第56話 深夜の鬼ごっこ

「ふむ、ふむふむふむ」


 女ドレイクは凄まじい速度で闇の中へと消え去ったナックスを興味深げに眺めていた。


「おいおい、目の前にいる俺たちを無視するなよ。ドレイクにはちーとばかし借りがあってな」


 ジュレミは拳を鳴らしながらそう言った。

 ところが、女ドレイクは、その発言でようやくとジュレミたちの存在に気が付いたようにこう言った。


「ははっ、私と貴様らでは戦いにすらならないわ。どうせ私の前に立ちふさがるならば、もっと腕を上げてからにしてちょうだい」

「んだとこら!」


 ジュレミがそう拳を振り上げた時だ、女ドレイクとジュレミの間にするりと影が忍び込み、激昂するジュレミをあらぬ方向へと投げ飛ばした。


「あら?」


 女ドレイクは、その割り込んだ影――ミーシャを興味深く眺める。


「ご無礼お詫びしますわ、伯爵閣下」

「ふーん……私の位階を見抜くの」


 ミーシャの発現に、女ドレイクはますます興味深げに頬を歪めた。


「あらあら、そんな熱い視線困ってしまいますわ」


 ミーシャはしなを作りながらおどけるようにそう言った。


「アンタ……アンタは……」

「ああ、これは失礼したしました。私はミーシャ・サバリナ、キャットピープルのオスですわ」

「オス? ってアンタ男なの?」

「ええ、これでもれっきとした男ですわ。まぁ心は乙女ですけれど」


 ミーシャはそう言ってくねくねと腰をしならせる。


「心は乙女……で、体は……」

「はい、男ですの」

「そっ、そう……人族と言うのは摩訶不思議なのね」

「うふふふ。私を基準にするのはおよしした方がいいかもしれませんけどね」


 ミーシャがくねくねとした独自空間を作っていると、彼女に投げ飛ばされたジュレミがガバリと起き上った。


「なにすんだミーシャ! せっかくの俺様パンチが!」

「あらっ、もう起き上っちゃったのねー、結構全力で投げ飛ばしたのに自信無くしちゃうわー」

「んなことはどうでもいい! おい! そこのドレイク!」

「って、よしなさいってジュレミちゃん。貴方あのままだったら伯爵に首の骨をへし折られていたわよ」

「む? そうなのか?」

「ん? あっああ、そうね、アンタに殴られたところで痛くも痒くもないけど、それはそれで腹は立つわ。反撃の一つぐらいしたでしょうね」


 ミーシャの生態について悩んでいた女ドレイクは、ミーシャの発現に我に返ったようにそう言った。


「そうそう、お互い話は通じるんだもの。折角の数奇な出会い、友好を深めるのはいかがかしら。

 私、ケーキの美味しいお店をしっているの、伯爵閣下もいかがでしょうか?」

「なぬ! 美味しいケーキですって!」


 女ドレイクは目を輝かせてそう言ったが、ブルブルと頭を振ったあとキリリと顔を引き締め直した。


「ふっ、悪いがそんな誘いに乗る訳にはいかんな。私には重要な任務があるのだ」


 彼女はそう言ってパチンと指を鳴らす。

 するとだ、彼女の背後の空間が広く大きく波打った。


「あらあらー、これはちょっとまずいかも」


 ミーシャはたらりと冷や汗を流す。

 それを合図にしたかのように、女ドレイクの背後から、数えるのも億劫なほどの多数の魔獣が現れたのだった。


「くくく、私の名はワンダ・アイリジット。千の魔獣を操るビーストテイマーにして、カウント伯爵の位を預かるだ。

 人族どもよ大人しく御子みこを返すならそれでよし、返さぬと言うのならば、それ相応の報いを受けると知れ」


 ワンダはそう言うと、自らの力を見せつけるように大きく翼を広げた、それと共に背後に控えた魔獣たちが一斉に雄たけびを上げたのだった。


 ★


「ポリタン先生! ポリタン先生! 緊急事態です! ってあれ? 居ない?」


 ドカドカと司書長室まで押しかけた俺たちを待っていたのは、無人の部屋だった。


「あららー、困りましたわねー、ここに居ないとなると、地下に潜っていると思いますわー」


 オリアンナ先輩は頬に手を当てながら、のほほんとした口調でそう言った。

 しかしヤバイ、今はヤバイ。広大な地下大図書館からたったひとりの人間を探し出す事など至難の業。

 

