第38話 夢魔の事情

 五人はひとまず場所を変え、屋上の一角に設けられているフリースペースのベンチに座っていた。

 暁たち四人と丸テーブルを挟む形で澪夢がその対面に座っていた。

 覗きの現行犯あんなことの後だからだろうか、それとも自分の特異な体質を見られたからだろうか。

 何とも居心地悪そうな様子で、もじもじと落ち着かない様子だった。


「さ、今は授業中だしここなら人も来ないだろう。何で覗きなんてしたんだい?」


 暁に尋ねられ、澪夢はびくりと肩をビクつかせる。

 ここに来るまでの間も話しかければこの調子で、おどおどするばかりだった。

 暁は困ったように頭を掻く。


「不思議なんだよな。君は根は真面目で大人しいし、かといって根暗というわけでもない。人当たりも良くて、好感が持てる人だ。僕には覗きをするような人とは到底思えない。それにここだけの話、女の子にも結構人気がある。覗きなんかしなくても、いくらでも女の子と触れ合う機会はあるだろうに……」


「自分はそんな不埒な考えで覗きをしていたわけではありません!」


 突然立ち上がり、大きな声を出す澪夢に一同目を丸くする。

 澪夢も思った以上に大きな声を出してしまったためか、ハッとするとまた大人しくベンチに腰を下ろす。


「単純に女の子の着替えが見たかったというわけではないってこと?」


 神無は首を傾げて、澪夢の顔を覗き込む。

 澪夢は言葉を発しなかった代わりに、小さく頷いて肯定した。


「じゃあ、君の目的は……?」


「……話せば長くなります」


 澪夢は四人の顔色を窺うように見る。

 四人が話の続きを促すように頷くと、澪夢は自分のことについて静かに語り始めた。



 ※



 澪夢は幼い頃からこの特異な体質のため、周囲の者たちから常にいじめられていた。

 性別が明確ではない澪夢に対して、周囲の子どもたちは澪夢のことを『男女』だの『オカマ妖怪』だの心無い暴言を浴びせつけた。

 子どもとは残酷なもので、自分とは異なる存在には純粋な嫌悪の感情をストレートに表す。

 澪夢自身、性のはっきりしない自分の体質故に、自分が『男』として振る舞うべきか『女』として振る舞うべきか決めかねていたことも、周りの悪感情に拍車をかけていた。

 そんな純粋な悪感情を子どもの頃から受け続けて来た澪夢は、幼くして自分という存在に絶望していた。

『自分はなんて気持ちの悪い生き物なんだ』

『自分なんて存在する価値はないんだ』

 そのようなことを澪夢は本気で思っていた。

 しかし、そんな澪夢の価値観を一変させる出来事が小学生の夏休みに起こった。

 ある一人の少年との出会いだった。

 余所からやって来たというその少年は周囲から迫害されていた澪夢にも気さくに話しかけ、積極的に仲良くしてくれた。

 周囲の子どもたちが澪夢にちょっかいを出してきても、味方となり、逆にいじめっ子たちを懲らしめてくれた。

 少年は、性別の関係なしに澪夢を一人の友として見てくれた。

 そのことに澪夢がどれほど救われたことか。

 少年は澪夢にとって初めての友であり、同時に目指すべき憧れの存在となったのだった。


「その子とはひと夏の間だけだったけど、沢山の思い出が出来ました。そして、その思い出が自分を変えてくれたんです! それから自分も彼みたいな『男』になりたいと日々努力をしてきました。誰にも負けない『男』になるために体を鍛え、『男』らしい所作も研究し続けてきました!! だけど……」


 澪夢は一呼吸をおく。

 そして、項垂れながら頭を抱えた。


「体はちっとも筋肉はつかないし、臆病で人前で堂々と振る舞えないし……自分は未だに『彼』のようになれずにいるんです……」


 澪夢は鉛のように重いため息をつく。

 澪夢の話を静かに聞いていた四人だったが、姫乃はふとある疑問が頭に浮かぶ。


「はぁ……それで君の過去の話は分かったが、それと覗きをしていたのとどう関係があるんだ?」


 姫乃の問いかけに、澪夢は「ああ」と顔を上げる。


「『彼』が近所の銭湯の女風呂を覗きながら言ってたことを思い出したんです。『男なら女性の裸を愛でることこそ至上の喜びとし、生涯の務めとしなくてはならない』って。それで同じ事をすれば『彼』に近づけるかなって……」


「中々見所のある少年だ。ぜひ僕も友の杯を交わしたかったな」


「どんな小学生だ」


 顎に手を当て頷く暁に姫乃はツッコミを入れる。

 話を聞く限り、とても素晴らしい少年かと思いきや、中々曲者のようだと姫乃はこめかみを押さえる。

 身近に似たようなことを言いそうな男がいるだけに、同じような人物が他にいると考えると、姫乃は嫌な頭痛を感じた。


「けど、自分はそれ以上にあることに悩んでるんです」


「あること?」


「ひっ!」


 暁が不思議そうな顔をして、澪夢の顔を覗き込む。

 暁の顔が近づいた瞬間、澪夢は短い悲鳴を上げると突然体を震わせた。


「あああっ!!」


「どっ…どうした突然!? しっかりしろ!!」


 澪夢は胸を押さえながら、ベンチから崩れ落ちた。

 心配した四人はすぐに澪夢の傍に寄る。

 暁が澪夢の肩を支えて抱き起こすと、ある変化に気づく。

 先ほどまで真っ平らだった胸部にはメロン大の膨らみが豊かに実り、腰にはなだらかな丸みを帯びたラインができている。

 暁の抱く肩も固さと角張がなくなり、男性ではあり得ない柔らかな感触へと変化していた。


「凛々沢くん……君……なぜ突然女に!?」


「……分からないんです」


 澪夢は顔を上げて、暁の方を見る。

 長いまつ毛が僅かに潤む瞳を強調し、薄く濡れた紅色の唇と合わさって、得も言えぬ色香を感じさせる。

 澪夢のその艶麗えんれいさに全員が思わず息を飲む。


「気を抜くと……どうしても女になっちゃうんですぅ!!」


 大きな瞳の端からぽろぽろと小粒の涙を零しながら、澪夢は四人に向かって訴えた。

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