こったのか分からなかった。

 気づけば、目の前で戦っていた二人の姿が消えていた。

 次に気づけば、対岸の方から凄まじい轟音が聞こえた。

 何が起こっているのかは分からない。

 しかし、間違いなく何かが起こっている。

 そしてそれは、間違いなく悪い方に進んでいるということだけは分かった。

 だからこそ、三人は駆けていた。


「………………?」


「どうしたの神無ちゃん?」


 何かに気づいた神無が、足を止めず、鼻をひくつかせながら上空を見上げる。

 それに倣い、ふらん、そしてカイルもその先に視線を移す。

 空から何かがこちらに向かって落ちてきている。

 しかも、それを食い止めようとしている紅い雲に、ふらんは見覚えがあった。


「あれは…………姫ちゃんの『血の幻妖蝶ファルファーラ・オブ・ロッソ』!?」


 ふらんがそう気づいた瞬間、落下しているのがメルであるということを理解する。

 そして、そう理解した次の瞬間には、メルは河川へと着水し、大きな水柱を上げていた。


「神無ちゃん! ちょっと待って!!」


 ふらんの言葉に、神無は急ブレーキをかける。

 あまりに勢いよく止まったため、背に乗っていたふらんとカイルは前のめりに落ちそうになった。


「カイルちゃんちょっとの間神無ちゃんに掴まってて!」


 そう言うと、ふらんは神無の背から飛び降り、そのまま真下の河川に飛び込む。

 今度は水面に小さな水柱が上がった。



 ※



 レナスは血溜まりに沈む暁をジッと見つめる。

 顔を伏せたまま、微動だにしない。

 肋骨が砕け、胸から肺を通り、背中にかけて風穴が空くほどの大怪我である。

 普通なら、致命傷と呼んでなんら問題はない。

 しかし、レナスの瞳は目の前に倒れ伏す暁から離れることはなかった。


死んだフリそれも汚い手のうちか?」


 倒れる暁に向かってレナスは淡々とした眼差しで言葉をかける。

 すると、血の海に倒れていた暁が何事もなかったかのように体を起こす。

 確認するように指や首を動かすと、ゆっくりと立ち上がった。


「フリって言うか実際死にかけてたんだけどね。源内先生特製の治癒薬を奥歯に仕込んでて良かったよ」


 そう言いながら、暁は胸元を見せる。

 先ほどまで大きな穴が空いていたはずのそこには傷痕はあれど、完全に穴は塞がっていた。


(あの傷を一瞬で…………大した薬効だな。だが…………)


 暁の青白い顔を見て、レナスは確信する。

 暁が傷は癒せても、体力までは回復していないことに。

 あれだけの傷を一瞬で塞ぐ薬だ。

 それだけ体への負担も大きいはずである。

 何より、暁の足元に残るおびただしい量の血。

 これだけの出血をして、万全のはずがないのだ。


「気分も良さそうだな」


「おかげ様でね」


 レナスが無表情で飛ばしてきた皮肉に対し、暁は力のない笑みを返す。

 事実、今の暁は立ち上がるのがやっとの状態だった。

 傷は癒えても、あまりに血を流し過ぎた。

 今、この状態で戦いを続けるなど不可能であった。


(やば………目がかすんできた…………長くは持たないぞこれ…………)


 そして、このままでは危ういことは暁自身が一番よく分かっていた。

 最早、暁に時間の猶予はなかった。


(上手くいくか分からないけど……もう他に勝つ方法はない…………やるしか…………)


 暁は手元に残った魔剣の残骸に目をやる。

 刃は砕け、ほとんど柄だけになった『ドラクレア』を見て、暁は決心した。


(試すしかない…………魔王依レガリアを……)


 暁は右手にある『ドラクレア』の残骸を握りしめると、左手を自分の胸にかざす。

 すると、暁の胸元から黒い水泡のような光が溢れ出した。

 その光は、暁自身すら畏怖した力。

 自分の中に眠る狂気の力…………『聖剣』の光だった。

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