第34話 大丈夫

 ようやく聞こえた声にふらんは懸命に呼びかける。


(あなたは誰? 一体どうしたの? 何故泣いているの?)


 出来る限り優しく、何度も、何度もふらんは呼びかけた。

 その呼びかけのおかげか、ノイズが徐々に弱まっていき、声が僅かにだが聞こえるようになってきた。


(……ない……マ…………い……ど……ったの……)


「?」


 ふらんは弱々しく、不安げな声に心の耳を傾ける。

 すると、少しずつだが言葉が明瞭に聞こえてくる。


(いない……の……ママ…………ど……にも…………)


(いない……? ママ……? もしかして……)


「……迷子?」


 ふらんのこぼした呟きが聞こえたのか、頭の中のノイズが再び激しくなった。

 ふらんは激しいノイズの嵐に顔をしかめながらも、ノイズの原因を確信した。


(このデモニア……まだ子どもだ。しかも、かなり幼い)


 デモニアの中には、勿論生まれつき魔核の動きが活発で、魔力を持って産まれてくる者もいる。

 そういったデモニアには後天的にデモニアに覚醒した者より、魔力の扱いに長けている場合が多い。

 しかし、だからといって彼らが生まれながら魔力の扱いに長けていたわけではない。

 例外はあるが、彼らも長い年月をかけて、魔力を操る術に熟達していったのだ。

 幼少期の頃には、魔力を上手くコントロール出来ないことが多い。

 幼いが故に、感情と魔力の分離が出来ず、感情の起伏と魔力の発露が連動してしまうのだ。

 そのため、大変な思いをしたデモニアも少なくない。

 そして、今この魔力の植物を生み出している者も迷子になったことで精神状態が不安定になり、魔力が暴走している状態だった。

 ふらんは心の声を聴いたことで、そのことを察知した。


「…………」


 ふらんは片手で触れていた蔦を強く、しかし優しく握る。

 そして、再び目を閉じた。


(大丈夫。もう大丈夫だから)