「まぁ、それは俺たちも同じことだ」


 敵である女ドレイクから身を隠すのに地下大図書館はうってつけの場所。何とかして朝まで時間を稼げば、異変に気付いた他の職員なりなんなりが援軍として来てくれるかもしれない。


「よし! 俺たちも潜りましょう!」


 鬼ごっこなら得意中の得意。だてにおっぱいモンスター師匠のシゴキから逃げ回っていたんじゃないって所を見せてやる。


 ★


「うごわあらあああ! テメェ逃げてんじゃねぇーーー!」

「キャハハハハハ。生きていたら美味しいケーキとやらを下賜されることもまんざらじゃないわ」


 ジュレミのだみ声を魔獣の中に置き去りにして、ワンダはナックスが逃げた方へと飛び去って行った。

 残されたのはシルバーウルフやジャイアントリザードなどの魔獣の群れに十重二十重と包囲されたジュレミたち。


「落ち着きなさいジュレミちゃん、今は生き残る事が最優先よ」


 ミーシャはそう言って、魔獣たちの攻撃を捌いていく。

 右から来る魔獣を投げ飛ばし左の魔獣にぶつけると、前から来る魔獣の突進をかわし、背後の魔獣へと激突させる。


「黙って……働く……」


 パルポは神速の魔弾でもって、魔獣たちの目を撃ちぬいていく。だが、その速度と正確性は神業クラスでも、威力の方は微々たるもの、しばらくの間動きを停止させることが精一杯だった。


「あーちくしょう!」


 そこに割り込むのがジュレミだった。彼は魔獣の尾をつかみ、腕力にモノを言わせてブルンブルンと振り回した。


「くっ、低位の魔獣ばかりだけれども、こう数が多くちゃ厄介ね!」

「そんな事……言うから……」

「あらー、私余計なフラグをたてちゃったかしら?」

「ぐふふふふ。ちょうどいい、親玉を逃しちまったんだ、これ位のご馳走は用意してくれねぇとなぁ」


 三人の前に現れたのは、身の丈4~5m程はある巨大な亜竜、全身を白い鱗で覆われたディノスと言う巨獣だった。


 ★


 司書長室から図書館にとって返し、地下大図書館への入口へと向かう所だった。

 パリンパリンと窓ガラスが割れる音が鳴り響き、そこから一斉に魔獣たちが躍り込んできた。


「くっ! 追いつかれた!」


 こんなことなら真っ直ぐ地下に向かっていた方がましだったと後悔するが、時すでに遅し。

 そう思った時だ。


「ナックス君これ!」


 オリアンナ先輩がそう言って、地下大図書館への入館証を放り投げて来た。


「ここは私たちに任せて、ナックス君は先に行ってください!」

「そうよ! アンタの逃げ足ならドレイク程度どうってことないでしょ!」


 オリアンナ先輩とディアは俺に背を向けそう言った。

 そして、それはカーヤとリップも同じだった。


「早く行きなさいこの馬鹿!」

「そうですナックスさん。私たちでは足手まといになってしまいます!」


 確かに、この中で俺の足についてこられるのはディアぐらいなものだ。

 くそったれ、こんなことなら最初から彼女たちを巻き込まなかったら良かった。


「後は頼んだ! だがわが身を第一に考えて!」


 俺はそう言い残し、魔獣たちの攻撃を掻い潜りながら地下への階段を突き進んだ。


「んー、パパー、何が起こってるのー」


 この騒動で、流石のキャルも目を覚ましたようだ。彼女は目をごしごしとこすりながらそんな事を言ってきた。


「何でもない! 取るに足らないパーティだ、もうちょっと眠ってろ!」

「あふわぁぁぁ。うん、パパが言うなら……」


 キャルはそう言うと再び寝息をたてはじめた。


「よしよし、いい子は寝ている時間だ」


 蛮族たちが何の目的でキャルを手に入れようとしているのかは分からない。だが、奴らの事だ、どうせ碌でもない事だろう。

 三馬鹿たちにカーヤたち、みんなの努力を無駄にしないためにも、俺は全力でひた走った。

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