第48話 君の名は

 キラキラと夜空に瞬く星の様に輝く水晶の破片に包まれるように、その少女は落下する。


「あぶねぇ!」


 俺は咄嗟に少女に近寄り抱き留めた。


「生きてる……な」


 一体いつからここに封印されていたのかは分からないが、少女の体にはしっかりとした温もりがあった。


「心臓も……動いている」


 胸に耳を当てて、心音を確かめる。そこからは規則正しいリズムが鳴っていた。


「……ナックスさん、何をやっておりますの?」

「んあ?」


 俺はその声に、少女を抱いたまま振り返る。

 冷たい目をしたリップの視線の先には、全裸の少女の胸に頬ずりをする俺の姿があった。


「いや。違うんですよ、リップさん? これはですね、少女の心音を確かめようと」

「ハーレム王とは随分とストライクゾーンの広い存在なのですのね」

「いやいやいやいや! 流石に条例に引っかかる様な真似はしませんよ!」


 あくまで合法の上に合意的にだ。

 俺がそう言って、必死の弁解を繰り広げていると。胸の中から微かなうめき声が聞こえて来た。


「ちょっと待ったリップ!」


 俺は静かにプレッシャーをかけて来るリップに制止を掛ける。


「うっ、うう」


 うめき声とともに、少女の目がゆっくりと静かに開いていく。

 少女の瞳はルビーの様に澄み渡った赤色をしていた。


「……あなたは……だあれ?」


 それが、少女が放った初めての言葉だった。


「おっ、俺は、ナックス。ナックス・レクサファイだ。君こそどうしてこんな所に?」


「わたし?」少女はそう言うと、キョロキョロと周囲を見渡した。


「わたしは……なんでだろ? ねぇナックス、ここはどこ?」


 少女はそう言って首を傾げる。


「ここは――」

「ナックスさん、ナックスさん。先ずはその少女にこれを」


 リップはそう言って、彼女が羽織っていたカーディガンを渡してくれる。


「あっああ、そうだな」


 俺は少女をゆっくりと地面に下ろすと、リップから手渡されたそれを彼女に羽織らせた。

 少女はされるがままにカーディガンを羽織ると、不思議そうな視線でそれをつまんでいた。


「これは?」

「ん? それはカーディガンだよ。流石にそのままって訳にはいかないだろ?」


 だが、俺の言葉に少女はキョトンとした顔をする。


「カーディガン?」

「そう、カーディガン」


 少女はカーディガン自体を知らないかの様子で、興味深そうに生地の感触を確かめていた。


「ナックスさん、ナックスさん。その少女は結局何者ですの?」


 リップはそう言って小声で俺に耳打ちして来る。


「そんなの俺が聞きたいよ」


 俺は彼女にそう呟き返した後。カーディガンをくいくいと引っ張っている少女へと近づいた。


「あのー、えーっと、その、なんだ」

「ナックスさん、しっかり!」


 俺はリップの囁くようなエールに後押しされて、腰をかがめて、少女と視線を真っ直ぐに合わせた。


「取りあえず自己紹介だ。さっきも言ったが、俺の名前はナックス。そしてあそこにいる女性は君にカーディガンを貸してくれたリップだ」


 リップはその紹介に軽く会釈をする。


「それで……君の名前を教えてくれないか?」


 俺は、一度つばを飲み込んだ後その質問を口にした。


「わたし? わたしは……」


 少女はそう言うと、小首を傾げて考え込む。


「キャルロット……そう、キャルロットと呼ばれていたような気がするわ」


「キャルロット、キャルロット」と少女は噛みしめるように自分の名前を連呼する。


「そうか、じゃあキャルロット。君は何時からここにいたのか覚えているかい?」

「わたし……わたしは……」


 キャルロットはそう言って考え込む。


「ナックスさん、これはやっぱり」

「そうだな、そうみたいだ」


 俺とリップが小声で話し合っていると、キャルロットは少し眉根を寄せてこう言った。


「わたし……どうしてここにいるの?」


 ★


「記憶喪失?」

「ああ、多分それが一番ふさわしい言葉だろう」


 俺はキャルロットに、彼女が今までどういう状況にあっていたのかを説明する。

 まぁ説明と言っても、これと言っていう事は無いのだが……。


「それじゃあ、わたしはここに封印されていたの?」

「ああ、多分な」


 自然現象で水晶漬けになったとは考えにくい事だろう。何らかの封印がなされたと考えるべきだと思う。


「名前以外は思い出せないのか?」


 俺がそう聞くと、キャルロットは暫く首を傾げた後、フルフルとそれを横に振った。


「ともかく、ここではこれ以上何も分かりませんわね」

「まぁ、そうだな。ちっとばかし俺たちの手には余る案件だ」


 キャルロットを閉じ込めていた水晶は、粉々に砕け散った後、雪のように消えて行った。もうこの小部屋には彼女を封じ込めていた痕跡は何一つ残っちゃいない。

 いつとも知れぬ遥か昔から、彼女はたったひとりこの場所に封印されていた。俺はそんな彼女の気持ちをおもんぱかり、彼女と目線を合わせると、優しく彼女の頭をなでてこう言った。