 そう心で念じながら、ふらんは蔦を撫でる。

 まるで、小さい子どもの頭を撫で、慈しむように。

 ふらんが本体のデモニアに語りかけた言葉は、自分が幼い頃、迷子になっていた時に暁にかけられた言葉だった。

 ふらんも幼い頃、迷子になった経験がある。

 その時は家族とのつながりしかなかったふらんにとって、周りに人がたくさんいるのに、まるで自分が世界でただ一人になったような孤独感を感じさせた。

 その孤独から、救ってくれたのが、暁の笑顔と言葉だった。

 ふらんは小さい自分が勇気づけられた言葉を、不安と孤独に怯える本体デモニアにかけ続けた。

 ふらんの優しい声が届いたのか、ふらんの頭の中に響いていたノイズは弱まっていき、体を拘束していた蔦も、徐々に力を弱め、体から離れていく。

 ふらんの優しげな言葉が届いたということもあるが、両者が『感応交掌エンパサイザー』によって心同士が繋がっていたことも大きかった。

 ふらんの言葉の根底にある温かい気持ちの記憶が、『感応交掌』を通じて本体デモニアにも伝わり、不安定な精神状態を沈静化させたのだ。

 蔦によって持ち上げられていたふらんの体は、ゆっくりと床に降ろされる。

 床に降り立ったふらんは、階の中心にある巨樹へと足を向ける。

 今度は周囲の植物が襲ってくる気配はない。

 ふらんは巨樹の前に立ち、蔦やつるで覆われた中心核に向かって、語りかけた。


「初めまして、私は平賀ふらんって言います。あなたのお名前は何ですか?」


 ふらんの言葉から暫しの沈黙の後、中心核を覆っていた蔦や蔓、枝の合わせ目がゆっくりと解かれ、中心核の中にいたデモニア本体がその姿を現した。

 巨樹の中心にあるうろの中でうずくまっていたのは小さな女の子だった。

 年の頃は四、五歳くらいだろうか。

 赤いワンピースに、花のカチューシャをつけた女の子が泣きはらした顔でこちらを見ていた。

 服の袖は涙で随分と濡れ重たい色に変わっており、この少女が長いことここで泣き通していたことが分かる。


「……すみだ……かれん……」


 しゃくりあげながら、女の子は絞り出すように自分の名前を告げる。

 名前を聞くと、ふらんはニッコリと笑みを浮かべた。


「かれんちゃんって言うんだ。もう大丈夫だよ。怖かったね」


 ふらんは虚の中に上半身を入れて、少女を抱き締め、背中を優しくさする。

 女の子はふらんの胸に顔をうめると、ふらんの制服の肩口を強く握った。



 ※



 ふらんは女の子を抱き上げ、巨樹の虚から抜け出す。

 すると、巨樹は見る見るうちに砂のように風化し始めた。

 ふらんは女の子を抱え直すと、慌てて巨樹から離れる。

 周囲を見ると、壁や床を這っていた植物が巨樹同様、砂となって散っていっていた。

 本体である女の子の精神状態が安定したことで魔力の暴走も収まり、魔力によってできた植物が消滅し始めたのだ。

 気がつけば、植物はあっという間に消えてしまい、壁や床は穴やヒビだらけの荒れ果てたデパートに変わっていた。


「ありゃりゃ……」


 デパートの荒れ様に、ふらんは思わず驚きの言葉をこぼす。

 ふと、ふらんは天井から自分の肩に何かがこぼれ落ちてきたことに気づく。


「何……?」


 ふらんは肩に落ちたものに触れる。

 ザラザラとした感触。

 こぼれ落ちてきたのは、どうやら天井の破片のようだった。

 これだけ荒れていては、天井から破片が落ちてきても不思議ではない。

 そう思ったふらんは、特に気にすることなく、その場を離れようとした。

 しかし、今度は前方に大きな破片が落下してくる。

 ふらんは咄嗟に後ろに下がり、破片に当たることはなかったが、逃げた先がいけなかった。

 ふらんが下がった床に、突然大きな亀裂が走り、メキメキと音を立てて崩れてしまった。


「きゃあっ!」


 崩れた床が下の階に落ちて、大きな音を立てて砕け散る。

 ふらんも咄嗟に床の骨組みの鉄骨に捕まらなければ、背中の女の子ごと落下してしまっていただろう。


「これはっ……」


「大丈夫かふらん!」


 名を呼ばれ、ふらんは上を見る。

 そこには、植物が消滅したことで解放された暁が、ふらんの腕を掴んで、上に引き上げようとしていた。

 ふらんは腕に力を込め、暁に助けられながら、何とかよじ登る。

 よじ登ったふらんが周囲を見ると、驚きで目を見開いた。

 なんと天井や壁、床が徐々に崩壊しており、デパートが今にも倒壊しそうな状況になっていた。


「暁ちゃんこれって……」


「嫌な気はしてたんだ……。建物の壁や床のコンクリートを貫き根を張るほどの植物……時間が経てば経つほど倒壊の危険が高まるのは必定! 植物が消滅したことで、崩壊が一気に進んだんだ!!」


 暁は苦虫を噛み潰したようなを顔する。


「それじゃあ……このままじゃこのデパートは崩れちゃうってこと!?」


 ふらんの問いかけに、暁は黙って頷く。

 まだ、デパートの中には植物から解放されたばかりの人々が大勢いる。

 そのみんなを今から避難させることは厳しい。

 そうこうしている間にも天井は次々と崩れ、デパートの崩壊まで時間の猶予はなくなっていた。


「おねぇちゃん……」


 背中の女の子が不安そうな顔をふらんに向ける。

 ふらんは女の子に「大丈夫だよ」と言葉をかけながら、宥める。

 しかし、このままでは自分たちも含め、大勢の人の命はない。

 しかも、これだけ大きな建築物が倒壊すれば、外の被害も甚大なものになってしまうだろう。


「暁ちゃん……! どうしよう、このままじゃ……!」


「勿論、倒壊を阻止する。ふらん!!」


「!?」


 暁はふらんに向けて、右手を開く。

 手の甲には、魔王の紋章が鈍色にびいろの光を放っていた。


「君の力……借り受けるぞ……!」

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