第9章 奈落の底

第46話 幻の地下14階

「間に合ええええええ!」


 右手は光源代わりのショートソード。残った左手は、闇の中へと吸い込まれて行くリップへと精一杯に伸ばす。


「俺は!」


 ただすんなりと落ちただけのリップよりも、勢いを付け自ら穴へと飛び込んだ俺の方が少しばかり速い……速い!


「ハーレム王になる男だーー!」


 左腕がリップの体を捕らえた瞬間、俺は彼女を胸の中へと抱き寄せる。


「ナックスさん!」

「黙ってろ! 舌咬むぞ!」


 お姫様は回収した、後は怪我無く降りるだけだ!


「こんな事ぐらい慣れっこなんだよ!」


 素早く体を反転させ、迫り来る壁へ足を向ける。

 ズシリと体の芯まで響く衝撃を体中のばねを使って吸収し、そして垂直の壁を足場に――


 ガコリとその足場が消失する感覚。2人分の体重に加え落下の勢いを支えきれず、壁の一部が崩落する。


「チッ!」


 思ったよりもこの壁は脆い。ならば今は無理せずプランB、一旦安全を確保することを最優先だ。

 これを垂直な壁とは思わず、階段と想定する。ほんのちょっとした出っ張りや凹み、それを足場に、勢いを殺しながら下へ下へと下って行く。両手がふさがっている以上そいつが次善策だ。

 修業時代は何度となく師匠に谷底へと突き落とされたもの、こんな事ぐらい朝飯前だ!


 壁を蹴る衝撃ごとに、腕の中のリップが俺にギュッとしがみ付いて来る。俺は彼女を優しく、そして決して手放さないように力強く抱えながら、奈落の底へと降りて行った。


 ★


 胸の中の大切なお姫様を傷つけないように細心の注意を計りながら、落下の衝撃を殺すように床を転がりながら着地する。


「あだだだだだだ!」


 だが、今回の床はそれまでの如何にも図書館ぜんとした真っ平らな床じゃなく、大小様々な石が転がる洞窟の様な床だった、いや地面だった。


「ふぅ、大丈夫か? リップ」


 背中を使って一通り地面を掃除し終わった後で、俺は胸の中の彼女にそう語り掛ける。


「えっええ、おかげさまで私は何ともありませんわ」

「そいつは結構、だけどあんな真似は金輪際やめてくれ。目の前で大事な女を失ったと有っちゃハーレム王廃業だ」


 俺がそう言うと、彼女は困った様に微笑みながらこう言った。


「うふふふ。私は貴方のハーレムに入った覚えはございませんが、礼は言わせていただきますわ」

「なーに言ってんだ、これだけ長い時間共に過ごしてるんだ、それはすなわち俺のハーレムに入ったといって過言じゃないぜ」

「あらあら強欲な方ですね、ナックスさんは。それで……これからどうしましょうか」


 リップは力無く笑ったあと、不安げに上に視線を向けた。

 そこには何処までも続くような暗闇の中で、ポツリと頼りなく光る光点がひとつあるだけだった。

 落下した感覚と、あの光点の大きさからいって、少なくとも10m以上は落下しただろう。


 耳を凝らすと上から微かな声が、反響しながら届いて来る。


「大丈夫! ふたりとも無事だ!」


 俺はそう声を張り上げながら、光源代わりのショートソードをゆっくりと回す。

 しばらく声を張り上げ続けると、降り注ぐ声のトーンが変わる。何とかこちらの状況を察してくれたようだった。


「よし、これでまぁ一先ずは安心だな」


 俺たちの安否を確認しようと無茶な行為に及ぶような真似はしないだろう。

 一息ついたところで、今後の方針について考える。

 とは言ってもやる事は一つだけ、人気のない暗い空間に男女が一組、何も起きない訳が無く……では無く。


「とっとと登るとしようか」


 俺はそう言ってリップの肩にポンと手を置く。

 この場に対して彼女は単なるお荷物と言う訳では無い。彼女もカーヤと同じくドワーフだ、土魔法は得意としている。彼女に足場を固めてもらえれば、高々10m程度のロッククライミングなんてちょっときつめの登山と同じだ。


