第33話 本体

「この階は違うな。よし、次」


 そう言うと、暁は次の階に向けて、階段を駆け上がる。

 現在、エレベーターも停止してしまっているため、階段を上るしかない。

 異様に先を急ぐ暁を、ふらんは慌てて追いかける。


「待って暁ちゃん! どうしたの急に急いで……!」


「嫌な予感がしてね。もし、その予感が当たれば大変なことになる」


「大変なことって?」


「それは……んっ!?」


 階段を登り切り、上階にやって来た暁とふらんの眼前に異様な光景が広がる。

 所狭しと根を伸ばし、生い茂る植物。

 一見すると、深い森林にでも迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。

 そして、階の中心には今まで見てきた『蔦』の親木であろう巨大な樹木が、太い幹から伸びる根を下ろして階を支配していた。


「見つけた……あれが『本体』だ」


「暁ちゃん! あれ!!」


「ん!?」


 暁は、ふらんが指差す方を見る。

 ふらんの指し示す先は、この階の主のように堂々と根を張る樹木の中心部。

 何本もの枝や蔦が絡み合い、大きな毛糸玉のようなものを形成していた。

 まるで、『何か』を守っているかのように……。


「恐らくあそこがコアだ」


 暁の言葉に、ふらんは頷く。

 暁は用心のためにふらんに下がらせると、一人ゆっくりと大樹へと近づこうとする。

 ここまで、一度も蔦に襲われなかったからだろうか。

 この時暁は、確かに油断していた。

 だからであろう。

 ふらんの足元に伸びる蔦が、ふらんに襲い掛かってくる瞬間、一瞬反応が遅れてしまった。


「きゃあっ!?」


「っ!? ふらん!!」


 暁は咄嗟にふらんの体を押し、蔦の魔の手からふらんを庇う。

 ふらんの足に絡みつこうとしていた蔦は、代わりの暁の足へと絡みつく。

 足に絡みつく蔦に、暁はアルマ・リングの宝玉を向けた。

 しかし、それよりも速く別の方向から伸びる蔦に、腕を絡み取られて、抗う間もなく動きを封じられてしまった。


「暁ちゃん!!」


 ふらんは暁を助けようと、思わず手を伸ばす。

 暁はそれを視線で制止する。

 ふらんの伸びかけていた手は、寸でのところで止まった。


「暁ちゃん……」


「大丈夫。確かに動きは封じられるけど、やはりそれ以上何か危害を加えようとする意志は感じられない。それより……」


 暁の体は徐々に蔦に覆われていき、顔にまで達しようとしていた。

 それでも暁は動揺することなく、言葉を続ける。


「この『蔦』……まるで助けを求めてすがりついてきているような気がする。もしかしたら、コイツの本体は……ぐっ!」


「暁ちゃん!」


「ふらん! あとは頼む! 君にならできる!! どうかっ……ぐぅっ!!」


 ふらんに聞き取れたのは、そこまでだった。

 暁の言葉は幾重にも編み込まれた蔦の壁に遮られ、そこで途切れてしまった。

 しかし、言葉は聞き取れなかったが、暁の口の動きから、暁が最後に伝えたかった言葉をふらんは理解していた。


(『救ってくれ』……暁ちゃん確かにそう言っていた……誰を? 暁ちゃんを? みんなを?)


 暁の言葉に、ふらんは呆然と立ち尽くしていた。

 そんなふらんの足元に、再び無数の蔦たちが這い寄ってきていた。


(違う……暁ちゃんは言ってた……『助けを求めてる』って……)


 ふらんは、何かを決心したかのような顔をすると、自分の体を這って上ってくる蔦に優しく触れた。

 そして、瞼をゆっくりと閉じる。

 ふらんは人造人間として様々な機能を有しているが、そのうちの一つに『感応交掌エンパサイザー』という機能がある。

 触れた生物の心の声を読み取り、相手の心と直接交信することができる機能だ。

 今ふらんが行おうとしているのはそれである。

 今、デパートを侵食している蔦は、魔力によって生み出された植物であり、この蔦の先に生み出したデモニア本体がいる。

 ふらんは蔦を通して、本体のデモニアの心を読み取り、交信しようとしているのだ。

 しかし、言葉を持たぬ植物を介して交信を行うなど、ふらんにとっても初めてのことである。

 ふらんは全神経を触れている蔦に集中させた。

 すると、ふらんの頭の中に、突然大音量のノイズの嵐が巻き起こる。

 その瞬間、ふらんは思わず蔦から手を離しそうになったが、何とか踏みとどまり、もう一度、意識をそのノイズの嵐の中に投じる。

 このノイズは、読み取る対象の心風景をそのまま表している。

 つまり、対象のデモニアの心理状態は、それだけ荒れているということに他ならない。

 それでも蔦を介して本体と繋がることができているということが確信できたふらんは、そのノイズに向かって必死に呼びかけた。


(聞こえますか? 私の声が届いていますか?)


 激しいノイズの嵐にふらんの声は幾度となくかき消されていくが、ふらんは諦めずに何度も呼びかけ続けた。

 その間にも、ふらんの体は蔦で覆われていき、今では顔の上半分ほどしか見えなくなっていた。

 何度呼びかけても返答はなく、ふらんにも次第に焦りが生じ始めた。


(だめだ……繋がることはできても、言葉が届かなくちゃ意味がない……私には……どうすることもできない……)



 侵食されていくデパート、捕らわれた人々、そして、なす術なく動きを封じられていく自分。

 無力感に苛まれながら、最早自分にはどうすることもできないと諦めかけていた。

 しかし、そんなふらんの頭の中に、暁の言葉が蘇ってきた。


『ふらん! あとは頼む! 君にならできる!!』


 ふらんはハッと目を開けた。


(そうだ……暁ちゃんは『頼む』って言ったんだ。私にならできると信頼して……)


 ふらんの消えかけていた瞳の光が再び灯り始める。

 自分は『脱出しろ』という提案を無理矢理蹴ってまで暁についてきたのだ。

 なのに、自分はまだ何も暁の役に立っていない。

 それどころか、足を引っ張っただけだ。

 それなのに、諦めようとするなんて……。

 ふらんは自分を奮い起たせると、必死に考えを巡らせた。


(まず、ノイズの原因を突き止めないと……一体何がここまで心を掻き乱しているの? 怒り……悲しみ……不安……ん?)


 頭に響くノイズ音に耳を傾けながら、思考を巡らせていると、そのノイズの中から微かに別の音が聞こえてきた。


(これは……何かが擦れる音……? 違うっ! この音……いや、声は……!)


「泣き……声……?」


 ふらんはポツリと呟く。

 激しいノイズの嵐の中から、ふらんは一筋のか細い糸を掴んだのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る