第44話 急がば回れと言うけれど

「やはり、ここしかないと思いますオリアンナ先輩」

「うーん、そうですかねー」


 小部屋での籠城戦からひと段落して、今後の方針を決めようという時だった。カーヤとオリアンナ先輩が口論を始め出した。


「なんだ? どうしたんだ?」


 俺が覗き込んだ方眼紙には、俺に小脇に抱えられながら書いたにしては嫌に達筆なメモがこれでもかと書き込まれていた。


「ちょうどいいわナックスさん、アンタの意見を聞かせて頂戴」


 カーヤはくりくりした目を大きく見開きながら俺に詰め寄ってくる。


「いい、ここを見て」


 カーヤが指し示した点には、一際大きな赤い丸が記されてあった。そしてそこにはヒュドラの文字が。


「ここって、例の……」

「ええ、あのヒュドラがいた場所よ。だけど、あそこを抜けられれば大幅な近道が可能になるわ」

「……そうなんですか、オリアンナ先輩?」

「ええ、それは間違いないとおもいますー。けどー」


 そう「けど」だ。ヒュドラはそう簡単に手を出せる相手では無い。9つの毒液を吐き出す頭を持ち、ほぼ無限の再生力を誇る奴は、入念な下準備をして初めて手を出せるモンスターだ。


「そうだなぁ、いくらオリアンナ先輩の魔法が強力とは言え、それ一本で立ち向かうには中々厳しい相手だぜ?」

「だけど、このままずるずると深みにはまっていくよりは一点突破の賭けに出るのも手じゃないかしら」

「それはそうなのですがー」


 しぶるオリアンナ先輩にたいしてカーヤはグイグイと押してくる。


「カーヤさん、何そんなに焦っておりますの。それは確かに時間はかかるかもしれませんが、安全は何よりも優先されるべき事態ですわ」

「その認識は甘いわ、アンタも知ってるんでしょリップ」


 と、今度は先輩の援軍に来たリップにカーヤの矛先が向いた。


「現在時刻はもう午後9時、予定時間を3時間もオーバーしているわ。地上では探索隊が編成されている頃合いかも知れない」

「だったら時間は私たちに味方してくれますわ。それこそ焦る必要なんてございませんわ」

「いいえ、そうじゃない。言いたくはないけど、この場の責任者は誰?」

「それは……オリアンナ先輩ですわ」

「そう。このままではオリアンナ先輩の大きな減点対象となってしまうわ。そうなってしまえば先輩の夢である司書の座が大きく遠ざかってしまう」

「いえいえ、リップさん。私の事はどうでもいいのですー。今回の事に対して私に原因があるのは事実です。今更言っても詮無きことですが、もう少しこの階が安定してから探索にでればよかったのですからー」


 オリアンナ先輩は申し訳なさそうに頭を下げる。

 なるほど、先輩の夢か。夢のためと聞いては黙ってはいられない。この俺は夢の為に生きる男。女の夢ひとつ守れなくて何がハーレム王だ。


「ですが、私はそれを承知の上であえて反対させていただきますわ。責任なんて上が取ればいい事。今回の事態は不測の事態によって引き起こされたもの、オリアンナ先輩の責任ではございませんわ」


