第39話 特訓!

 澪夢の涙の訴えから一週間以上経過したある日。

 姫乃と澪夢の二人は、灰魔館の中庭にいた。

 草枝の触れ合う音と僅かな鳥の鳴き声だけが聞こえる中、小さなテーブルを挟んで二人は向かい合っていた。

 テーブルの上には、ワイングラスが一つ置いてあり、中庭に差し込む日光を弾いている。

 その丁度真上では、ソフトボール大の大きさの透明な球体が、揺蕩たゆたいながら宙に浮かんでいた。

 その球体に真剣な表情で手をかざす澪夢に、それを見守る姫乃。

 二人は魔力をコントロールするための訓練の最中なのだ。

 今、二人が行っているのは『水玉遊び』という魔力コントロールの練習の一つである。

 ただの水を魔力で覆い、球体を成形して、宙に浮かせこれを維持する。

 小さい子どもが遊び感覚で魔力のコントロールの仕方を覚えるための練習方法だ。

 澪夢はこの一週間この練習を繰り返し行い、ようやく球体を作ることができるようになった。

 この球体を作り、維持するには少しコツがいる。

 魔力の放出量が弱ければ、綺麗な水玉は成形できないし、逆に強ければ、水玉は破裂してしまう。

 しかも、それを宙に浮かせ続けることにも魔力の操作が必要になる。

 例えるならば、片方の手でけん玉をしながら、もう片方の手でお手玉をするような感覚である。

 姫乃は幼い頃、この『水玉遊び』で魔力コントロールの基礎を学んだ。

 今では水晶のような綺麗な水玉いくつも形成し、それらを同時に維持し続けることができる。

 それだけ魔力コントロールに長けていることから、澪夢のコーチ役として抜擢されたわけだ。


「一分経過……よし、いい調子だ。そのまま集中を切らさないように……」


「はっ……はい!」


 姫乃の言葉に、澪夢は眉間に皺を寄せて更に水玉に視線を送る。

 水玉は時折、小さく波打ちながらも、ちゃんと球体を維持して浮かんでいる。

 澪夢の安定した様子を見て、姫乃は顎に手を当てた。


(この子……筋自体は悪くない。だが……)


「お、やってるね」


 特訓をする二人の元に、暁がのんびりとした足取りで現れる。

 小脇には数冊の厚い本を抱えており、いくつもの付箋が本の端々から見えていた。


「あ、逢真くん……きゃあっ!!」


「え?」


「きゃっ!」


 宙に浮いていた水玉が急に弾け、水へと戻り、周囲を飛沫しぶきで濡らす。

 突然、水飛沫を頭上から浴びた姫乃と澪夢は思わず目を閉じた。


「あー……ごめん。集中してたところに急に声をかけたらそうなるよね。僕の配慮が欠けていたな」


「いや……今のは声をかけられたくらいで集中を切らした自分が悪いんです。逢真くんは別に……」


「……ん? おい、澪夢くん!」


「へ?」


 姫乃に指をさされ、澪夢は視線を下に向け、自分の姿を確認する。

 自分の胸元に豊かな膨らみがあり、しかも先ほどの水飛沫のせいで着ていたシャツがうっすらと透けて、下の肌色が見えている。

 そのことに気づいた澪夢は慌てて胸元を腕で隠す。

 その様子に、暁は困ったように視線を背け、姫乃は頭を抱えた。



 ※



「どう思う?」


 暁の部屋のソファーに背もたれに腰かける姫乃が、ソファーに寝転ぶ暁に問いかける。

 暁は寝ながら読んでいた本を胸元に置いて、姫乃の方を見た。


「『どう思う』って、何が?」


「惚けるな。澪夢くんのことだ。泊まり込みで霊力コントロールの練習をして今日で九日目だ。霊力コントロール自体は練度が高まっているのに、性別変化のコントロールは未だに出来ない。少しおかしいと思わないか?」


「うーん……」


 暁は疲れ目をいたわるように、目をマッサージしながら寝転がるのを止め、ソファーに座り直す。

 手にしていた本を目の前のテーブルに放ると、背もたれながら、頭の後ろで両手を組んだ。


「それはずっと思ってたさ。平賀先生にも相談したけど、原因不明なんだよね。考えられるとしたら澪夢くんの精神的なところが関係してるかもしれないらしいけど……その原因というか根源が分かればあるいは……」


「そのことを澪夢くんは何と?」


「『心当たりがない』らしい。僕も似たような事例がないか色々調べてはいるんだけどね」


 暁の言葉尻から、めぼしい収穫がないことを悟った姫乃はそれ以上何も言わなかった。

 テーブルの上にはいくつもの本が山のように積まれ、その何れにも付箋紙が付けられている。

 このところ暁はずっと寝ずに調べ続けているようで、目元には僅かにクマができていた。


「とにかく、もうしばらくは霊力コントロールの練習をいっしょにしてあげてよ。それで何かわかったことがあれば教えてくれ。僕ももう少し調べてみるからさ」


「…………」


「姫ちゃん?」


「……ん? あ……あぁ、わかった」


「? お願いするよ。そういえば澪夢くんは?」


「ああ、澪夢くんならムクロさんのお使いに出てる。『お世話になってるからこれくらいは』だそうだ。律儀なことだよ」


「まぁ、気分転換にはなるか。姫ちゃんも今のうちにゆっくり休みな」


「そうだな。折角だから、そうさせてもらおう」


「さてと……」


 暁は伸びをしながらソファーから立ち上がり、鞄を手にする。

 外出の支度を始めた暁に姫乃は尋ねた。


「出かけるのか?」


「うん。平賀先生のところにね。他に何か資料がないかもう一度相談してくるよ」


「わかった。しかし、お前も無理をし過ぎるなよ」


「わかってるよ。ありがとう」


 そう言いながら、暁は自室を後にした。

 一人残された姫乃は、主を失ったソファーにゆっくりと腰かけ、深くその体を沈めた。


(精神的な……か)


 あの時、姫乃は何も言わなかったが、精神的な原因と聞いて、姫乃には少なからず心当たりがあった。

 そして、その先の推察も。

 恐らくその推察は当たっているだろうと、はっきりとは言えないが、自信に近いものもあった。

 だが、そのことを口には出来なかった。

 少なくとも、さっきの場ではとても言い出せなかった。


「どうしよう……」


 普段はさばさばとした男性的な凛とした口調の姫乃だが、その小さな呟きは、年相応の沈めた少女のものだった。

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