いる? いない? いらない?

篠騎シオン

空気ってなんだろう

大学っていうのはなんていうか雑多なところで、いろんなひとがいる。

明るいひと、回りにひとが集まるひと、暗いひと、一人でいるひと。

そのなかでも、他人に空気のように扱われてるひとっていうのが、あたしは気にくわない。

どうして他人にそう扱われて平気でいられるわけ? どういう神経してんの?


だから、私は非常に今、苛立っている。

目の前にそういうやつがいるから。

大学の食堂の中。

ぼさぼさの髪、明らかに汚れている不潔な白い服。

周りの人たちは彼女が見えないかのように扱っている。


そういうお前はどうかって?

私? 私は空気になるように動いてる。

おんなじじゃん何て言わないでよね。

空気になるように動くのと、周りに空気扱いされるのとでは天と地ほどの差があるんだから。


私は、つかつかと、ぼさぼさ頭の女に歩み寄ると、小さな声で話しかける。

「ちょっとあんた、来なさいよ」

手は触れない。

だって、ちょっと汚そうだし。

女は私の言葉にちょっとはっとしたような顔をして周囲をきょろきょろと見回すと、こくりとうなずいた。

周囲を気にしてるってことは、自分が空気扱いされてるという自覚があるのかな?

知らないけど。


私は、女を食堂の外へ連れ出し、普段あんまり人がいないような、とくに陽キャって呼ばれる人がいないような日陰のベンチに連れていく。陽キャは嫌い。特に嫌な思い出もないんだけど、考えると不快な気持ちになる。

「で? あなたはあんなところで何をしてたの?」

女を問い詰める。

「え、えっと、ちょっとおっしゃる意味が分かりません」

おろおろする女。なんていうかイラっと来る。

「だから、そんなぼろぼろの格好でよく食堂に来れるわねって話。あれね? あなた、失恋でもしたわけ? だからそんな恰好も気にせずふらふらしてるの? それだったらまだ同情の余地がありそうだけど」

「いや、あの……」

ごもごもとはっきりしない彼女の動きを見ていて、私は急にピンとくる。

「わかった、あの男ね!」

天からのひらめき。天才の私。

そういえば、さっき食堂にいたときに彼女がちらちらみていた男がいた。

明らかに陽キャの周りに人が集まるタイプ。きっとあれが元カレに違いない。そもそも彼に遊ばれているだけなのにこの子が本気になって、フラれてこのざま。うん、理解理解。

「で、あんたはどうしたいの?」

理解した私は彼女に詰め寄る。

すると彼女は、しばらく考えているのか黙ったが、決心したのか唇をきゅっと結ぶと、私にこう言ってきた。

「お別れをちゃんと言いたい」

「言えばいいじゃん」

その言葉を聞いて私に出てきたのはそれだけだ。うん、言えばいいじゃん。

でもまあ、そんな服じゃちょっと言えないか、着替えたほうがいいかも。

私は彼女の格好を上から下まで観察して思う。

「よしっ、服、買いに行く?」

「ええっ! お別れを言うだけなのに、そんなこと必要ないですよ」

「だけって、思うんだったら、ちゃっちゃと行ってきなさいよ」

「で、でもお……」

「決心がつかないなら、何かを変える! 服とか、そのぼさぼさの髪とか、ちょっとはきれいにして、アイツに振ったことを後悔させようとか思わないわけ?」

「ううん……わかった、着替えてきてみる……」

彼女はうつむきながら言う。

お、ちょっとはポジティブになってきたか?

