第45話 火花

 濛々もうもうと黒煙が立ち込める屋上を、少女は上空から緑色の瞳で見下ろす。

 手応えのなさから、二人が無事なことは容易に把握できた。

 しかし、気配を隠しているところを見るに、その場から逃亡しようとしているようだ。

 怯懦きょうだな発想だが、懸命であると少女は鼻を鳴らした。

 これからゆっくりと探しだし、軽く引導を渡してやろうと、少女は高度を下げて、未だ煙と煤が舞う屋上に降り立つ。

 少女の履く赤いヒールの爪先が地に着いたのと同時だった。

 黒煙を裂いて、一匹の獣が少女の細い腕にそのあぎとで喰らいつく。

 頭から飛び出した獣耳を逆立て、鋭い牙を剥き出しにして噛みついたまま、神無は低く唸った。

 普段ののほほんとした神無からは想像できないような凄まじい形相だ。

 体が所々煤で黒く汚れてしまっているのが、その苛烈さに拍車をかけていた。

 しかし、神無が有らん限りの力で噛みつき攻撃バイティングしているにも関わらず、噛みつかれている当の少女は涼しげな顔をしている。

 まるで、子犬の甘噛みされているだけのような反応だった。

 現に、神無の牙は少女の皮膚を貫くことができずにいた。


「うううぅぅぅぅぅっっ!!」


人狼ウェアウルフか……中々の力だが……」


 少女は神無の頭を鷲掴みにすると、自分の腕から乱暴に引き剥がし、眼下の校庭に向かって、力任せに投げつけた。

 少女の細腕一本で、神無はその体ごと校庭の地面に叩きつけられ、大きな穴を穿った。

 神無はすぐに体勢を立て直そうとしたが、一瞬の内に間合いを詰めていた少女によって阻まれてしまう。

 再び頭を鷲掴みにされ、地面に亀裂が走るほどの力で押さえつけられた。


「あああっ! ああああっ!!」


「躾がなってないんだよっ! 駄犬がぁっ!!」


 地面に走る亀裂が徐々に広がっていく。

 それに比例して、神無の悲鳴も大きくなっていた。

 神無は必死に少女の腕を爪で引っ掻いて、万力で潰されるかのような責め苦から逃れようとする。

 しかし、少女の身に付けている白いグローブは引き裂けても、その細腕には傷一つつけられない。


「頭が高いんだよ……このまま押し潰してやろうか? 腐ったトマトみてぇによぉっ!!」


 そう言って、少女が動かなくなっていた神無の頭部に更に力を加えようとしたその時だった。

 少女の四方から突然赤い血糸が伸びてくる。

 そのまま血糸は少女の手足に巻き付こうとするが、少女はそれよりも速く神無を放すと、背中の羽を震わせ、宙に逃れた。

 少女はすぐに自分の下方にいる姫乃に視線を向ける。


「ちっ……外した!」


「今度は吸血鬼ヴァンパイアか……!」


 自分と対照的な銀色の髪を輝かせる姫乃を見て、少女は冷笑を浮かべる。

 逆に姫乃はピクリともしない神無の姿を見て、頭の中でが切れる音がした。


「貴様っ……こんなことをしてただで済むと思うなっ!!」


「お前も頭が高いな……捻り潰すぞ?」


「やってみろっ!!」


 姫乃は両手の爪全部から血糸を伸ばす。

 血糸はそのまま宙に浮く少女に向かわず、徐々に編み込まれていき、ある形を象っていく。

 編み込まれた血糸は、十羽の鳥の形を成していた。


「『血縫術ブラッド・ファブリクス・アーツ血の使い魔スレイブ・オブ・ロッソ』……!」


「ほう……魔力をここまで操れるのか」


 少女は感心するかのように、言葉を漏らす。

 姫乃がゆっくりと右手を上げると、血糸で作られた鳥たちは、まるで本物のように羽ばたくと空高く舞い上がった。


「いけっ!!」


 姫乃は上げていた右手を勢いよく振り下ろす。

 すると、空を舞っていた鳥たちが、少女目掛けて次々と急降下していく。

 矢のように飛んでくる鳥たちを、少女は何のことがないように避けた。


「なんだ? 仰々しい名前のわりには大したことないな」


 拍子抜けしたかのような口振りの少女に対し、姫乃は薄く笑みを浮かべる。

 少女が姫乃の反応を訝しく思う間もなく、避けたはずの鳥たちが一斉にその姿を崩し、血糸へと戻った。

 血糸は少女の四方を取り囲み、あっという間に完全な包囲網を完成させた。


「『血縫術ブラッド・ファブリクス・アーツ血の鳥籠ケージ・オブ・ロッソ』……このまま締めさせてもらう……!」


 そう言うと、姫乃は右手を握り締める。

 すると、少女を取り囲み血糸が少女の体を締め上げようと、その包囲網を狭めてくる。

 しかし、血糸が少女の体に食い込もうとする直前、少女は軽く息を吸い込むと、自分を取り囲む血糸に向かって、炎を吐き出した。


「なっっ!?」


 姫乃は目を見開く。

 姫乃の血糸は、少女の吐き出す炎によっていともたやすく焼かれ、蒸発してしまった。

 そして、驚き動揺する姫乃がまばたきを一度だけした次の瞬間には、眼前に少女の残忍な笑みがあった。


「っが……はぁっ……!!」


 姫乃は腹の中の空気を全部吐き出す。

 正確には、少女の拳が腹部にめり込んだことによって、強制的に吐き出さされたのだ。

 姫乃は膝から崩れ落ち、悶絶しながら地面に倒れこんだ。

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