「ええ、そうですわね」


 俺は彼女をおぶさって、さていざ帰還の道へと言う時だった。俺の頭の中で危険を知らせる警報がカンカンとなりだした。


「なん……だ?」

「ひっ! ナックスさん! うっ上です! 壁の隙間から沢山の虫が!」

「へっヘッポコポコリン虫だとお!?」


 うじゃうじゃと湧いて出て来たのは我がクラスの先住民ヘッポコポコリン虫(仮)の大軍だった。奴らは黒い湧き水の様な勢いで俺たち目がけて振り落ちて来る。


「ヤバイ! 逃げるぞ!」


 とてもじゃないが、ファイヤーボールで散らせる様な数じゃない。焼け石に水ではなく、池の水にマッチ棒だ。

 奴らは腐っても肉食の甲虫、ちんたら登っていたら指先どころか全身奴らにコーティングされちまう。


 素早く周囲を見渡す。ここは天然の洞窟なのか、左右に分かれる道は何処までも続いていた。


「取りあえずこっちだ!」


 道に迷ったら右手の法則。リップを背負っていて助かった、俺はヘッポコポコリン虫(仮)の波から逃げるため、猛ダッシュで暗闇の中へと駆け抜けて行き――


「なんで、んな奴らが住み着いてんだよ!?」


 大サソリや人食い蜘蛛、ジャイアントミルウオームなどの虫系モンスターの大軍に追われ引き返した。


「ひっ! おっ追ってきますわナックスさん!」

「振り落とされんようにしっかりと捕まってくれ!」


 折角のチャンスだというのに背中に当る柔らかな感触をゆっくり味わっている暇も無い。前方から押し寄せるヘッポコポコリン虫(仮)を蹴散らしながら反対方向へと突き進む。


「あーくそ! 懐かしいなぁちきしょうめ!」


 強制転移された先がモンスターハウス、修業時代に飽きるほど味わったイベントだ。最後に味わったのは何時だったか。出会いがしらを装っておっぱいモンスター師匠の胸を揉みし抱こうとした時だったか?


 曲がり角を通過するごとに、目印代わりにショートソードで切り込みを入れていく。おそらく切っ先はもうボロボロだ、研ぎ直したらショートソードがちょっと大きめのダガーナイフになってるかもしれない。


「ナックスさん! 今度は左から来ましたわ!」

「あーもううっとおしいなあ!」


 普段は弱肉強食の名のもとに仲良く共食いに勤しんであろう皆さんは、久しぶりの柔らかお肉に大興奮。右から左から、はたまた上から下からうじゃうじゃうじゃうじゃ湧き出て来る。


 虫を足場に、壁を足場に、奴らの少ない所を狙いすまして駆け抜ける。

 ある筈の無い地下14階は俺達を景品とした大運動会が行われていた。


(洞窟にモンスターが住み込んでいるのは当然だ、だがちょっと数が多すぎないか?)


 俺は奴らの攻撃をかわしながら、そんな事を考える。地上からはるか下とは言えここは腐ってもアカデミーの敷地内だ。山奥離れた未開の地と言う訳でもない。


(王都のど真ん中――のはるか下に、こんなワクワクモンスターランド。いったい何時、なにが原因で出来たんだ?)


 洞窟には所々に人の手が入っている様な痕跡が残っていた。あるいはここはかつて人が使用していた場所だったのかもしれない。


「まぁそんな事は後でゆっくり考えればいい!」


 津波の様に押し寄せて来るモンスターたちを時に切り捨て、時に蹴飛ばしながら俺たちはひたすらに逃げ回った。


 ★


「ナックス! ナックスーー!」


 さっきまで見えていたか細い灯りはとうに消え、穴の下には永遠の暗闇が広がっているだけだった。


「ウチが、ウチがぼんやりしてたから……

 ナックス……リップ……」


 カーヤは目に涙をためながら、暗闇の底を凝視する。


「どんな具合なんですかオリアンナ先輩」

「そうですね。大図書館には結界が貼られています、モンスターたちはそれに阻まれ一定距離以上は登って来れないようです」


 焦燥感に満ちたカーヤは兎も角、ディアネットとオリアンナはそう冷静に分析をしていた。


 地下大図書館の下に広がっていた謎の空間。そしてそこに消えて行ったふたり。装備も人員も不足している現状では、無理に救助しにいくことは二次災害を起こすのと同意だった。


「オリアンナ先輩、下の空間に心当たりは?」

「そうですね。このアカデミーが建設されるはるか前、王都設立のころまで話は遡りますが、この辺りには炭鉱があったと記憶しています」

「そうでしたわね……」


 もう百年以上前の話だ、そもそも王都はその地下鉱山の発展と共に発達した都市とされている。


「成長を続けた大図書館が廃坑に当ってしまった、しかもその廃坑はモンスターたちの住処となっていた……と」

「鉱山には崩壊を防止するための結界が組み込まれるのが常識とされています。今回の地震は大図書館の結界と、廃坑の結界が干渉しあって生じたのかもしれません」

「お互い遥か昔に刻まれたものなのに、随分と物持ちが良いものですわ」

「どうしたっていうのよふたりとも! そんなに落ち着いてふたりが心配じゃないの!?」

「おちつきなさいカーヤ、今の私達に出来る事は救助隊を待つ事だけよ」

「それは……それは……」


 ディアネットは今にも泣き出しそうなカーヤをしっかりと抱きしめる。


「貴方は悪くないわカーヤ、今はあのバカを信じて待ちましょう」


 ディアネットは暗闇の底を睨みつけながらそう言ったのであった。

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