私はちょっとだけ楽しい気分になってくる。ただ、なんだろう、やっぱり目の前のこの汚いぼさぼさのせいか心はなんだかどんよりしていた。

もう! 早く着替えさせないとだ。

「OK。じゃあ、着替え買いに行く?」

「ううん、大丈夫。持ってる」

「え?」

「着替えてくるね」

私の追及を待たずに、彼女はトイレの方向にすたすたと歩き去る。

うーむ。不思議なやっちゃ。着替えはどこに。

私は歩き去る彼女を見つめる。

それにしても彼女、本当に周りに見えてないように扱われてるな。トイレに行く途中にも何人かとすれ違ったが、誰も見向きもしていない。

「もしかして、本当に見えてない?」

冗談交じりに私がつぶやくと、なんだかぞくりと寒気がした。

「まさか、ね」

急に尿意を催す。

「私もトイレ行くか」

彼女の後を追いかけ、私も小走りでトイレに向かう。

その途中——

「痛いっ」

どんと、正面から歩いてきた男とぶつかって私は飛ばされる。

「なにしてくれてんのよ!」

どすんとしりもちをつく。顔を上げて文句の一つでも言ってやろうと思ったがすでに男は目の前にいない。

ぶつかっても気にせず歩き去ったようだ。

あーあ、もう、あの子のせいで私にも空気扱いが移ったかな。

「はーあ」

「お待たせしました」

大きなため息をついたところで、上から声が聞こえる。

「え、あ、うん」

私は慌てて立ち上がる。しりもちついてるとことか恥ずかしいとこ見られたし、最悪。でもまあ、ぼさぼさ女だしいいかな。

と思って顔を上げたのだが、

「え、綺麗じゃん」

先ほどと同一人物とは思えないような女が目の前にいて驚く。

ぼさぼさの髪は綺麗にとかされ、着ていた汚れていたはずの服は洗濯とアイロンをかけたかのように白くてピシッとしていた。

え、どういうこと、着替え早すぎない?

というか、それ今この短時間でアイロンと洗濯? え? トイレだよね?

私の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。

「大丈夫ですか?」

混乱している私を、彼女が覗き込んでくる。

「え、あ、うん。大丈夫。行こうか」

私は彼女を食堂に連れて行くために手を取ろうとする。

それをなぜか、彼女はすっとよけた。

「どうしてよけるの?」

私は少し気分を害して尋ねる。せっかく私が親切にしてやってるのに、どうしてあんたはそんなにひどい態度取れるわけ? おかしくない?

「すみません、どうしても、手を握れない事情があって」

さーてなんの事情だろうね、なんにしろ私はそんな深いとこまでこの子と関係持つつもりないし、ちょっとイライラしている原因をなくそうとしただけ。

イライラを抑えるためにそんなことを考える。

その時、あの陽キャの顔が浮かんで、なんだかさらにイラっと来る。

ああ、もう、陽キャってホント、嫌い。

空気扱いされる奴も大嫌い。

もう、ほんとみんな死んじゃえばいいのに。

イライラがおさまらない。


「ごめんなさい」


イライラして頭を掻きむしっている私に彼女が謝ってくる。

なんだか急にその声を聞いたら落ち着いて、私は彼女をまっすぐに見つめる。

なんだろう、この安堵。

この子は一体?

私の心に疑念が宿る。

待って。

今もこんな明るくてきれいな彼女を無視して通り過ぎていく学生たち。

あんなに短時間で着替えられた理由。

ちょっと待って、待って、待って。

私はものすごいものに話しかけてしまったのではないか。

こわいこわいこわい。

安堵を覚えているということは私はもう、彼女に、

この”生きものではないもの”にとらわれているのではないだろうか。


「ねえ」


私はかすれた声で問う。


「もしかして、あなた、死んでる?」



さわさわと揺れ動く木々の音が聞こえる。

遠くのほうで、人間の話声が聞こえる。

感覚がとぎすまされた状態で、私は彼女の返答を待つ。



「それは……」



彼女は私の問いにふっと笑うと、


「どうでしょうね?」


美しい笑みを顔いっぱいに浮かべた。

ああ、もう、すでに。

私はとらわれている。

そのことが分かった。


「さ、行きましょう」


彼女は食堂に向けてすたすたと歩いていく。

数瞬、足を止めていた私だったが急に魔法が解けたように歩けるようになり、彼女の後を追った。

なぜか、恐怖はなかった。

でも、なんというか、少しだけ。

”死”を近くに感じた。


食堂に行き、つかつかと彼女はあの陽キャのところに歩いていく。

その後ろをまるで下僕のようにひょこひょこついている私。

ああ、なんていうかかっこ悪い。

でもあれか、みんなには見えないのか。

ん、ちょっと待って見えない?