 リップはカーヤの目をしっかりと見返しながらそう言った。


「なによ! アンタは先輩がどうなってもいいって言うの!」

「それとこれとは話が別ですわカーヤさん。私と先輩の付き合いは貴方より長いのですわよ」

「だったら!」

「大局を見てくださいカーヤさん。もし万が一の事があれば、減点などでは済まないのですわよ」

「つっ……それは……」


 そうなのだ、カーヤだって自分が無茶な事を言っているのなんて承知だろう。だが、彼女はそれでも先輩の事を応援したいのだ。


「なあディアネット?」

「ええ、ナックス」


 俺たちは互いの目を見て、無言でうなずく。

 そして俺は、リップの肩に手を置いてからこう言った。


「なーにヒュドラなんて、要は蛇が9匹固まってるだけだ、そんな恐れるもんじゃねぇよ」


 そしてディアネットは逆の肩に手を置いてこう言う。


「ええ、そうですわリップ。私たちはドレイクカウントを撤退に追い込んだ事もあるのよ、それに比べればたかがヒュドラの一匹如き、どうって事ありませんわ」

「正気ですの、貴方たち」

「おうよ、か弱き少女の夢を守れなくて、なーにがハーレム王だ」

「私はオルタンス家の人間ですわ。貴族には貴族の責務というものがありますわ」


 此方を試すように、あるいは怒りを押さえつけるように、厳しい目をして問いかけて来るリップに、俺たちは笑ってそう答えたのだった。


 ★


「問題は先輩の魔法が通用するか、否、先輩の魔法をバカスカ撃っていいかどうかだな」


 先輩の仮説では、不安定な空間で派手な魔法を一気に使い過ぎたために急激にマナが消費されたため先ほどの地震が起こってしまったという事だった。


「あれはあくまでも仮説ですわ。先ほど私が放ったジャッジメント・アローでは空間の揺らぎは見当たりませんでした。たんにそういった周期であった事も考えられます」

「要は条件が少ないという事か」


 未知の領域で生じた未知の出来事だ、足りないピースを数えて行ったらキリがない。


「けど、今の私たちの切り札はオリアンナ先輩だけだわ、多少の無茶は承知で進むべきよ」


 一度決めたら猪突猛進、美しき肉食獣ことディアネットは、前のめりでそう言った。


「まぁそうだな、おそらくアイツがこの階層のボスだ、アイツを仕留めちまえば先輩の評価もうなぎ上り……と行くかは分からねぇが、少なくとも足し引き零ぐらいには収めれるはずだ」

「この変態のいう事に賛成るのは癪だけど、そこは私も同感ね。というかあれ以上の大物がいるなんて本気で勘弁してほしいもの」

「大丈夫だ、俺を信じろ。数多の修羅場を潜り抜けた俺の危機察知能力が、ここのボスはアイツだと警報を鳴らしている」


 ……俺たちがヒュドラ退治についてあーだこーだと話し合っている間。リップはひとり無言で暗闇を見つめ続けていた。そしてその様子をオリアンナ先輩は申し訳なさそうに横目で眺めていたのであった。


 ★


「もう直ぐです、あの角を曲がった先が例の地点ですわ」


 リップは淡々と事務的にナビゲーションをする。その声の裏には引き返した方がいいのではないかという意思が込められていた。


「大丈夫だぜリップ。このハーレム王が付いてるんだ、俺の目の前で俺の女に指一本傷つけられる訳にはいかねぇぜ」

「そうですわね。よろしくお願いしますナックスさん」


 いったん決まってしまった事に何時までも意固地になって、みなの士気を下げてしまっている自覚があるのか、リップは少々気まずそうな物言いでそう言い返す。


「速攻だ、速攻決めるぞ」


 作戦はごく簡単、なにしろ敵の居所が分かっているのだ。開幕同時に先輩の上級魔法をぶっ放す。ただこれだけの単純なお仕事だ。

 頭の中で警報がガンガン鳴り響く中、俺とディアネットは先輩の左右に立ち万が一の攻撃に備える。


 曲がり角の直前で隊列を止める、それと同時に先輩には詠唱に入ってもらう。俺はひとり先行し、ショートソードを鏡代わりに、曲がり角の先の様子を伺った。


 いた。ヒュドラは、通路の少し先の大部屋で、こちらの様子をうかがうように、ぺろぺろと舌を出し入れしていた。


(やはりこっちを気づいていやがるか)


 ヒュドラは用心深い生物だ、さらに奴は熱を感じ取れる敏感な器官を持っている。曲がり角の向うに大人数が押しかけて来ている事位お見通しだろう。


(だが、油断していやがるな)


 あるいはこの通路が奴にとって狭すぎるからなのかもしれない。奴はこちらの様子をうかがうばかりで、その場から動こうとはしなかった。


 俺は手信号で先輩たちに合図をする。


 無尽蔵の再生能力を誇るヒュドラを相手に長期戦など愚の骨頂。先輩の攻撃魔法により一撃で仕留めるには、奴の全身があらわになっておかなければならない。


 タイミング、その為にはタイミングだ。

 俺は奴の様子を伺いつつ、一本一本指を折っていく。


 鏡代わりに使っているショートソード越しに、9対ある奴と目が合った。

 俺は静かに攻撃開始のサインを出した。

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