「大丈夫、俺に任せとけ。俺がお前を守ってやるさ」


 そう、現時点でもとびっきりの美幼女なのだ。今はまだ年齢のつり合いが取れないが、そんなものは時の流れが解決してくれる。これは明日への先行投資、俺は輝かしい未来を夢見て穏やかな微笑みを浮かべたのだった。


 ★


「取りあえず……脱出すっか」

「ええ、そうですわね」


 この部屋でやる事はもうないと判断した俺たちは、外の様子を探る事にした。


「けして右側の壁を見てはいけません、それと鼻呼吸も厳禁です」とのリップ嬢のいいつけを守り、俺は鼻をつまみながら元の小部屋へと戻る。

 乙女のプライドは命よりも重い、この部屋にはなにも無かったのだ。


 俺は壁に耳を当てて、外の様子を伺った。


「ねぇ、何をしているの。ナックス?」


 キャルロットは俺の傍にぴったりと付き従いそんな事を聞いて来る。


「静かにキャルロット。今外の様子を伺ってるんだ」


 俺がそう言うと彼女は素直に従ってくれた。まるで雛の刷り込みだな。俺はそんな事を思いつつも、耳を凝らす。


「よし、取りあえずは落ち着いたようだ。リップ、頼んだ」

「わかりましたわ、ナックスさん」


 リップが呪文を唱えると、時間を巻き戻すかのように亀裂が広がってくる。俺はその隙間からゆっくりと顔を出して周囲を確認した。

 まぁ、真っ暗闇の洞窟の中で、俺の剣だけがピカピカと光を放っているので、隠密行動もくそも無いといえばそれまでなのであるが。


「よし、大丈夫だ」


 俺がそう言うと、まずキャルロットがトコトコと歩いて来て、俺の手をぎゅっと握って来た。

 うむ、ここで俺は問題に気が付いた。行きはリップひとりだったので、リップをおぶさり、片手に剣と言う体勢で行動することが出来たが、帰りはリップとキャルロットのふたりを抱えて行かなくてはならない。そうなると両手がふさがり剣を振るう事が出来なくなる。

 どちらかを肩車するという手もあるのだが、それは流石にバランスが悪い。


「大丈夫ですわ、ナックスさん。私も最低限の自衛ぐらいできますわ」


 俺の不安をおもんぱかってか、彼女は鼻息荒くそう言ってくれる。だが、今からの道のりは最低限の自衛位ではどうにもならないモンスターの巣窟、そのことは往路で実証済みだ。とてもじゃないが俺の行動速度に彼女の足ではついてこれない。


 周囲の警戒を密にしながら、ゆっくりと進んでいく。あるいは剣を鞘に納めて、完全な暗闇の中で彼女の道案内で進んでいく。俺が今後の方針について悩んでいた時だった。

 暗闇の遥か奥から野獣の雄叫びが聞こえて来た。


「くっ、昆虫型以外にもいやがったのか!」


 ケイブオーガか、トロールか、あの声の太さから言ってゴブリンではないだろう。ともかく今からでは小部屋に戻るにも間に合わない。俺はふたりを下がらせ、剣を構える。


「取りあえずくらっとけ!」

「おおおおおおおおい!!!!」

「ファイヤー!」

「光だーーーーーーー!!!!」

「ボール?」


 暗闇の中から現れたのは、オーガでは無く。その亜種である奇妙なエルフであった。


「……なにやってんのジュレミ?」


 と言うか、何故ここにいる?


「うおおおおおおおお!!!!」

「取りあえず落ち着けこのバカ」


 俺は念のために用意していた携帯食をジュレミの口に押し込んだ。


 ★


「はぁ、教室から落ちた後、ヘッポコポコリン虫(仮)との死闘を繰り広げていたらいつの間にやらこんな所まで……ねぇ」


 こいつは一日かけて何をやっていたんだか。


「もうないのか、ナックス」

「ねぇよ。我慢しろ」


 携帯食をぺろりと平らげたジュレミは物欲しそうな目で俺を見つめる。

 ふむ。しかし、このバカがここにいるという事は、この洞窟はやはりアカデミーのどこかと繋がっているという事だろうか。


「おい、ジュレミ、帰り道を覚えては……」

「覚えてたらとっとと帰ってるぜ!」


 バカは何故か誇らしげにそう言った。


「まぁそうだろうな」

「それよりお前らはなんでこんな所に居るんだ?」

「あー、まぁ話すと長くなるんだがなー」


 俺はジュレミに今までのいきさつを大雑把に説明したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る