じゃあ、彼女はどうやってお別れを言えばいいの?

突然の焦り。

私だけしか見えない彼女の心をどうやって伝えればいいの?


天才のひらめき。

本日二度目のそれが私に訪れる。


「私がやるんだ」


私は彼女を追い越し、陽キャの前に出る。


「なにお前?」


若干焦点のあってない目で私を見つめるソイツ。


「今日はあんたに伝えたい思いがあってきた」


そうしゃべりながら私は、自分が空気に溶け込むのはもう無理かなって考えてた。

だってこんなに目立っちゃってるんだもん。

でも、なんでか後悔は感じなかった。

彼女のためなら何でもできる気がした。

幽霊の呪いかな。


私がそんなことを考えてふっと笑うと、

急に私の周りの空気が溶け出した。


私の後ろに立つ彼女と、私の間の空気がどろどろとし、

私と彼女はだんだんと重なり融合していく。


憑依だ。


と私は直感的に感じる。

私の中に彼女の感情が流れ込み、彼女の中に私の感情が流れ込む。

どれが私でどれが彼女かわからなくなる。

ううん、待って違う。


え、ちょっと待って。


陽キャの顔を改めて見る。

急に噴き出してくる感情。どこから?

外からじゃない。

よみがえってくる。

付き合ってフラれて、ひどい噂流されて、ハボられて、そして私は空気になった。

誰も話しかけてくれなくなった。

ちょっとでもかわいい服を綺麗になれば、そう思って努力しても無視は変わらなかった。

私は、私は……。


そう、彼女じゃない。

全部、のことだった。


私は空気を演じてたんじゃない。

私が”幽霊”だったのだ。


「……私は、死にました。あなたの彼女だった、ユキという女はあなたに追い詰められて死にました」


口を動かすと出てくる、私のものじゃない声。

そうか、彼女は私に体を貸してくれているんだ。

私が最後に、こいつと話して、自分の死を受け居られるように。


「恨みます。一生恨みます。でも、あなたのためにもうこの魂を使うつもりはありません。あなたみたいなクズのために」


伝える度、ずっと苛立っていた心が少しずつ少しずつ落ち着いてくるのを感じる。


だんだんと心に安らぎが訪れる。


「だからせいぜい、幸せ《不幸》になってくださいね」


最後の言葉だけ、精一杯見栄を張る。

だって最後ぐらいかっこつけて逝きたいじゃん?

私は自分の体が少しずつ少しずつ、空気の中にほどけていくのが感じる。

魂が彼女の肉体を離れ、すーっと、世界の中にほどけて、親和していく。

それはとても心地が良く、幸せな瞬間だった。








「逝きましたね」

私の中から彼女がいなくなったのを感じた。

私はふっと息を吐き出す。

「なんなんだよ、お前は。ユキの知り合いか?」

怪訝そうな顔をする陽キャさん。

あなたがそうしていられるのも今のうちですよ。

「はい、知り合いと言えば知り合いです。ご家族にお願いされました。彼女の自殺の真相を突き止めてほしいと。社会的にあなたを抹殺する準備はできています」

「えっ、は? ちょっと、お前何言ってるんだよ」

私はにっこりとほほ笑む。

哀れな人間に向ける最上級の蔑みの笑みを。

「大丈夫です。もし幽霊になったら、やさしくしてあげますよ」

私はそう言って彼に背を向ける。

そして、彼の周りを囲んでいた取り巻きたちは、無表情で彼のそばを後にする。

陽キャさんの周りを処分するのも本当に簡単なお仕事でした。彼らにはなんの信頼もなかった。


私は食堂を後にし、空を仰ぐ。

「とてもきれいな空。彼女はこの中に溶けていったんですね」

ふーっと小さく息を吐くと、私は歩き出す。

さあ、トイレに置いてきた服を回収しなくてはいけません。

それにまた、次の”幽霊”さんも救わなくてはなりませんからね。

死を受け入れる手伝いをするのが私のお仕事。

そのためなら、空気にだってなんにだって、

私はなってみせますよ。

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